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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第八章 光と闇のラプソディー
158/161

138.5 唯一無二の精霊指揮士

 アルクス王国王都の空は、黄昏時の色に染まっていた。

 残照の茜色に夜の紺碧がゆっくりと侵食する。()と闇が溶け合って、滑らかな濃淡をつくりだす。慌ただしい日常の中でふと空を見上げ、その色合いに息をのむ人も多かった。


 安寧の闇が落ちかかってきている都には、ぽつぽつと明かりが灯りはじめる。その多くが指揮術仕掛けの照明によるもので、色も光度も様々だ。指揮術(しきじゅつ)の普及の結果、この都市は、〈七色の光の都(セッテ・ルーチ)〉の名にふさわしい景観を手に入れた。


 玉枝(タマエダ)(アヤ)()が滞在するのは、そんな王都のとある宿。大昔の資産家の邸宅を宿として使っており、壁紙から調度品まで、あらゆるものが高級だ。だが、白色と茶色を基調とした内装のおかげか、目が痛くなるような派手さはない。照明の光量も抑えめである。


 彩音は、部屋に入って鍵を閉めると、ほっと息を吐いた。撫子ピンク色の絨毯が目に入る。そこに刺繍されているのは、実は古い書物に描かれていた『多重世界構造図』。だが、それを知らぬ者が見れば、ただの洒落た文様にしか見えないだろう。そのことにおかしさを感じて、ふっと笑いをこぼしてしまった。


「どうかしたか、アヤネ?」


 すぐそばから、幼い声がかかる。彩音の背にしがみついているティルセティレルが、ひょっこり顔をのぞかせていた。彩音はかぶりを振って、先ほどのおかしさとは別の感情を口に出す。


「いや。どの料理も美味だった、と思ってな」


 これもまた、本物の感想ではある。夕飯を堪能したばかりの彼女の言葉に、ティルセティレルはじっとりと目を細めた。


「未だにびっくりするよ。このちっこい体のどこにあの量が入るんだ、ってね」

「……ちっこいって、ティルにだけは言われたくないわね」


 彩音が母語で呟くと、ティルセティレルも意地悪く笑う。日高ヒダカ語に詳しくない彼だが、近頃は挨拶や簡単な言葉なら聞き取れるようになってきていた。


 彩音は相方の頬を指でつつく。しばし繰り返していると、ティルセティレルは彼女から逃げるように飛び立った。彩音も、これ幸いと部屋の奥へ行く。白地に銀色の装飾がほどこされた衝立(ついたて)の反対側に回り、髪をほどいた。


 ティルセティレルは上から入ってこられるのだが、最近は実行に移さない。覗きなどしようものなら彩音にこってり絞られると、学んでいるのだった。


「あたしも、ヒワさんみたいに広い心を持たないとだめかしら……?」


 外出着を脱ぎ、シャツをかぶりながら、ひとりごつ。日高ヒダカの血を継ぐ同志は、更衣室で、当たり前のように契約相手と一緒にいた。しかし、彩音はかぶりを振る。


「頭ではわかっているのよ? ティルは『定まっていない』方だって。でも、なーんか男の子として見ちゃうのよね……」

「なんか言ったか~?」


 衝立の向こうから、高い声が届く。彩音は慌てて「なんでもない」と言った。うっかり日高語を使ってしまったが、ティルセティレルは理解したらしい。ぼっふぼっふという音だけが返ってきた。


 シャツの上から柄のない着物をまとい、締めすぎない程度に帯を巻く。それから髪を結びなおした。両親に知られれば間違いなく怒られる装いだが、彩音はこれが結構気に入っている。


 衝立を畳んで、ベッドをにらむ。案の定、ティルセティレルがそこで飛び跳ねていた。


「あまりベッドの上で跳ねるな。いくら体重が軽いとはいえ、限度があろう」


 西部共通シエロニア語で叱ると、ティルセティレルはぴたりと止まった。まったく、と呟いて、彩音はベッドの縁に腰かける。荷物の中から手帳とペンを取り出した。今日見聞きしたものを簡潔に書き留めていく。先ほどの食事も、記録の対象だ。


「この宿は、麺料理がどれも絶品だったわね。宿の名前と住所、覚えておかなきゃ。あとはあの、肉巻きみたいなやつと、お椀みたいな形のケーキも好きだわ……乾燥果物には少し癖があったけど……」

「アヤネって、割と食い意地張ってるよなー」


 ティルセティレルが顔を突き出して、呟く。手帳をのぞきこむなどという無粋な真似はしないが、物言いには遠慮がない。すっかりそれに慣れた彩音も、にやりと笑い返した。


「食べ物だけではないぞ。アルクス伝統のかんざしや、最近流行りの意匠のスカーフなんかも買った」

「知ってるよ。ずっとそばにいたしー」

「ふふふふ……玉枝の縁者が見ていないところでたくさん着けてやる……」

「しっかりアルクスを満喫したよな。観光旅行かってくらい」


 ティルセティレルは小さな足をばたばたさせる。そうしながら、鋭い視線を契約者に向けた。


「ちゃんと〈樫の木の集い〉のこと、覚えてるか?」

「無論だ。重要な話は別の帳面に記録を取っている。それに、西の同志のことも書いたのだぞ。見よ」


 彩音は、手帳の別のページをティルセティレルに見せつける。しかし彼は「ちょっとしかわかんね」と首をかしげた。――全文日高語なので、当然である。


 拗ねたような表情をつくった彩音に、ティルセティレルが飛びつく。肩に顎を乗せて、口を開いた。


「同志といえば……アヤネに訊いてみたいことがあったんだった」

「なんだ?」

「いや、大したことじゃないんだけどさ」


 彼にしては珍しく、そんな前置きをする。彩音の耳元で、言葉は続いた。


「ヒワさんの詠唱さあ。ヒダカ語だったよな?」


 言われて、彩音も思い出した。春原(スノハラ)ヒワの詠唱を聞いたのはほんの少しだったが、音も衝撃も、記憶にこびりついている。


「そうだ。だが、伝統の日高式とはまるで違う」

「だよなー。あれって、アヤネも再現できるもん?」

「無理だ」


 彩音は即答した。


 ティルセティレルが飛び立つ。空中で腕を組みながら「なんで?」と言った。彩音は手帳を閉じて、姿勢を正す。


「ティル。指揮術とは、精霊の息吹をお借りする術だろう? そのためには、精霊にお願いしたうえで、やりたいことを伝えなければならない。人間にとって、詠唱はその手段のひとつだ」

「うんうん」

「日高式指揮術は、『本来の詠唱を取り入れつつ』『いかに明瞭に、かつ失礼のないように、精霊に意志を伝えるか』を先人たちが研究して、今の形になったものだ」

「ふむふむ」

「私は、そんな日高式の技術と考え方を、幼少の頃から叩き込まれた。習得の過程で改変した部分もあるが……私という精霊指揮士の根底には、日高式指揮術が刷り込まれている」


 このあたりで、ティルセティレルが眉をひそめた。上手く伝わっていないことを察して、彩音は慎重に言いなおす。


「私にとっては、日高式指揮術こそが、精霊とのもっとも優れた意思疎通の手段なのだ。そう確定してしまっている。そこに別種の詠唱を取り入れたとしても、精霊にとっては聞き取りづらいだけの言葉になるだろう」


 だからこそ、彩音は衝撃を受けた。『あれ』が詠唱として成立しうるのか、と。


 そして、ほんのわずかながら、羨望と悔しさも抱いた。自分もその域に達したかった、と。


――しかし。


 彩音が形だけヒワの真似をしたとしても、詠唱にすらならないだろう。そしてそれは、彩音に限った話ではない。日高の精霊指揮士(コンダクター)すべてに言えることだ。あの手法は、たまたま春原ヒワに合っていた。それだけの話である。


 理解してしまったがゆえに、暗い感情はすぐにしぼんで、沈んだ。

――それに、ヒワが自分にまっすぐなまなざしを向けてくれたことを、知っている。彼女に誇れる、玉枝の精霊指揮士でありたかった。


 熱と苦味の名残を噛みしめつつ、しかし表情には出さず、ティルセティレルを見上げる。彼は、「そっかあ」と、しきりにうなずいていた。


「変わったことをやってるんだな、ヒワさん」

「うむ。〈穴〉の騒動が落ち着いた後、ヒワ殿がどのような道を歩まれるかはわからないが……もしかしたら、唯一無二の精霊指揮士になるかもしれないな」

「エルメルアリアもついてるし?」


 ティルセティレルがのんびりと言う。彩音は、軽く目をみはった。


「……任務の後もか?」

「契約は続けるんじゃない? ほかの適性者なんて、みんなが生きてるうちには見つかりっこないし」


 ――目から鱗である。

 任務が終われば当然契約解除だろう、と考えていた彩音は、ついまじまじと空中の精霊人(スピリヤ)を見てしまった。熱い視線を受けたティルセティレルは、居心地悪そうに体を丸める。


「おいらもそのつもりだったんだけどなあ。……アヤネが嫌なら考えるけどぉ……」


 もじもじと指を絡める。声は尻すぼみに消えてゆく。その様子に、彩音はたまらず吹き出した。手招きして、彼を膝に乗せる。


「こんなときだけ引かないでよ、甘えん坊さん」


 人差し指で頬をつついた。つきたてのお餅のようだ。その感触を堪能しつつ、彩音は母語で続ける。


「嫌なら、今日まで契約を続けてないわ」


 ささやきが、届くとは思っていなかった。しかしティルセティレルは、まばたきした後、歯を見せて笑った。澄み切った水しぶきのような笑みだった。


 彩音は、笑い返して伸びをする。ほんのり熱を帯びた頬を、相方から背けるように。


「そろそろ休む準備をしようか」

「明日からはまた列車の旅だしね」

「道中の町に温泉があるらしい。次の楽しみはそこだな……」

「目がぎらぎらしてるぞ、アヤネー」


 西の国、茫洋とした明かりの下で、いつも通りの会話。それも今夜限りのことだ。


 明日には、アルクス王国を去る。最初は義務的にこの国の土を踏んだ彩音だが、今となっては一抹の寂しさすら感じていた。


 すべてが終わったら、また来よう。今度はただ、この地を味わい、懐かしい人に会うためだけに。


「ヒワさんと話したいこと、まだまだあるものね」


 母語でこっそり呟いて、彩音は静かに立ち上がった。



(138.5 唯一無二の精霊指揮士(コンダクター)・終)

第八章はここまでです! お読みいただき、ありがとうございました。

PV、感想、ブックマーク等、すべて励みになっております。


第九章は、5月10日から公開開始いたします。

展開の都合上、第十章まで書きあがってから公開を始めたいと思っておりましたが、その十章が思いのほか長くなりそうなので、書き切る前に更新を再開させていただきます。なるべく十章ラストまで連続更新を途切れさせないように……頑張ります……!


それでは、今回はこの辺で。次なる冒険(というか、次は戦い?)をお楽しみに!

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