10 丸の内ホーンテッドタウン ②
その頃、ブースの内側に後付けするパネルの一部を任された空良は、ここはもうちょいエロくな、という管地の指示について深く考えていた。
「エロく……」
どんなんだっけ、と手を止めた空良が天を仰ぎ、ふと通りに視線を戻すと、管地が先刻エロいと賞賛していたオブジェが目に入った。青緑や赤茶の塗料を手にしていた空良は、その曲線がもたらす官能的な柔らかさや、水をまとうような質感を強調して作業を進める。
「俺はその『鏡の前に立つ後ろ姿の女』を、もうちょい色っぽく仕上げて欲しいなーっていうお願いをしたわけだが」
背後からの声に、うん、と空良が振り向かずに作業を続ける。さらに管地が一歩近付く。
「そのエイリアン4みたいなのはなんだ」
「くねっとしっとり。エロい」
「……わかった、間違ってるがこれはこれで行く。つうかお前はそろそろコンパス返しに行ってこい」
青緑色の粘液の中で蠢く、赤茶色の軟体生物のようなものをバックに管地が命じる。
空良はリュックを背負い、幸運の印をつけたコンパスを取り出すと、ふと管地に聞いた。
「……どうしたらいいかな」
「んなもん、どうにもならなかったら普通に呼び止めろ。で、さりげなくそのお姉ちゃんの胸元にでも放り込んどけ。簡単だ」
「……行ってくる」
アドバイスを聞き流した空良が走り出す。安藤に教えられたエスカレーターの降り口を見ると、スーツ姿の男性達がわらわらと下りてきていた。
スーツの男達が途絶えてしばらくしたあと、葉月が下りてきた。グレーのスカート姿で長めの髪をなびかせながら、明るい表情で仲通りの方向へ歩いていく。
空良はどうにもならないまま、葉月の後ろを歩き始めた。スリみたいな技は使えないし、コンパスを拾ったと嘘をつくとしても、葉月にどう話しかけたらいいのかわからない。
昼下がりの丸の内、プチホラーハウスだらけの仲通りで、楽しそうに歩く葉月の後ろを空良はひたすらトレースしていた。
そんな空良の後ろを歩いていたあいなとあいみは、まだ撤収作業中のセミナー会場にいる安藤に連絡を入れた。
「今、チョコレート屋さんのそばにいるんだけど、ちょっと気になる人がいるよ」
『王子様でも見つけましたか』
全く期待していない安藤の声に、その逆、とあいなが残念そうに続けた。
「空良くんに妙なのついてる。葉月ちゃんの方かもしれないけど」
「女がどうとか、ガキがどうのって携帯で話してたよね」
横からあいみも口を挟む。空良を目で追いながら、二人は向かいのジュエリーブランド店まで移動する。
『彼ら、今日は来てますか?』
「今のところはノーマークみたい」
『では僕が行こう。どのへんですか?』
あいなに尋ねたそばで、すみません急用入りましたー、と安藤が現場スタッフに断りを入れる。話しながらも歩き出している安藤に空良の居場所を告げると、大体わかりました、という安藤の声と靴音が響いた。地下通路から向かっているらしい。
「今、葉月ちゃんはお花屋さんの近く。空良くんは今……」
バターのお店のトコ、と言いかけたあいなが黙る。高級バター専門店の前に佇む空良の背後で、地下通路の出口に現れた安藤がひらひらと手を振っていた。
なんでいるんだ、と嫌そうな顔をする空良とともに葉月のあとをつけていた安藤は、『ついてくる!ウナギ男の恐怖』や『人食いサボテン危機一髪』のブースで空良を足止めし、さらに方向を変え、『絶叫・黒い公衆電話』の前で立ち止まった。なんだよ、と迷惑そうな空良に安藤が尋ねる。
「一応聞くが、あの男達は君の知り合いか?」
安藤は『ミイラ学校ファラオ先生』のブースを示し、右の方、と小さく言った。空良が言われた方向を見ると、ぺっとりした焦げ茶ヘアーの男が、金髪頭にサングラスを乗せた男と話している。
「……右って、あの二人? どっちも知らない」
「僕らはこれまで三度方向を変えた。なのにあの男達は僕達のそばにいて、今、見失った誰かを探しているようだ」
なにそれ、とよく見ようとする空良を安藤がブースの陰に引っ張る。
「僕は常にこういう環境にあるからね、慣れてるんだ」
「……安藤を見張ってるのか」
「彼らは違う。君か、小坂葉月さんをつけているようだ」
えっ、と空良が顔を上げ、焦ったように言った。
「トビタさんの言ってた話なら誰にも言ってないし、まだコンパスは返してない」
「知ってる。それとは別の話だよ」
まあ聞けたら聞いてみよう、と安藤は四方を確認し、空良を連れて歩き出す。帝国劇場方面へ歩いていく葉月からはあえて離れ、逆方向の東京国際フォーラム方面へ歩いてみる。イベントで賑わう通りからも離れ、右手の細い通路に入った安藤は、そのまま身を隠して男達を待った。
大丈夫なのか? と顔を出そうとする空良を安藤が押さえる。あまり柄の良くない男の声が近付き、角を曲がってきたところを、安藤が間近で迎えた。おあっ、と驚いた男達が飛びすさりかけてバランスを崩す。
それにしても、と安藤は腰に手を添えながら明るい声で言った。
「ホラーイベントとはいえ、こんな明るく楽しいご家族向けの企画に、下っ端とはいえ、ヤクザがいるのは刺激が強すぎやしないか?」
体勢を立て直した二人が顔を見合わせ、改めて威圧的な表情を作る。ぺっとりと貼り付いたようなチョコレートヘアーの面長男が、体を反らせつつ尖った声を出した。
「う、うるっせーよ! ご家族のために歩いてるわけじゃねえ!」
「つうかお前ら、なんであの女をつけてんだよ?」
サングラスを頭に乗せた男も、もっさり伸びた金髪をかき上げて不機嫌そうな声を出す。大柄の安藤は二人を見下ろし、納得したように言った。
「つまりあなたがたは、彼女が目的ということかな」
何モンだてめえら、と凄む男達を前にして、着信音が響いた。電話に出ても? と安藤が明るく断りを入れ、男達が何か言う前にスマートフォンを耳元に当てる。安藤、と空良の耳にもあいなの声が聞こえた。
『その、エクレアとモンブランみたいな大人カワイイ甘口コーデは?』
「エクレアはどうでもいいけど、マロンの乗ったモンブランは気になるところです」
安藤が話しながら男達を見る。かしこまりー、というあいな達の声がどこからか重なり、安藤はスマートフォンを内ポケットに収めた。次の瞬間、男達の背後にあいなとあいみが現れ、それぞれが男達の腕にしがみつくように動きを封じる。
「やだ大変、腕とか首とか捻挫したっぽい?」
「肩外れちゃったかな? 応急手当てするね」
なんだお前ら、と中途半端に抵抗する男達を、双子がきゃいきゃいと心配しながら拘束する。安藤が周囲を確認しながらたしなめるように言った。
「人前でのメイク直しはダメ絶対、です。人目のない場所でお願いします」
大丈夫ですかー、とあいながにっこり笑顔で男を物陰に引き込み、ごめんね痛いよねー、とあいみが男を押さえ、物陰に準備していた大型バッグから、白と空色の二種類の包帯を取り出した。双子は男達の両腕に、有無を言わさぬ速さと力で空色の包帯を巻き、その上からざらついた白い包帯を霧吹きで濡らしながら手早く巻きつけた。
「ちょっと我慢してねー」
「動かないで下さいねー」
「……いや、なんか動けなくないかコレ」
停車しているトラックの陰で、後ろ手に手首を固定された焦げ茶頭のエクレア男が顔色を変える。そうねー、とあいなが優しく母性に満ちた声で言った。
「ギプス包帯だからねー」
「三分で固まるからねー」
もっさり金髪のモンブラン男は、腕を前に固定されて、祈るような形で固まっていく。その頭からあいみがサングラスを取り上げ、はいマロン、と安藤に渡した。
安藤は茶色いグラスを透かしながら指示をする。
「エクレアさんの方は丸の内警察署で引き取ってくれそうな匂いがしますので身体検査、モンブランさんからは少しお話が聞けるといいんですけど」
はーい、とあいなが男の体をまさぐり始める。大丈夫か、と心配そうな顔をする空良に、安藤が自慢気に説明した。
「大丈夫、あれは水で固まる石膏付きのギプス包帯だよ。ほかの会社からも出ているけど、クラオの製品は霧吹きで使えるし、素手で扱っても肌荒れしにくいのが特長だ」
そうじゃなくて、と顔を顰める空良の横で、あいなの明るい声が届いた。
「なにやら不思議な薬草発見でーす。でもハーブじゃないやつだよこれー」
「当たりですね。そういうわけで、エクレアさんのためにも話を聞かせていただけますか、モンブランさん」
安藤はあいみが押さえている金髪男に向き直り、サングラスを揺らして続けた。
「まあ大体はわかってるんですけどね。あなた方はこの辺をアレしている槙野組の部下、っていうか手下で、エクレアさんは小遣い稼ぎでああいうのを扱ってるんでしょう」
「お前らはなんだ? こっちはあの女に用があんだよ、この腕を早くなんとかしろ!」
あいみにホールドされながらも、金髪男が祈る乙女のようなポーズで毒づいてみせる。安藤は葉月のいた方向を適当に眺めて言った。
「向こうはあなたがたに用はなさそうですけど、彼女が何か?」
「あの女の仲間が、ゲンクソ悪い絵を消しても消しても犬の小便みたいに描き散らして、薬バラ撒いてるってトコまではわかってんだよ! ……いっ、いたい痛い」
ダメよ大声出しちゃ、とあいみが背後から男の関節を締める。ほらな、と安藤が空良に目配せをした。
「言っただろう空良。君としては僕への告発というか、嫌がらせのつもりかもしれないが、もっとダイレクトに関係している輩がこうして動き始めている」
「……でも薬は知らない」
「だよな。モンブランさん、どこからの情報ですか?」
安藤が尋ねると、あいみがぐっと男の両腕に力を入れる。痛っ、と歯を食いしばりつつ男が答えた。
「痛い痛い、いや、だからウチが追ってる薬を持ってた奴が、壁で絵を描いてたガキからもらったってあああ痛い痛い」
「そっちの事情は、多少こっちも知っている。追ってる薬ってことは、秋山氏の動かした二年前の取引の関連かな」
なんだお前、と怒鳴りかけた男があいみの腕の中で悶絶する。涙目の男に安藤が告げた。
「僕はあの『壁画』を知っているだけの部外者で、例の薬とは一切関わりがないよ」
「だったら、あの女とどういう関係だ?」
あの女とは? ととぼけるように人差し指を顎に当てて安藤が尋ねると、あのコサカって女だよ、と忌々しげに男が睨む。空良が顔色を変えた。
「葉月を知ってるのか?」
「知らねえよ。……上に言われて見張ってるだけで」
「じゃあなんで部屋を荒らしたの」
男に慣れてきた空良が尋ねる。知ってんのか、と男はあいみの存在に怯えながら嫌そうに答えた。
「あの女が義理場にいたんだろ。秋山さんは『鯨井の義理場にいた女』ってのを探してて、あの女をマークしてんだよ」
ギリバってなに、と空良が安藤に聞くと、お葬式みたいなものよ、とあいみが答える。なるほど、と安藤は顎に手をやりながら尋ねた。
「では、あの絵の中心にいる白衣の女性はノーマークということかな」
「あのセンセイは別枠なんだよ。詳しくは聞いてない。ただ、消えた薬をガキがバラ撒いてたって話はマジだ。薬を持ってた奴らは、口を揃えて『壁に絵を描いてた女の子』からもらったって言いやがった。秋山さんが睨んでる女と関わりがあるんだろうよ」
あいみに拘束されたモンブラン男が汗まみれで睨む。そろそろ解放してあげますか、と安藤が男の頭にサングラスを返すと、エクレア男を押さえていたあいながマッサージ器のような器具と電源ボックスを取り出した。コンセントはー? とあいみが周りを見回す。
丸の内警察署でお借りしましょうか、という安藤に、モンブラン男とエクレア男が首をぶるぶる振って猛烈に抵抗する。あそこ、と空良が離れた場所にあるブースを指差した。見ると隅にはポータブル電源らしき機器が置かれている。
「あれ、たぶんコンセント使えるやつ」
さっすが空良くん、とあいなとあいみは男二人を連れてブースへ向かい、電源を借りる交渉をする。ホント助かりますー、と安藤も笑顔でブースの主に心付けを渡し、すぐ終わらせますねー、とあいながコンセントを繋いで電源を入れた。ぶいーんと骨に響きそうな音とともに、鋸刃のある円盤が高速で回転する。
おいやめろ、とエクレア男が細い声を出して後じさる。なんだそれ、とモンブラン男も顔色を変えた。あいなとあいみが二人を固定しながら優しく微笑む。
「ギプスカッターだから恐くないよー?」
「平気だよー、外して欲しいでしょー?」
ギプスに回転する刃を当てると、ガリガリと石膏を削る音が響いた。高級ブランド店がちらほら見える通りの片隅で、洋風ホラーテイストのブースから漏れる男達の叫び声に、あそこ恐そう、と通行人が呟いていく。
「あの人達、こんなところであんな声出して、あれで仕事になるんですかね」
二人を解放したあと、安藤がやれやれと息をついた。歯医者さんでもあんなじゃない? とアルコールティッシュで手を拭くあいな達に、空良がしみじみと尋ねる。
「あいなとあいみはどうしてそんなに強いの」
「……空良くん、大事なことを教えてあげる」
手を拭き終わり、すっと姿勢を整えたあいなが、真面目な声を出した。あいみも右手を腰に当て、胸を反らし気味に立ちながら、真剣な目をして言う。
「美女だからって、美男にモテるとは限らないのよ」
「むしろ美人は変なのに絡まれるの」
「だから美人は強くないとダメなの」
口々に語るあいなとあいみに続き、安藤も肯きながら言った。
「お二人とも強いですよ、ちょっとした暴漢くらいは返り討ちにしますからね」
「そう、美人は表に出たら百人の敵がいるのよ」
わかる? とあいなとあいみが屈みながら空良の顔を覗き込む。敵だらけなんだな、と空良も真顔で肯いた。
四人で丸ビル方面へと戻りながらも、空良がいくつかのブースを覗いていると、高級クリスタルガラス店の脇で屈み込み、壁に向かって何事か話している葉月を発見した。陰に隠れた空良が耳を澄ます。
「私、何も持ってませんよ」
困ったような葉月の声に、空良が首をかしげる。ついてきた安藤も不思議そうに空良を見た。もう、と葉月は足下にまとわりつく灰色の物体に、囁くような声で言った。
「今は、豆とかあげるものないんですよ」
なんだ鳩か、と壁に寄りかかった空良が、ほっとしたように力を抜いた。同じく状況を理解した安藤も肩をすくめる。まあいいか、と空良が小さく息をついた。




