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10 丸の内ホーンテッドタウン ③

 一方、丸の内ホーンテッドタウンとは別の路地裏では、粗暴な雰囲気を漂わせた二人の若い男が、迷い込んだ女性に対して、紳士的とはいえない態度で接していた。

 ドクロや英単語がプリントされた黒Tシャツを着た男が刃物をちらつかせ、その後方で痩せた浅黒い顔の男が、キャップの角度を気にしながら壁に寄りかかっている。

 その壁には、天使が舞い男達が横たわる、礼拝堂の絵があった。

 二人を見比べつつ周囲を窺う伊原に、ドクロシャツの男が得意気な声を出した。

「オバさん、警察とか呼ぼうと思ってる? ここ誰も来ないしムダだし」

「あら、わかってるのね」

 のんびりと言った伊原は、突如ナイフを持つ男の手首を掴み、握り潰すかのように強く力を込め、肘ごとあらぬ方向へ捻り上げた。抵抗どころか声すら出せない男からナイフを没収すると、キャップ男が慌てて逃げようとする。

 控えていた北条がキャップ男を取り押さえると、伊原はドクロ男を締め上げる力を弱め、その喉元にナイフを突きつけて言った。

「お巡りさん達は『起こったコト』を処理するのがお仕事なのよ。『刺されそう』じゃ来てくれないわ。『刺されてから呼んでね』って言われたことない?」

 そりゃ医者とか救急車だろ、とドクロシャツに汗を滲ませた男が呻く。伊原はナイフに息を吹きかけ、残念そうな声を出した。

「医者は、刺し傷を見たら警察に言わなきゃいけないの。忙しい警察の手を煩わせてはいけないわ」

 何モンだババア、と喚く男を再び締め上げた伊原は、北条が押さえているキャップ男に目を留め、その顔を覗き込んだ。

「顔色がよくない。痩せ方もおかしい。物が食えなくなるほど疲れているのか?」

 目の合ったキャップ男が怯えたように浅黒い顔を反らす。伊原はその呼気に顔を顰めた。

「重度のヤク中だ。もう人間には戻れないな」

 そいつは捨てておけ、と伊原が顎で指示をすると、北条は押さえていた男を解放した。よろよろと逃げていくキャップ男を尻目に、伊原は抱えていたドクロ男を壁に押し付け、ナイフを突きつけながら睨んだ。

「お前の方がまだマシなようだ。……お前は、売人を知らないのか?」

「だから、あの……はい」

「嘘だな」

 男の前歯にナイフの刃先をこつんと当て、伊原は見透かすようにその目を覗き込む。

「呼吸が乱れた。過剰に発汗した。目が揺らいだ」

 男が驚いたように目を見開く。伊原の発言がハッタリであることを知っている北条が、なんとなくあさっての方向を見る。泣きそうな顔の男が言った。

「あ、いや、売人っていうか、マジ買ったんじゃなくて、女の子からもらったやつで」

「子供?」

「そうっすマジっす、錠剤と結晶っぽいのくれたんで、結晶の方を炙りで試したら、モノホンだったんで」

「錠剤は?」

 ナイフの刃先で男の唇をつつく伊原に、男が震えながら答える。

「まだ試してないです。……結晶と一緒に舐めろって話だったんで」

 男がズボンのポケットに目をやる。そのポケットを北条が探り、間違いないですね、とプラスチックとアルミでできた錠剤のパッケージをつまみ上げた。その甘い匂いに伊原も確信したように肯き、もういい、とドクロシャツの男から手を離す。

 解放された男はどこか従順な態度になり、伊原にぺらぺらと知っていることを話すと、自分の右頬を指差した。

「薬くれた子、ココが赤かったっす。なんか塗ってたみたいな感じです」

「……そう。最近の子は個性的でファッショナブルだわ。あなたもなかなかよ」

 じゃあね、と伊原はナイフを投げ捨てて背を向けた。


 北条が車を出すと、後部座席で伊原が大きくため息をついた。

「オバサンちょっと疲れちゃったわ」

 北条は黙ったままハンドルを握る。表参道から青山墓地を抜け、渋滞を避けて裏通りへ入った。ここもか、と閉鎖したガソリンスタンドを伊原が眺める。

 その壁には、以前より上達している天使の絵があった。古い絵が秋山達に消されても、懲りずに新しい『壁画』が現れる。

 赤坂を過ぎたところで遠慮がちに北条が口を開いた。

「薬を持っているのは、十代前半の少女という感じですね。右頬には、塗料または化粧品のようなもので赤いマークがあり、壁画のリンゴ部分にも同じものを塗っている。これは、ほかの目撃例とも共通しているようです」

「壁の絵については心当たりがある」

 伊原が腕を組んで目を伏せた。北条は前方に集中しながら尋ねる。

「……あれは、なんのために?」

「私に喧嘩を売ってるつもりかもね。あの絵の作者が子供であることまでは理解できる。しかし、それが少女で、薬をバラ撒いているというのが解せない」

「私には、あの絵を描いたのが子供だというのも十分信じがたいですよ。その子供が薬をバラ撒いているのなら、四人の男を殺して逃げたのも、その子供という話になりませんか」

「そうは思えないから、秋山も私の関与を勘繰ってるのよ。ただ、絵を描いている子供と、薬をバラ撒いている子供は恐らく別人。そしてあの絵にある二年前の死体は、事故に近い状況でできたものだと私は考えている」

「それを、秋山には?」

「言わないわよ。事故だったとしても、薬と金を持ち逃げした人物は存在している。それをいちいち説明してやる義理もないし、私にとって不利な話であることは変わらない」

 ダークレッドのメルセデスは内堀通りを進み、四番町の外れに向かった。伊原記念館の敷地に乗り入れると、伊原が思い出したように呟いた。

「二年前に、裏門と礼拝堂の鍵を奴に渡したのが悪手だったわ」

「しばらく使われていない施設だと伺いましたが」

「昔の名残よ。ここだって、私が特別な患者を収容するための療養所にしていただけ」

 車を止めた北条が後部座席のドアを開け、伊原が車を降りる。二年前までは聖フィーナ伊原記念病院の第八病棟と呼ばれていた、伊原記念館の正面に立った。

「別名、伊原病棟でしたね」

北条も白い施設と奥の庭園を見る。敷地の中は手つかずのまま残してあり、老朽化した小さな礼拝堂は封印され、立ち入り禁止となっていた。

二人は施設正面入口を通り、古い骨格標本や金色の尿道拡張器、回転する刃で皮膚を傷つけ血液を絞り出す器具、割礼儀式用ナイフなどが展示されているエントランスを過ぎて館長室に戻った。

 二年前より静かになりました、と北条がコーヒーをデスクに置く。でも、と伊原はカップを持ち上げて肩をすくめた。

「あなたが味方になるとは思わなかったわ。帳簿と実態が合わないことを、さすがに誤魔化しきれないと思っていたから」

「まずは誰にも気付かれないように調べました。どこが狂っていて、何が起きているのか。そして狂っていたのは私の職場で、面倒なことに関わっていたのが先生でした」

 北条が微かに口の端を上げる。当時の北条の職場は不祥事が発覚し、その調査や対応で混乱状態だった。北条はその騒ぎに乗じて伊原の不正をうやむやにすると、自分も会社を見捨てて伊原に付くことを選んだ。

「仏心は仇になるわよ。訳ありの患者を助けたせいで、面倒な輩と関わるはめになった。患者が死のうが生きようが、私の仕事は私の中に残る。取り返しがつかなくなる前に身を引いたつもりだけど、あなたに同じことをさせてしまった。そのまま良い子にしていれば、大企業の社員になってたのにね」

「ウシタだろうがクラオだろうが、私にとっては一緒ですよ。どっちに行っても厄介で、キレイな居場所はどこにもない。そんな世界を逃げ回るより、外に出た方が気が晴れる。そう考えただけです」

「私の悪事に加担することになっても?」

「その悪事は、元・職場の不祥事になりましたよ」

 困ったような顔で北条が伊原をちらりと見る。そうね、と伊原は険しい目をした。

「礼拝堂で死んでいた四人のうち一人も、あなたと同じく、元ウシタ製薬の社員だった」

「あの壁画の隅にいたのがそれなら、譲原の仲間だった津田という男です。どこの機材を利用したかは知りませんが、あの二人が密造を企てたんでしょう。捕まった彼らの上司と似たり寄ったりです」

 どこか申し訳なさそうに北条が薄く笑った。いくつもの不祥事が明るみになり消滅したウシタ製薬では、関係者の逮捕に伴い、合成麻薬の密造が発覚している。

 伊原はコーヒーを飲み干し、低い声を出した。

「ことが起きたのは夕方で、ゲリラ豪雨のあった時間帯だった。死ぬ間際の部下と秋山が話したらしいけれど、私が礼拝堂へ行ったときには、四人とも死んでいた。もちろん薬も金もなかった。そして今バラ撒かれているのが、あの日に消えた錠剤と、覚醒剤のセット」

「では、なんらかのアクシデントにより四人は死に、なぜかそこに居合わせた子供が絵を描いて回っている、ということですか」

「わざわざ私を描き加えてくれた絵をね。病棟を閉鎖するのは当時から決まっていたし、入院患者はごく少数で、その大半が子供だった。そしてあの日は、急変した子供の対応でスタッフは手一杯だった」

 立ち上がった伊原は書棚に向かうと、青い表紙のリングファイルを手に取ってページをめくった。ふとその手を止めてデスクにファイルを置き、北条に示す。

「当時の、『別館第八病棟』の入院患者。その中でも、動ける患者がいたのはこの部屋」

 伊原がリストの二号室と三号室を指差す。小野丸空良、伊原忍、飛田忠雄、戸川早紀と名前が並ぶ。伊原はその中の『伊原忍』にペンで二重線を引き、三人だ、と付け加えた。

「この『飛田』というのはやはり……」

「ええ、でも彼は白。そして事件の直後に、『小野丸空良』が急遽退院することになった。事情があってこの病棟に移していたんだけど、どういう話をつけたのか、出入りしていたクラオ製薬の人間の申し出と、本人の希望とで退院が決まったの」

「当時、クラオ製薬でここの病院を担当していたのはキリノさんでしたね」

「だが、小野丸空良の家に話をつけたのは、彼の紹介で来た安藤という男だった。ここの施設への寄付の申し出だったかしら。寄付してください、はよくある話なんだけど」

「小野丸空良の事情というのは?」

「……簡単に言えば、母親から彼を隔離して経過を見ていたの。だが結論が出るより前に、安藤という男が小野丸空良の問題をクリアしていた」

 どういう男なんですか、と北条が怪訝な表情で眼鏡のブリッジを押さえた。伊原は青いファイルを閉じて肘をつき、わからない、と首を振る。

「調べてみても、安藤という男は、槙野組やら育ちの悪い連中とは、全く関わりがない。そもそも製薬の人間でもなく、クラオホールディングスの持つ化粧品ブランドの役員だ」




 その頃、コンパスの返却はとりあえず諦めた空良と安藤達が、少し戻ったところにある輸入バターの専門店で、オリジナルのアイスクリームを眺めていた。

 私キャラメルー、とあいなが目を輝かせ、私レーズン、とあいみがガラスケースの中を目力でロックする。空良くんは? と二人が空良を挟んで尋ねる。

「普通の白いやつ」

「僕も同じプレーンにしよう」

 ごっそりとアイスクリームのカップを抱えた安藤が会計を済ませ、溶けちゃうからすぐ食べましょう、と表のベンチを指差す。レンガ造りの美術館を背にしたベンチに陣取ると、はい空良くん、とあいみがスプーンとカップを手渡し、あれ、と困ったような声を出した。

「安藤、アイス一個多くない?」

「ああそれは……あちらの紳士に」

 カップの蓋を開けながら、安藤が右手を示す。少し離れたその先には、ジャケット姿の飛田がベンチにちんまりと座っていた。


 アイスクリームを食べ終わり、五人で管地のブースへ向かうと、安藤はブースの外壁をノックしながら中にいる管地に声を掛けた。

「お疲れ様です、菅地。どうですか、『怪奇!骸骨博士の標本置き場』は?」

「いやもうダメだ! 俺はニューカレドニアとかのビーチで水着姿のお姉ちゃんを眺めてリハビリしてくる。これ以上こんなところにこもってたら頭がおかしくなる」

 マジだぞ、とげっそりとした管地が喚きながら顔を出す。空良がブースの中を覗くと、空良の描いたエロい絵を上回るレベルのおどろおどろしい背景が、びっしりと描かれていた。飛田がブースを眺めてうんうんと肯く。

「サム・ライミ作品に通じるものがありますな」

「……なんでいるんだよ」

 しっしっ、と追い払うように管地が手を振ると、私のどこが気に入らないんです? とくねっとしっとりした壁に飛田が縋りつく。どこを気に入ればいいんだよ、と疲れた顔で息を吐く管地に、安藤が提案した。

「管地も消耗してるようだ。作業が終わったのなら、みんなでいいところに行こう」

「なんならカラフルなエプロンつけたメイドカフェでも構わん」

「あそこのカフェ、エプロンカラフルだよ」

 気を利かせた空良が十字路を指差す。その先には人気イベント『落ち武者カフェ・無念でごさりまするお館様』の落ち武者スタッフが、夕刻のやわらかな光と緑の木立のもとで、カラフルな甲冑をまといながらドリンクを運んでいた。

 

「妙な仕事ばっかり持って来やがって」

 ぶつぶつと愚痴りながら管地がフカヒレのスープを飲む。五人は落ち武者カフェの先にある中華料理店に入り、早めの夕食をとることになった。

「でも、菅地の組合だか協会だかの紹介する仕事より実入りはいいはずですよ?」

「そりゃそうだが、アートイベントなんて話だから服新調しちまったぜ」

 フォルミコラだぜ、と管地がピクルスグリーンのシャツをつまんで見せる。作業着でも構わないんですけどね、とフカヒレを味わう安藤に管地が言った。

「俺が給食当番みたいな格好で作業すると思うなよ? これ以上オシャレさせんなっつの」

 全然大丈夫だよ、と空良が海老のすり身揚げを冷ましながらフォローする。そうそう、とチャイナドレスの女性店員から揚げたての蟹爪を受け取って飛田も肯いた。

「全然オシャレじゃないですよ。オシャレはその場の状況に合わせた上で楽しまないと。やっぱり空気を読めない人には難しいですよねー」

 お前が言うな、と管地が蟹爪揚げに箸を突き立てる。僕はいつもこんな格好ですけどね、とスーツ姿の安藤が揚げ物にかぶりついた。

 次から次へと出されるコース料理が一段落して、あいなとあいみがドリンクを追加しようとメニューを見ているあいだ、空良が小声で安藤に聞いた。

「安藤って、誰に見られてるんだ?」

「へ?」

「昼の話。つけられてるのか?」

 エッグタルトの皿に手をつけずに空良が尋ねる。安藤は杏仁豆腐をすくった手を止め、ああ、と一瞬遅れて言った。

「その辺は、男同士で夜にでも話そう」

 やだ、という空良に、そう言うな、と安藤が小さく笑った。


 店を出ると日は落ちていた。安藤は管地に断りを入れ、ちょっと夜遊びしてきます、と空良を連れて夜の道を歩き出す。気をつけてねー、と手を振るあいな達に手を振り返した空良は、嫌々ながらも安藤の隣を歩く。

「安藤は、自分の会社に見張られてるのか」

「それもある。クラオの監視は仕方がないんだ。そしてもう一つ、今のところは接触してきてはいないが、面倒な存在に目をつけられている。昼間あの男が言ってた、鯨井組ってところの幹部だ」

「……葉月が葬式したところか」

 昼間の話を思い出しながら空良が呟く。昼の交通規制が解除され、タクシーが並ぶ通りをのんびり歩きながら安藤が言った。

「こういう話に詳しくなる必要はないが、君が知りたいならちょっと話そう。このあたりで活動している、鯨井組、槙野組という反社会的な集団がある。鯨井興業とかマキノ企画とか一般企業のフリをしているが、どちらも関東剛光会という組織に属してるヤクザだ。そして君が描いた絵は槙野組にとって迷惑な内容で、僕はその件で鯨井組の人間にマークされている。このことが本部にバレないよう気をつけないといけない」

「それ、葉月も関係あるのか?」

「まあね。彼女の場合は仕事の絡みだとは思うが、彼女は彼女で何かあるかもしれない。人の子として生まれたからには、間違いがひとつもないわけがない」

 東京駅に向かって歩く安藤の横を歩きながら空良が尋ねる。 

「安藤は、何かあるのか? 会社とか、クジラ組に見張られるような」

「……彼らは、僕の視線の先を見ようとしている。そんな感じだ」

 クジラが? と小さく聞き返す空良に、どっちもだよ、と安藤が笑う。

「他人には、僕が宝の在り処を知っているように見えるらしい。クラオとしては僕をクリーンな状態に保つための措置のつもりかもしれない。僕が触れたものは強い光に晒され、精査されて切り取られていく。だから僕は、取り上げられたくないものは視界に入れないようにしている」

 東京駅の地下通路を歩き、日本橋口に出た。目前の光るガラス箱のようなビルに入り、エレベーターで二十七階へ向かう。夜景が広がるバー・レストランでドリンクを注文し、ソファにもたれて足を組んだ安藤は、光の駅を見下ろしている空良に言った。

「やっと落ち着けるな」

「まったくです」

 えっ、と予想外の声に驚いた空良が振り向く。すぐ隣の席に座っていた飛田に、安藤が思わず笑いながら尋ねた。

「飛田さん、なんでいるんですか」

「あ、ちょっぴりミステリアスでしたか」

「いえもう、オカルティックですよ結構」

 眠気が飛んだような顔で安藤がハーブティーに口をつける。オレンジジュースを受け取った空良も瞬きをしながら飛田を見る。よくあることです、と飛田はピンクレモネードをちびりと舐めた。

「ヴェルベストを着たサンジェルマン伯爵みたいなものだと思ってください。それより、空良くんこの頃、恐い人達に追っかけられてたり何かされてない? 大丈夫?」



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