138 花開く
翌日、ヒワたちはいよいよファータ・レスピーラを発つこととなった。宿を出たところでヘルミやノクスたちと別れ、行きと同じ顔ぶれに戻る。数日前の混乱などなかったかのような町中を抜け、行く手に駅舎が見えたとき、ヒワたちに声がかかった。驚いて振り向くと、そこには玉枝の少女とその契約相手がいた。
「アヤネさん、ティルさん! お二人も、今日出発ですか?」
ヒワがヒダカ語で声をかけると、アヤネは安堵したような表情でうなずく。
「セレル山脈近くまで列車を乗り継いで、そこからティルの力を借りてシャーブ平原を超える……という感じね」
「うわ……すっごい長旅ですね」
ヒワが思わずそうこぼすと、アヤネはくすりと笑った。
「そうね。でも、行く先々でいい景色や美味しい食べ物と出会えるから、悪いことばかりでもないわよ」
楽しそうに語った彼女は、流れるように右手を差し出す。
「同郷の人に出会えて、嬉しかったわ。またお会いしましょう、ヒワさん」
「はい、また。お元気で」
ヒワも、しっかりと右手を握り返す。
握手を交わす少女たちの上では、精霊人たちがじゃれ合っていた。
「あんまり契約者を困らすなよ、ティル」
「おまえに言われたくねーよーだ!」
エルメルアリアから逃げ回るティルセティレルを見て、契約者たちは思わず吹き出す。
「あら、アヤネさん?」
そこへ、カトリーヌがやってきた。ヒワを呼びにきたらしい。しかし、アヤネを見つけると、ふわりとほほ笑む。
「今回は、ありがとうございました。またお会いできるといいですね」
「……は。カトリーヌ殿も、お元気で」
ややぎこちなく西部共通語に切り替えたアヤネは、美しい古式礼を披露する。そして、ティルセティレルとともに去っていった。ヒワたちとは別の列車に乗るのだろう。
アヤネを見送った後、ヒワたちも駅へ行き、列車を待った。
そして、目的の列車に乗り込んだ後。カトリーヌがやにわに座席横から机を引きだした。続けて、荷物から紙束と筆箱を取り出す。それを見て、ロレンスが目を瞬いた。
「何か書き物でもするの?」
「両親に手紙を書こうと思って」
「手紙?」
「ええ。――伝霊の方が早いけど、今回はきっと手紙の方がいいから」
言いながら、カトリーヌは便箋を数枚取り出す。慣れた様子で紙にペンを走らせた。
「〈樫の木の集い〉への招待が来たって教えてくれたのは、お父様なの。だから本当は、集いが終わったら一度実家に戻って、報告をするつもりだった。だけど……状況が変わったから」
「『しばらくジラソーレにいます』って、お知らせするんだね」
ヒワが確認すると、カトリーヌは「そう」と軽やかに返した。
しばし、筆記の音が少年少女の耳をくすぐる。便箋が二枚ほど埋まったところで、カトリーヌが楽しげに笑った。
「『本格的に世界を救うお手伝いをする』なーんて書いたら、お父様とお母様、どんな反応をなさるかしら」
それを聞いて、ヒワとロレンスは目をみはった。
ヒワは思わず身を乗り出す。
「いいの、カティ? 今回だって、相当大変だったのに」
「大丈夫。私、こう見えて結構図太いのよ? あなたたちの闘い、最後まで特等席で見届けるわ」
カトリーヌは得意げに笑って、便箋を丁寧に折りたたむ。それを封筒にしまうと、気圧された様子の少年を見た。
「ところで、ロレンス。ジラソーレって、杖屋さんと宝石店、あるわよね?」
「そりゃ、もちろん。ソーラス院の近くに」
「よかった! 観光ついでに耳飾りを作り直そうっと。胸飾りも、今度は自分で作ろうかしら」
「う……フィオローネ家の人が作る、指揮術仕掛けの宝飾品……興味ある……」
「ほんと? ロレンスにも何か作ってあげましょうか?」
提案されると、ロレンスは真剣に所持金の計算を始めた。ころころと笑うカトリーヌに、ヒワも釣られる。車両の一隅に、笑いのさざ波が広がった。
※
列車が揺れる。暗くなった窓の外を、エルメルアリアはぼんやりとながめていた。彼の契約者は、彼を抱いたまま眠っている。おそらく、この場で起きているのは精霊人だけだ。それをよいことに、エルメルアリアは思考を夜空に泳がせていた。
「エルメルアリア」
淡白なささやきが、エルメルアリアの泳ぎを止める。人間のような格好をしたフラムリーヴェが、彼をのぞきこんでいた。
「考え事ですか」
「んー……まあ、色々と」
「そうですか」
フラムリーヴェは言葉を切る。しかし、紫水晶の瞳は何かを探すように動いていた。ややして、わざとらしく話しはじめる。
「そういえば……列車が人工の隧道を通ることがありますよね。あなた、あれは平気なんですか?」
「ん? あー。ちょっと身構えるけど。一人じゃなかったら平気かな。ほら、列車の中にいるのって、ほとんど人間だろ」
「なるほど。そのように割り切れる場合はまだまし、と」
一応話題に乗ったエルメルアリアは、しかしそこで口をつぐむ。少し、思考に潜ってから、口を開いた。
「……なんで黙ってた、とは言わないんだな」
むろん、〈幽闇隧道〉の一件のことである。フラムリーヴェは細く息を吸った。数秒経ってから、吐き出す。
「はい。あなたが話したがらなかった理由も、想像がつくので」
「あっそう」
「……問い詰めたことについては、反省しております」
「……いいよ、別に。半端に黙ってたのは、オレの方だし」
エルメルアリアはそっぽを向く。唇を少し突き出した。
「ブチ切れたあんたは、正直、怖かった」
「…………すみません」
「でも、嬉しかった。あと、オレのことで怒らせて悪いなと思った」
まごつきつつも本心を吐露すると、フラムリーヴェは意外そうに目をみはる。「あなたが気にする必要は」などと言いつつ、膝に乗せた帽子をいじった。
「正直に言うと、〈銀星の塔〉に殴り込みたい気分ですが」
「やめろよ」
「はい。私が高官を問い詰めたところで、うやむやにされて終わりでしょうからね。ただ――ひとつだけ、確認しておきたいことが」
「なんだ?」
エルメルアリアが尋ねると、フラムリーヴェはやりにくそうに切り出した。
「〈幽闇隧道〉での出来事は、あなた自身で〈塔〉に報告したのですか」
エルメルアリアは首をかしげる。質問の意図をはかれないまま、記憶を辿った。
「ああいや。腕がくっつき切ってなくて、すぐには動けなかったから、最初の報告はしてない。仕事復帰してから補足の報告書を出したくらいだ。……報告書、資料室の肥しになってるだろうな。結構頑張って書いたのに」
最後の一言で、フラムリーヴェの眉が跳ねる。埋もれさせていい報告書ではない、と両目が語っていた。エルメルアリアが苦笑すると、彼女は咳ばらいをし、問いを重ねる。
「では、最初の報告は誰が行ったのですか」
「ああ、クロだよ」
エルメルアリアは、あっけらかんと答える。反対に、フラムリーヴェの表情は暗くなった。
「……そうですか」
「ん? 何か問題か?」
「いえ。確認しておきたかっただけです。ありがとうございます」
フラムリーヴェが頭を下げる。それきり黙ってしまった。
エルメルアリアは、少女の体にもたれながら、友達予備軍の質問の意味を考える。だが、いくら考えても、答えは出なかった。
列車が揺れる。――世界の境目も、揺らいだ。
※
同じ頃。星のない空の下に、陽気な声が響き渡る。
「どうしたのさ、ミレイ。急に呼び出して」
突き立てられた剣のごとく屹立する岩の陰から、ツェレグヴルムが顔を出す。その先で彼を待ち構えていたミレティアレーデは、自らの隣に目をやった。釣られるようにそちらを見たツェレグヴルムは眉を上げる。
「何、それ」
「門の試作品」
ミレティアレーデの隣には、不思議な光が浮いている。大輪の花のような形をしていて、内側では白や桃色、水色などの色彩が緩く渦を巻いていた。それはただの光ではない。世界と世界を繋ぐ道。
「へえ、やるじゃん。ミレイ一人で作ったの?」
「そんなわけあるか。指揮術好きが何人も手伝ってくれたよ」
「そっかそっかー。ちゃんとお駄賃あげなよ?」
からかい交じりの同胞の言葉に、ミレティアレーデは「当然」とそっぽを向いた。
ツェレグヴルムは、岩にもたれて門もどきをながめる。
「でもさ、天外界の同胞のまねっこなんかしてていいの?」
ミレティアレーデが、ちらとツェレグヴルムの方を見た。
「どういう意味?」
「世界をひとつにしたいなら、むこうの門をぶっ壊した方が早くない?」
黒と白の青年は、あどけない幼子のように小首をかしげる。ミレティアレーデは、少し考えた。……ずいぶん前、彼女自身も同じように思ったことがあるのだ。思考の果て、冷たい声に答えを乗せる。
「確かに門は世界を隔てるものだけど、同時に世界を繋ぐものでもある。考えなしにぶっ壊して、完全に分断されたら意味がないだろ」
「ああ、なるほどねー。確かにそれは、僕的にも困るなあ」
ツェレグヴルムは、彼女の淡白な反応に少しも動じない。けらけらと笑って、何度もうなずいた。笑いを収めた後、門もどきに人差し指を向ける。
「で? 僕に何をしてほしいの?」
察しがいい、と胸中で呟いて、ミレティアレーデは答えた。
「この門がきちんと使えるかどうか、試してほしい。魔物どもも一緒にね」
それを聞いた青年の、墨のような瞳が一瞬、光った。
「……いいよ。今から?」
「いや、七日後だ。計画立てなきゃいけないし、魔物の選別もするだろう」
途端に、ツェレグヴルムが口を尖らせる。
「えー。そんなの適当でいいじゃん」
「だーめ」
ミレティアレーデがいらだたしげに手を振る。光の花が、小さくなった。そのまま歩き出した彼女に、ツェレグヴルムもついていく。
「門の維持は大丈夫なわけ?」
「心配ない。ほかの奴らも手伝ってくれるし」
「ふうん。……あっ、天外界に行くなら、あいつにも連絡取っておかなきゃね」
「あたいが連絡する。おまえは余計なことすんな。怒らせるだけだから」
「怒らせてるつもりはないんだけどなあ」
平穏そのものの会話は、暗い世界にそぐわない。しかし、二人は気にせず、瘴気満ちる大地に踏み出した。
背後に凝る闇の中。
花の形をした門が、再び開く時を待っている。
(第八章 光と闇のラプソディー・完)
2026.4.22
本編はここまでです。この次に補足の短編を追加しました!
それに伴い、第八章あとがき(?)も次回に移動しております。




