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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第九章 均衡と友情のブレイクダウン
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140 火急の知らせ

 その日は曇天だった。アルクス王国南東部には珍しいことである。冬らしい寒風にさらされたジラソーレはいつもより人通りが少なく、心なしか寂しげな空気が漂っていた。


 一方、集合住宅の一角にあるスノハラ家は、いつもより騒がしい。広々とした居間に、総勢七人が集まっていた。十代半ばから後半の学生が五人、それより幼く見える子供が一人、女性一人という内訳である。学生たちは大きな食卓を囲んで、筆記用具と帳面と問題集を広げていた。


 そのうちの一人、ヒワ・スノハラは、やおら机に突っ伏す。


「あぁ~……わたし、ここいっつも間違える……」

「どれどれ?」


 問題集をのぞきこんだのは、ヒワより少し年上の少女だ。設問に目を通した彼女は、ああ、と苦笑する。


「これは混ざりやすいわよねえ。六百五年のリラ抗争は、当時弾圧されていた精霊指揮士コンダクターと自警団の衝突で、シルエラ闘争は九百七年に起きた、いわゆる労働運動。中身を見ると全然違うんだけど」


「カティ……なんでそんなにすらすら出てくるの……?」

「どちらも精霊指揮士界隈では有名な事件だから。シルエラ闘争には、うちのご先祖様も関わっているし」


 ヒワのうめき声に答えたカトリーヌ・フィオローネは、茶目っ気たっぷりに笑う。(はた)で聞いていたヒワの姉、コノメが「なんか生々しい話になってきたな」と呟いた。それからすぐ、妹の隣を見る。赤茶色の眉をしかめる少女をつついた。


「そっちはそっちで大変そうだね、シルヴィーさん」

「ここの計算で詰まってまして……」

「あー。それは――」


 コノメが自分の手を止めて、シルヴィーの方に身を乗り出す。


「ここをこうすればいいんだよ」

「そこがわかんないんですって! なんでそれでそうなるんですか」


 当然のように言うコノメの前で、シルヴィーが頭を抱える。見覚えのある光景に、ヒワは苦笑を誘われた。それからふと横を見る。


 かしましい少女たちのそばで、一人の少年が黙々とペンを走らせている。ヒワたちと違って精霊指揮士の学び舎・ソーラス院に通う彼は、当然学んでいることもヒワたちとは違う。ほんの少し心配になっていたところで、カトリーヌが彼の方を見た。


「ロレンス。そちらは大丈夫かしら?」

「あ、うん。大丈夫。今は霊薬の調合比率による効能と副作用の違いをひたすら書いてるだけだから」

「……なんだか難しそうなことをしてるのね……」


 少年――ロレンス・グラネスタの返答に、彼女は顔を引きつらせる。ヒワも、黙って自分の問題集に向き直った。


 落ち着きのない勉強会が一段落したところで、コノメがお茶を淹れに台所へ向かった。そこで、それまで傍観していた二人が近寄ってくる。小さな少年と、黒いワンピース姿の女性。どちらも見た目以上に長く生きている。人と精霊の性質を持つ種族、精霊人スピリヤだ。そのうちの一人、フラムリーヴェがロレンスに一礼する。


「お疲れ様です、ロレンス」

「ありがと。なんか、付き合わせてごめんね……」


 ロレンスは、筆記用具を片付けながら苦笑した。


 精霊人たちは、こことは別の世界、天外界の民だ。任務のためにヒワやロレンスと契約して、この天地内界(てんちないかい)で動いている。


 極端なことを言えば、任務さえ遂行できていればいい。契約者の勉強会に付き合う義理はないのだ。だが、フラムリーヴェは涼しい顔である。


「問題ありません。見ているのが楽しいので」

「そう? ならいいけど……」


 座学の様子など見ていて楽しいのだろうか、と少年の青い瞳が語っている。おおよそ同じ気持ちだったヒワのもとに、彼女の『契約相手』が飛んできた。


「人間は覚えることが多くて大変だな」


 子供のような風貌ながら、当代最高の精霊指揮士とも謳われるエルメルアリアは、そんなことを言って空中で足を組む。ヒワはふと気になって、彼をまじまじと見た。


「そういえば……精霊人は、学校の勉強みたいなことってするの?」

「あ、それ、あたしも気になってた」


 シルヴィーがうきうきと身を乗り出す。好奇の視線を受けた精霊人たちは、顔を見合わせた。


「事務官や観測官……〈銀星(ぎんせい)の塔〉の官職に就く奴らはかなり勉強するらしいな。でも、オレたちみたいな普通の精霊人はあんまりしねえよな」

「そうですね。自我が確立した頃に、基礎的な読み書きを年長者から教わって……あとは、『外の仕事』に就く際に報告書の書き方を覚える程度でしょうか」


 へえ、とシルヴィーが頬杖をつく。ヒワもうなずきながら聴いていた。ちょうどそこへ、コノメが戻ってくる。


「つまり、精霊人は試験やら何やらに悩まされることが少ないのか……。うらやましい……」


 呟いて、客人たちにカップを配る。最後に、ヒワとエルメルアリアの前に使い慣れたカップを置いた。それを両手で持ちながら、エルメルアリアが首をかしげる。


「オレはむしろ、あの高度な計算を他人ひとから教えてもらえるのがうらやましいぜ」

「えー。そういうもん?」

「そういうもん。ま、他世界の果実は(あや)しく見える、ってやつだけどな」


 言って、エルメルアリアはカップに口をつけた。他の面々も、誰からともなくお茶休憩を始める。ひと息ついたコノメが、カトリーヌを見た。


「勉強会、付き合ってくださってありがとうございます」

「いーえ! 私も楽しんでるから、気にしないで。他人ひとに何かを教える機会なんて、そうそうないし」


 カトリーヌは、満面の笑みで草花模様のカップを手に取る。彼女は本来フリーの精霊指揮士であり、アルクス王国各地を回って仕事を請け負っている。


 だが今は、凶悪な精霊人から身を守るために、ヒワたちの近く――ジラソーレ市内に身を置いているのだった。スノハラ家に頻繁に顔を出すおかげで、コノメやシルヴィーともすっかり打ち解けている。


「これ、訊いちゃっていいのかわかんないんですけど……」

「あら、何かしら?」

「お仕事やお金の面って、大丈夫なんですか?」


 コノメがすっと目を細めた。それを見て、カトリーヌは華やかな笑声を立てる。


「心配してくれてありがと。でも、大丈夫よ。半年働かなくても最低限の生活ができるくらいの貯金はあるし……実は、ジラソーレでもちょっと仕事を請け負ってるの」


「え、そうなの?」とロレンスがこぼした。カトリーヌは得意げにうなずく。


「そうそう。道具の修理とか、見習いさんたちのお手伝いとかね。彼らのお仕事を取らない程度にやってるわ」

「し、知らなかった……」


 うめくロレンスの隣で、ヒワも繰り返しうなずいた。いつの間に、という思いと、先輩の仕事ぶりを見てみたいという気持ちが胸の内でせめぎ合っている。


「さすが、堅実ー」


 妹の内心を知る(よし)もないコノメは、愉快そうにお茶をすすった。ゆるやかに流れる会話は、やがてヒワたちのもとへと流れ着く。


「そういえば、〈樫の木の集い〉からこっち、ヒワたちは出かけていないわよね?」


 世界の境目に開いた〈穴〉、という言葉を伏せた問いかけに、ヒワたち四人はうなずく。


「うん。特に〈銀星の塔〉からのお知らせもないから」

「〈樫の木の集い〉がなかなか大変だったからね……。正直、そろそろ本業に集中させてほしい気持ちもある……」


 ソーラス院の学生の本音に、少女たちは何とも言えぬ笑い声をこぼした。和やかな人間たちのかたわらで、フラムリーヴェが顎に指をかける。


「状況が落ち着いてきたのか、嵐の前の静けさか……いずれにせよ、油断は禁物です」

「だな。いきなり使い鳥が飛んでくるかもしれねえし」


 友達予備軍の呟きに、エルメルアリアがのんびりと答える。数秒後、その視線が窓の方へ滑った。フラムリーヴェも、しかめっ面で同じ方を見る。気づいたヒワは、相棒を見上げた。


「エラ?」

「――そら、言ってるそばから来やがった」

「へ?」


 瞠目(どうもく)したヒワの視界の端に、銀色の輝きが映る。不思議な鳥が、窓ガラスをすり抜けて居間へ飛び込んできたのだった。


 しゃらしゃらしゃら。さざれ石をこすり合わせるような音が響く。なんだあれ、と騒ぐコノメやシルヴィーをよそに、フラムリーヴェが友達予備軍をにらんだ。


「あなた、使い鳥を引き寄せる力でもあるんですか」

「あるわけねえだろ。ってか、そんな力いらんわ」


 エルメルアリアが腕組みして吐き捨てる。ヒワは、言霊(ことだま)かも、と思ったが、黙っておいた。その間にも使い鳥はヒワたちのもとへ下りてくる。


『緊急要請。緊急要請。天外界へ参られたし。魔物の大移動および凶暴化を確認。天外界へ参られたし。魔物の大移動および凶暴化を確認――』


 銀色の鳥は、激しく羽ばたきながら同じ文言を繰り返す。普段と変わらない様子だ。だが、そのくちばしで紡がれた言葉に、ヒワたちは凍りついた。

注)()世界せかいの果実は(あや)しく見える:精霊人のことわざ。「隣の芝生は青く見える」と同じような意味。

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