139 事務官の足掻き
〈銀星の塔〉には、資料室が複数ある。その中でも、塔の中ほどにある資料室には比較的新しい資料が収められていた。世界の境目に開いた〈穴〉の調査が急務である今、もっとも人の出入りが多い場所のひとつである。
だが今は、ほぼ無人。――ステアルティードは、人のいない時間帯を狙って、この場所を訪れた。
きらめく銀星の装飾がほどこされた壁が四方を囲む。磨き抜かれて輝く床が、来訪者の姿を幻影のように映し出す。林立する書棚は、番人さながらに佇む。どこの資料室でも変わらぬ風景だが、ここにはより冷たい沈黙が横たわっているようだった。
ステアルティードは時折顔をしかめつつ、棚の間を動き回った。熱心に書類や書物を見つめ、必要と思われるものを手に取る。それらを苦労して奥まで運ぶと、ぞっとするほど白い机に広げた。ひとつ、ため息をつく。
彼は資料室が苦手だった。大会議室同様、飛ぶことを前提に作られているからだ。書類ひとつを取るごとに、体力と精神力をひどく削られる。しかし、数十年に及ぶ事務官仕事で多少は慣れたところもあった。
それに、文句を垂れてばかりもいられない。――今、ステアルティードが資料室にいるのは、個人的な調べ物のためなのだ。
かき集めたものたちに目を走らせる。隅から隅まで、引っかかる記述を拾い上げていく。
「やはり――〈穴〉が開いてから、彼の近隣への外出回数が少しずつ増えている。巡視ではなく」
精霊人たちもまた、重要な記録は紙や粘土板に残す。記録のための指揮術もあるにはあるが、形に残る方が長命な彼らにとっては都合がよいのだ。
そんな記録の一端を、ステアルティードは指でなぞる。
「そして、この日を境にぴたりとなくなる。巡視出発の五日前――『殉職』の十日前か」
それから、すぐそばの紙を引き寄せた。先ほど見たものと似た数字、近い地名を探して、文字列を行ったり来たり。そしてしまいに眉をひそめた。認めたくない記録の符合が浮かび上がる。
ステアルティードが今調べているのは、ある巡視官の記録だ。
世界の境目に〈穴〉が開きはじめて、しばらく経った頃。十人いた巡視官のうち、一人が『引退』した。
ほとんどの精霊人には引退として伝わっている。だが、実際は殉職だった。〈穴〉の調査の折に、不審な亡くなり方をしたのである。
悲しいことだが、巡視官の殉職は珍しくない。魔物に不意を突かれて食われる。掟破りをした精霊人に殺される。遭難し、魔力切れを起こして誰にも発見されず息絶える。天外界各地を回る巡視官の足もとには、死の要因が常に転がっているのだ。
ゆえに当初、多くの〈塔〉関係者が、『彼』の死もその類のものだと考えていた。一部の精霊人に対して雑な態度をとる高官だけでなく、ひたむきに働き、素直に『彼』の死を悼む者でさえ。
しかし、ステアルティードはいつまでも違和感をぬぐえなかった。遺体の状況を記した書類や、現場の魔力観測記録を見れば見るほど、ただの巡視官の殉職とは思えなかったのである。加えて、「〈塔〉外の精霊人たちへは『引退』と伝えろ」と指示されたことが彼の疑念に拍車をかけた。
怪しまれない程度に、上層部に追加の調査を求めたこともある。だが、ほとんど相手にされなかった。さもありなん、今の〈銀星の塔〉の最優先事項は〈穴〉の調査だ。それならそれで構わぬと、ステアルティードは孤独な調査を続けてきた。――結果、ひどく嫌なものが見えつつある。
「……落ち着け。まだ確実な証拠が出てきたわけじゃない」
自分に言い聞かせて、ステアルティードはひとつの冊子に手を伸ばした。『彼』の巡視記録のひとつである。ゆっくりとページをめくっていく。『彼』はぶっきらぼうだが、指揮術の腕がよく、また几帳面な性格であった。記録もかなり細かい。
本当に惜しい人を亡くした。青年の胸に、悲嘆の波が打ち寄せる。直後、ページをめくる手が止まった。
開いたのは、亡くなる二か月前の巡視記録。〈雪白の里〉とその周辺のことが記されている。何の変哲もないページに見えた。だが、その文字ひとつひとつが、不思議な形をしているように思われた。『彼』の字でありながら、『彼』の字でないような違和感。
みてごらん。みてごらん。
突然、精霊たちがステアルティードの耳元でささやく。彼は驚いて、見えるはずもないのに、あたりを見回してしまった。
みてごらん。みてごらん。
あのこはみてほしがっていたよ。
あのこはね、もりのあのこがすきなこに
これをみてほしがっていた。
「見て、ほしがっていた? あの方が、誰に?」
ステアルティードは思わず呟いた。精霊は、彼を急かすように騒いでいる。
深呼吸して、言葉を整えた。
「『森のあの子』とは、どなたのことです?」
もりのあのこは、もりのあのこ。
みんながだいすきな、あのこ。
みんなのもりでうまれてすぐ
ひとりぼっちになった、あのこ。
みんながそだてた、あのこ。
ステアルティードは必死に考える。精霊の言う『みんな』とは、大抵精霊そのものを指している。つまり、精霊に殊に好かれている者。精霊寄りの精霊人である可能性が高い。
森で生まれた、精霊寄りの精霊人。まさか、と呟いて、ステアルティードは手を伸ばした。一か八か、紙面に魔力を流し込んでみる。
結果はすぐに表れた。巡視記録にかぶさるようにして、まったく別の文面が浮かび上がってきたのである。
「これは……よく〈主〉の側近に見つからなかったな」
ステアルティードが呟くと、なぜか精霊たちから反応があった。
あのこは、もりのあのこをかなしませるこに
みせたくないといっていた。
だから、みんなでかくしていたんだよ。
「隠して――そう、なのですか」
答えつつ、ステアルティードは胸が騒ぐのを自覚していた。
普段気ままにはしゃいでいる精霊が、ここまで話しかけてくるのは珍しい。それに、精霊人の記録に細工をするなど前代未聞だ。
口がからからに乾いていることに気づきながらも、浮かび上がったものに目を通した。きらきらと輝く文字を、記憶に刻み付けるように。
長い文章は、不思議な詩から始まっていた。
未だ極点に至らぬ星
目を離すべからず
『私』の壁を壊すべからず
壊れた壁は 消えた星は
よほど強い標がなければ
もう二度と戻らない
その下には、詩とは無関係に見える文章が続いていた。報告書のような雰囲気だ。首をひねりつつ、ステアルティードは読み進める。読んで、内容を頭の中で理解した瞬間――雷に打たれたような衝撃を受けた。詩と文章を何度も見比べる。
「どうして……危険を冒してまで、この記録を残したのですか? このことばを添えたのは、なぜです?」
様々な情報が頭を駆け巡る。そして導き出された最悪の仮説が、ステアルティードの体を芯から冷やす。
「彼が、どうして、消えるというのです」
答えは、誰からも返らない。精霊も話しかけるのをやめて、いつものようにはしゃいでいる。
ステアルティードは、光る文字が消えてからも、しばらくその場に立ち尽くしていた。
※
「ステアルティード?」
資料室から出て、いつもの事務室へ戻る道すがら。ステアルティードは、聞き覚えのある声に呼び止められた。つい身構えてしまう。
視線の先にいたのは、巡視官の正装をまとった青年だ。
「クロードシャリス」
「どうしました? 顔色がよくないようですが」
〈群青の里〉のクロードシャリスは不思議そうに首をかしげる。銀と青が入り混じった髪が揺れた。穏やかな憂いを向けられたステアルティードは、少し目を逸らしてしまう。
「え、いえ……そうでしょうか……?」
その態度と言葉の詰まりをどう取ったのか、クロードシャリスはわざとらしく眉を寄せ、ステアルティードの方へ頭を突き出した。
「さては、また根を詰めていましたね。きちんと休まないと、同胞たちに怒られてしまいますよ」
「はは……そうですね」
中らずと雖も遠からず。指摘自体は真っ当だ。ステアルティードは苦笑して、ひとまず青年の言葉を受け取った。
少し足を速めたステアルティードに、クロードシャリスが並ぶ。
「クロードシャリスは、なぜ〈塔〉に? 今期の巡視はまだ途中ですよね」
「〈界逆流〉について、解析室の皆様に話を聞きにきたんですよ」
「ああ、〈界逆流〉ですか」
水底界に通じる〈穴〉において、時折見られる現象だ。調査と解析の結果、すべてが水に満たされた世界特有の〈穴〉に対する反応――つまりは『ある種の自然現象であり、指揮術などによるものではない』という結論が出た。
クロードシャリスは水底界へ出かけた際に、この現象を目にしている。本人が気になっていたのもそうであろうし、解析室側も彼に結果を知らせたかったのだろう。ステアルティードはそう推測した。
「異様な光景でしたので、人為的なものではないというのはちょっと意外でした。まあ、世界の境目に〈穴〉なんかが開かなければ、起きなかったことなんでしょうけど」
穏やかに語ったクロードシャリスは、それからおどけたような笑みを見せる。
「――と、その話を聞きにきただけのつもりだったのですが。ひとつ、仕事をお願いされてしまったんです」
「仕事、ですか?」
「なんでも、一部地域で魔物が妙に活発になっているとか。その調査をお願いされました」
聞き覚えのある話に、ステアルティードは目をみはる。
「あの件の調査を、巡視官に?」
「巡視の手も借りたい状況なのでしょうね。ちょうど、これから出かけるところです」
クロードシャリスは茶目っ気たっぷりに笑う。すぐ後、その視線が前方の床に向いた。ステアルティードもそちらに引きつけられる。〈銀星の塔〉は壁も床も白く磨き上げられているので、どんなに小さな異物でも目立つのだ。
落ちていたのは、木の葉だった。ステアルティードはそちらに歩み寄り、そっと葉を拾う。
「これは……ワモ楡の葉ですか」
「こんなところまで飛んでくるなんて。珍しいこともあるものですね」
クロードシャリスが後ろから顔をのぞかせる。小さく笑った彼を、ステアルティードは振り返った。
「どうされたのです」
「ああいえ、ちょっと昔のことを思い出しまして。よく、エラとワモ楡の枝を拾ったな、と。杖っぽいものや剣になりそうなもの――色々集めましたよ」
ステアルティードは目を丸くした。エルメルアリアはともかく、クロードシャリスがそのような遊びをする姿が想像できなかったのだ。当人もそれは承知の上である。鈴を転がすような笑声を立てた。
「僕が巡視官になるまでは、よく互いの家に行き来していました。そういう遊びをしたり、お茶会をしたり、里で見つけたおもしろいものを教えあったり……楽しかったなあ」
窓を見つめる青い瞳は、寂しげな色を湛えている。ステアルティードは、つい、口を開いた。
「今は……なかなか、自由にはできませんよね」
「そうですね。僕もエラも、すっかりお互いの仕事が忙しくなってしまって。今は、エラの方が内界に出ずっぱりですし。あ、でも、この前水底界を一緒に回ったのは、昔に戻ったみたいで楽しかったですよ」
行方不明になった〈泡の氏族〉――マーリナ・ルテリアの捜索に出たときのことだ。クロードシャリスは「ステアルティードのおかげです」と、頭を下げた。ステアルティードは戸惑って「私は己の仕事をしただけです」とだけ返す。巡視官の青年は、それでも楽しそうに笑って――弾むように、前へ出た。
「おっと、そろそろ行かないと。……では、僕はこれで」
ステアルティードが面食らっている間に、クロードシャリスは浮遊した。窓などないかのように塔を抜け、天外界の空へ飛び出していく。
ステアルティードは慌ててその影を追った。
言わなければいけないことがある。
だが、その言葉は喉から先へ出ていかない。結局、いつも通りの一言がこぼれた。
「――くれぐれも、お気をつけて」
その一声が届いたかどうか、ステアルティードにはわからない。ただ、影はあっという間に見えなくなった。
わずかな魔力の揺らぎが落ち着いた後、ステアルティードはためらいがちに窓から離れる。己の手を見て、思わずため息をついた。
ワモ楡の葉は、どこかへ飛んでいってしまったようだ。




