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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第九章 均衡と友情のブレイクダウン
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142 二度目の天外界

 何はともあれ、マーリナ・ルテリアに事情を話したところでその日の伝霊会議はお開きとなった。使い鳥には「数日中には天外界へ向かう」と答えて帰ってもらった。


 その日の夜、ヒワは家族に天外界へ行くことを告げた。母とコノメがひっくり返りそうなほど驚いたのは、言うまでもない。


 そして、カトリーヌの用心棒は次の早朝にやってきた。雨は降っていないにもかかわらず、暗い銀髪がしっとりと濡れている。そして、そこはかとなく疲れた顔をしていた。それだけでマーリナ・ルテリアが使った『裏技』は推して知るべし、である。ヒワは旅の青年に心から同情した。


 彼――ルートヴィヒに休んでもらっている間に、エルメルアリアが護衛対象を呼んでくる。


「今回はお世話になります。ルートヴィヒさんとマールさん、でよかったかしら」

「ええ。よろしくね、カトリーヌさん」


 カトリーヌは、初対面の青年と小さな人魚が相手でも動じない。マーリナ・ルテリアもまた、いつもの調子だ。スノハラ家の玄関先に花びらでも飛び交いそうな甘い空気が漂う。一方のルートヴィヒは、やや気圧されているようだった。


「……俺はいないものと思ってくれていい」

「いないだなんて、そんな。なんなら、一緒に町を回りませんこと? その方が守りやすいでしょう?」


 明るく提案したカトリーヌに、ルートヴィヒは曖昧な返事をする。すかさずマーリナ・ルテリアが「まあ、よろしいの?」と話に乗った。その隙をついて、ルートヴィヒがヒワを見る。


「……マールとは似て非なる娘だな」


 乾いた笑いをこぼしたヒワは、それからぺこりと頭を下げる。


「すみません、急に初めての人の護衛なんてお願いして」

「よくあることだ。それに、おまえたちには恩がある」


 相変わらず、淡白で端的な返答だ。だが、それがただ冷たさからくるものではないと、ヒワたちはもう知っている。ヒワとエルメルアリアは顔を見合わせ、それから青年に向かって笑いかけた。


「よろしくお願いします」

「やばそうな精霊人(スピリヤ)に出くわしたら、カティと一緒に逃げるんだぞ」


 エルメルアリアが飛び回りながら忠告すると、ルートヴィヒは小さく顎を動かす。


「そちらもな」


 言葉にかぶさるようにして、使い古された外套が強風にはためいた。


 ヒワたちもまた、その日のうちに天外界へ出発することにした。家を出て、ソーラス院近くでロレンスと合流。郊外の草原に足を延ばす。


 間隔を開けて立つ木々と地面を覆う植物たちが、寒風に悪戯されて騒いでいる。ごうごう、ざあざあ、嵐のような音がヒワたちの耳を覆った。この地域ではなかなか見られない光景に、彼らの心もまた、ざわついた。


 身を縮めるヒワの前で、エルメルアリアが飛翔する。その振る舞いはいつもと変わらない。無風だろうが強風だろうが、別に気にならないのだろう。


「さて、準備はいいか?」


 どこか不敵な問いかけに、人間たちはこわごわと、フラムリーヴェは堂々とうなずく。それを確かめたエルメルアリアは、薄曇りの空をにらんで()()()()()


「〈銀星の塔〉の名のもとに、権限を行使する。天と天、地と地を繋ぐ門をここに。我らを導くきざはしを作りたまえ」


 朗々とした声が、つかの()風の音をかき消す。かと思えば、その風が不自然に渦巻いた。空気の流れに逆らって、ちろり、ちろりと雪のような光が降ってくる。それは静かに集まり、降り積もり、白い門を生み出した。


 世界と世界を繋ぐ門。ヒワたちが、天外界へ通じるそれを見るのは今回が二度目だ。だが、一度目と同じように圧倒されていた。


 動けないでいる間にも、門扉はひとりでに開く。送還のときに呼び出す門と違い、勝手に生き物を吸い込むことはない。ただ、堂々とそこに佇んでいる。


「さて、あんまり待たせても悪いからな。行くぜ」


 エルメルアリアに呼びかけられて、ヒワは我に返った。その隣で、ロレンスがフラムリーヴェの背にしがみついている。フラムリーヴェは涼しい顔で門に向かって飛んだ。


 ほれ、とエルメルアリアも手を差し出してくる。ヒワは深呼吸して、小さな手を取った。



    ※



 まばゆいほどの白と虹色。いつかと同じ空間を歩く。その途中、ヒワは背中を刺すような寒気を覚えて足を止めた。思わずあたりを見回すが、漂う色以外には何もない。自分が立っているのか落ちているのか、わからなくなりそうだった。


「ヒワ。門の中でよそ見すんな。境目に呑まれるぞ」


 エルメルアリアの叱声が飛ぶ。『境目に呑まれる』というのがどういう現象かはわからなかったが、ヒワは一生懸命虹色から目を逸らした。


「エラ」


 親を求める幼子のように名を呼んで、繋ぐ手に力を込める。


「心配すんな。オレがいる」


 自信たっぷりの声が、少女の体をなだめた。ヒワは、うん、と小さく答える。精霊人(スピリヤ)の手の感触だけを標に、再び歩き出した。


 少しして、鈴のような音が聞こえて、視界が白く染まる。白が消えると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。覚えのある感覚だ。ヒワは落ち着いて目を開ける。


 広い部屋に立っていた。白い壁と白銀色の柱に囲まれた場所。ここもまた、懐かしい。〈銀星の塔〉・白門しろもんだ。


 ヒワはエルメルアリアと視線を交わした後、隣を見た。ロレンスとフラムリーヴェも無事到着している。ロレンスが、耳までまっ赤になって契約相手に頭を下げていた。――会話はあえて聞かないことにして、ヒワは前方、エルメルアリアの下を見る。


「閉門を確認いたしました」

「おかえりなさいませ。そして、いらっしゃいませ」


 案の定、そこには二人の精霊人が立っていた。〈銀星の塔〉の門番、ルスとエスト。薄藤色(うすふじいろ)の髪を揺らして頭を下げた二人に、ヒワもお辞儀した。


「お久しぶりです、ルスさん、エストさん」

「はい。お久しぶりでございます」


 ルスがほほ笑んで言う。エストも「ご無事でのご到着、お喜び申し上げます」と続いた。そんな二人にロレンスもおずおずと頭を下げる。


 対して、内界から帰ってきた精霊人たちは平常運転であった。


「開門と閉門、ありがとうございました」

「……で、オレたちはどうすればいいんだ?」


 礼をしたフラムリーヴェの頭上で、エルメルアリアが腰に手を当てる。無遠慮な問いに、門番たちはいつもの調子で答えた。


「今後の対応につきまして、筆頭事務官様から伝言がございます」

「観測室の方へ向かうように。ステアルティード様と合流して、現状を教えてもらいなさい、とのことです」


 ヒワとロレンスの顔に緊張が走る。一方で、エルメルアリアは渋い物でも食べたかのように顔を歪めた。


「あいつの伝言に従うの、すっげえ(しゃく)だな」

「言っている場合ですか。参りましょう」


 フラムリーヴェが、ロレンスの手を引いて歩き出す。エルメルアリアも文句を垂れつつ後を追うそぶりを見せた。しかし、すぐにおろおろしているヒワを振り返る。


「観測室ならここからそんなにかからない。ちゃんとついてこいよ」

「あ、うん」


 ヒワが返事をして駆け出すと、エルメルアリアは小さく吹き出す。そんなに間の抜けた顔をしていただろうか、とヒワは己の頬を触りながら歩いた。


 白門の間を出る直前、背中に清らかな声がかかる。


「くれぐれも、お気をつけて」

「ご武運を」


 振り返ったヒワは、いつも以上に深々と頭を下げる門番たちの姿を見る。濃い憂いと緊張が漂ってきていた。ゆえにこそ、ヒワは腹から声を出す。


「――ありがとうございます!」


 その余韻が消えるより早く、開け放たれた扉の向こうへ踏み出した。



 〈銀星の塔〉の通路は、白と銀で構成されている。時折見える扉もすべて白いので、ヒワやロレンスには区別がつかなかった。


 出会う扉をすべて無視して歩くこと、しばし。再び白い扉が見えてきた。そばに見覚えのある人が立っている。彼は、ヒワたち――というよりフラムリーヴェに気づくと、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「フラムリーヴェ殿、エルメルアリアも」

「ステアルティード様」


 戦乙女の声が、わずかに弾んだ。エルメルアリアの飛び方も、先刻までより軽くなる。


 やってきた青年は、四人全員に対して「ご足労をおかけしました」と頭を下げた。後ろに流れる暗い金髪はところどころ跳ねていて、事務官の長衣も乱れている。ここしばらくの忙しさがうかがい知れて、ヒワの方が縮こまってしまった。


 その間にも、精霊人たちの間で話が進む。


「魔物の大移動と凶暴化が発生してる、とは聞いてるけど。何がどうなってんだ?」

「なんとも、説明が難しいところだが……事実として、魔物たちが各里の近くまで出てきて暴れ回っている。むろん同胞たちが対処しているが、数が多すぎて手が回っていない」

「それで、ひとまず私たちを呼び戻したわけですね」


 フラムリーヴェが確認すると、ステアルティードは「そういうことです」と申し訳なさそうにうなずいた。その前で、エルメルアリアが後頭部に両手を回す。


「なんでそんな、はちゃめちゃなことになってんだよ。兆候はなかったのか?」

「あったと言えば、あった。だが、その時点で戦士や巡視官が調査と対処に動いていた」

「なのに、こうなった?」

「なった。天外界時間の三日前、里周辺に出てくる魔物の数が普段の四倍近くまで跳ね上がった。その数はどんどん増え続け、今に至る」


 それを聞いて、精霊人たちは目をみはる。エルメルアリアが眉間にしわを寄せた。


「そんな突然……どっかで魔力変動でも起きたのか」

「今のところ、魔力の異常は観測されていない。――ただ、気になることはある」


 目の前の同胞以上に渋い顔で語ったステアルティードが、そこで一行に顔を近づける。


「一部の精霊人から、『瘴気(しょうき)と思しき黒い(もや)を目撃した』という報告が上がっている」


 声を潜めて語られた内容に、ヒワたちは息をのんだ。どろどろした闇と、ある精霊人たちの顔を思い浮かべる。報告を受けているステアルティードも同じだったのだろう。いつになく険しい表情で続けた。


「〈塔〉はまだこの情報を大々的に知らせてはいない。だが、注意しておいてくれ」

「了解した」


 静かながら鋭い忠告に、エルメルアリアがうなずく。張りつめた空気の中で、フラムリーヴェが挙手した。


「我々は、どちらへ向かえばよろしいですか?」

「〈瑞光高原(ずいこうこうげん)〉へ」


 ヒワは首をかしげる。知らない地名だ。思わずロレンスを見たが、彼も首を振った。ただ、エルメルアリアたちは平然とその言葉を受け取ったようだ。軽く何事かを話し合ってから、フラムリーヴェが「では、今から向かいましょう」と言う。


 ステアルティードは、苦しそうに一礼した。


「今、もっとも魔物による破壊活動が深刻な場所です。くれぐれも、お気をつけて」

「わかりました。お気遣いありがとうございます」

「ま、二組で行けばなんとかなるだろ」


 エルメルアリアが胸を張る。それを見て、事務官の青年はわずかに顔をほころばせた。


「じゃ、さっそく出発するか」


 エルメルアリアが旋回して、契約者のもとへ戻る。ヒワは彼の姿を目で追った。


「出発って……どこから?」


 彼女だけでなく、ロレンスも不思議そうにしている。彼は、あっ、と手を叩いた。


「またあの卵に乗る?」


 〈銀星の塔〉から降りるための、卵型の昇降機だ。その手があった、とヒワは顔を輝かせる。しかしエルメルアリアは、当然のような顔で少年の言葉を否定した。


「そんな悠長なことしてられるか。直接飛ぶに決まってんだろ」

「…………え」


 二人ともが、青ざめる。救いを求めて他の精霊人を見たが、フラムリーヴェはいつもの無表情でうなずき、ステアルティードは気の毒そうに肩をすくめただけだった。


 そうして一行は――塔の窓から、天外界の空へと飛び出したのである。

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