10 丸の内ホーンテッドタウン ①
ここまでの主要人物の追加です。
小坂 葉月……葬儀会社『柊セレモニー』に勤める若い女性。
槙野組……関東剛光会の系列組織。秋山が所属。
鯨井組……関東剛光会の系列組織。
花井……槙野組。秋山の部下。紫色のジャケット着用。
譲原……秋山と行動を共にする、ウシタ製薬の元社員。北条の元同僚。
翌日、暑い盛りの丸の内仲通りでは、朝からイベントの準備が進められていた。
歩道のちょっとしたスペースや、通りに面している商業ビルのエントランスには箱形のブースがいくつも設置され、その外観はすべてオバケや妖怪、目の光る日本人形や黒い羽を持つ悪魔など、恐ろしい絵と装飾が施されている。
ブースにはイベント名の入った幟が立ち、通りにも同じ図柄の垂れ幕が下がっている。そこにはおどろおどろしくもかわいげな字体で『丸の内ホーンテッドタウン』とあった。
丸ビル手前のブースでは、ピクルスグリーンのリネンシャツを腕まくりした管地が、外装のドクロ風デコレーションを仕上げていた。空良がタオルを渡しながら尋ねる。
「これがゴーストタウンなの?」
それちょっと違うぞ、と管地が受け取ったタオルで首筋を拭いた。その首にはイベントスタッフ用のIDが下がっている。
「ホーンテッドタウンな。要はこの仲通りの所々を、プチお化け屋敷にするって企画だ」
ふうん、と空良が向かいにある『口裂けミイラの呪い』や、隣の『高速・花嫁ばあさん』のブースを眺めた。その首にもイベント関係者を示すIDカードが掛かっている。
イベントブースとは別に、仲通りのあちこちには、彫刻やアートオブジェなどが設置されていた。これもお化け? と空良が不可解なオブジェを指差す。
「違うわ。そりゃ箱根の美術館から来た、真っ当な美術品だぞ?」
じゃあすごいのか、と空良が納得しようとする。わからんか、と管地は腕を組むと曲線的なオブジェを眺めて言った。
「わかりやすく言えば、柔らかそうで、くねっとしてて、しっとりしてそうなところが、なんともエロくていい」
そうなのか、と真剣に肯く空良の背後から、ふっと柔らかな存在が絡みついた。驚いて飛び跳ねようにも強い力と量感のある肉体で押さえ込まれる。視界を遮断された状態で、楽しそうな女性の声が響いた。
「だーれだ」
「……あいみ」
真後ろから手と胸で抱きすくめられた空良がぽつりと答える。正解、と目隠ししていた手と胸を離してあいみが笑った。あいなも驚いたように空良の頭を撫でる。
「すごーい、声だけでよくわかるね!」
声だけじゃないから、と空良が呟く。安藤はどうした、と周囲を見回す管地に、電話中、とあいなとあいみが地下へ続く階段を指差した。空良が覗き込むと、階段を下りたところでスマートフォンを耳に当てているネイビースーツの男が見える。
連れてくる、と黒いリュックを背負った空良は階段を下り、地下通路の奥に立っている安藤に近付いた。やあ空良、とスマートフォンをしまう安藤に、空良は用件だけを伝える。
「向こうで菅地が待ってる」
そうか、と安藤は急ぐ様子もなく、のんびり階段に向かいながら言った。
「ちゃんと菅地の言うことを聞いてるようだな。掃除や道具の手入れもしているか?」
「現場の片付けはするけど、部屋はやらせてくれない。『自分の寝床を手入れしろ』って」
ははは、と階段を上りきった安藤が通りに出る。遅れて地上に出た空良が、正面にあるドクロマークの付いた黒いブースを指差した。安藤がパンフレットを確認しながら管地のそばへ行くと、空良もそのパンフレットを覗き込んで管地に言った。
「ぼく、『絶叫・ゾンビナースステーション』と『血まみれ坊主・地獄の墓参り』が見たい」
「おう行ってこい。ついでにとろみとかゆみの二人も連れていけ。甘いもんでも食ってろ」
うん、と空良が肯くと、わーい、とあいなとあいみが目を輝かせる。時間までに戻って来てくださいねー、と三人に手を振る安藤の隣で、管地がため息をついた。
「丸の内でよくこんな企画通ったな」
「こう見えてもメルヘンチックなモチーフが多いですよ」
安藤が周りにあるブースを示す。管地が引き継いだブースは、適当に黒く塗られた箱型セットにぽつりと井戸があるだけのもので、担当者がイベントのコンセプトを勘違いして直前に頓挫したブースだった。
「ここのブースにエントリーしていた人は、非常にクオリティの高い『お化けメイク』が得意なアーティストで、本人があの井戸から出たり入ったりするつもりだったそうです。ですが今回は、お化け『屋敷』がメインなので、お化け役の人間が常駐するのはNGです。『お化け』そのものではなく、その器となる『箱』をアート作品とするイベントですから」
「頑張る方向を間違えたか。気の毒に」
「でもこの暑いなか、特殊メイクで井戸に常駐って無理じゃないですか?」
安藤がパンフレットで顔を扇ぐ。だよな、と管地が肩を震わせて笑った。
しばらくして、あいなとあいみを引き連れて空良が戻ってきた。どうだった、と尋ねる管地に、なかなかだった、と空良が真面目な顔で答える。その両脇からあいなとあいみが楽しそうに報告した。
「恐かったよー! 『恐怖の地底人・開かずのマンホール』とか」
「あと、『悪夢・踊る毒キノコ』も恐かったー! 空良くんに抱きついちゃったよー」
当分キノコ食べられなーい、とあいなが両手で頬を押さえると、私も当分マンホール開けられなーい、とあいみが両手で胸を押さえる。ああそうかい、と聞き流す管地をよそに、あいなとあいみが聞いた。
「空良くんは?」
「……『血まみれ坊主・地獄の墓参り』はけっこう面白かった」
「ああ、お坊さんが血を吐きながら悲しそうにお経をあげてるやつね」
「お寺でお坊さんが泣きながらお供えのおまんじゅうを数えてるやつね」
あいなとあいみが口々に言った。なんだそれ、と管地が空良の顔を見る。
「お前、そういうのは平気なの?」
「動かないからあんまり怖くない。あと、そんなに血まみれでもなかった」
結構地味だったよねー、とあいなとあいみが肯きあうと、安藤も口を挟んだ。
「あんまり過激なものや下品な出し物はできないですからね。一応、上品なご家族向けのオバケイベントなので表現は抑えめです」
「……あと、急にびっくりさせるのは嫌だけど、ここは平気。住みたくないけど」
重要なことのように空良が付け足す。そりゃな、と管地がドクロレリーフのついた壁をぱんと叩いて言った。
「お化け屋敷って言うくらいだからな。オバケや幽霊の場所であって、生きた人間が寛ぐ場所じゃないわな」
「オバケとか幽霊って、こんな場所に住んでるのか」
塗装中の壁を眺めながら空良が呟く。こんな場所で悪かったな、と睨む管地に、空良は壁から目を逸らさないまま言った。
「オバケや幽霊も、自分の居場所がこんなだから恐いんだ。壁に怖い絵があるから、外はもっと恐いところだと思って、閉じこもったり、入ってくる人を追い払おうとするんだ。外が恐くないってわかれば、オバケも人を脅かさなくなると思う」
「……いいアイディアだとは思うが、それができるのは、レベル高い神主サマとか坊さんとか、神父サマあたりだな。迷える魂を救うのは簡単じゃない」
そう言って管地は外装の乾き具合を見る。そうなのか、と空良もその壁を見た。
外との境界線が、自分を閉じ込める壁が、悪夢のような絵ではなく、穏やかな青い空の絵でできていたなら。外の世界を怖がることもなくなるかもしれない。
「ああそうだ、忘れるところでした!」
ぼんやりと考え込んでいた空良の背後で、安藤が突然明るい声を出した。びくりと肩を震わせて睨む空良に、安藤は笑顔で言う。
「君に教えようと思って朝から来たんだ。今朝、参加者の名簿を見て気付いたんだけど、今日、ここの八階で行う僕のセミナーに、例の小坂葉月さんが参加するらしい。昼には終わるから、コンパスを返すチャンスだ」
ここ、と安藤が後方の丸ビルを示す。でも仕事があるから、と消極的な意思表示をする空良に、別に構わんが? と管地が手を振った。
「では決まりだ。なんなら君の携帯に、終わったら連絡を入れようか?」
「いらない。でも、……葉月を騙すみたいだ」
「落とし物を届けるだけだ。コンパスは持ってきているな?」
無意識にポケットを探る空良に、貸してごらん、と安藤が手を差し出す。空良が銀色のコンパスを渡すと、安藤はそれをハンカチで磨き、あいな達に聞いた。
「あいなさんあいみさん、今、ネイル用のラインストーンとか、シールとか持ってますか? キャワイイやつ」
あるよー、とあいながバッグからビニールの小袋とピンセットを取り出す。ハートや星、小花やティアラなどを象った小さなシールをつまみ出してはコンパスにあてがう安藤に、なにするんだ、と空良が咎めるように睨んだ。
「目印だよ。人は、理解できない現象に遭遇して考える。これはどういう意味があるのか? なぜこのコンパスは戻ってきた? 良い兆しか、悪い兆しか。このコンパスはお守りか? それとも呪いのアイテムか? それを解釈する手がかりになる」
そう言って安藤は日陰に移動すると、ハートやクローバーのシールを見せて続けた。
「不吉なモチーフを好む者もいるが、一般的には縁起の悪いものを人は喜んだりしない。君も心霊写真やカマを持つ死神の絵を見てハッピーな予感はしないだろう? 逆に四つ葉のクローバーやハートのエース、ラッキーセブンに金銀鶴亀は、とりあえず自分に幸運をもたらすもののように思える。よくわからないが悪いことではない、そう判断することで安心できるのさ」
「……そうなのか?」
「まあ、ドクロよりはハートが付いてた方が気分はいいかもな」
他人事のように管地が呟く。これもいいな、と赤い小鳥のシールをピンセットでつまむ安藤に、空良がすかさず忠告した。
「それじゃないのがいい。葬式とかの仕事で使うし、葉月は赤があんまり好きじゃない。……と思う」
「残念だな。似合いそうなのに」
「ねえねえ、葉月ちゃんていうなら葉っぱは? 四つ葉とか」
「お月さまもあるよ! ムーンなんとかパワーとかでメイクアップだよ?」
赤い小鳥を袋に戻す安藤を押しのけ、あいなとあいみが紺色の爪の先で器用に小袋からシールを取り出して見せる。結局、コンパスの蓋の裏側には『お月様の色をした四つ葉のクローバー』として、ゴールドの小さなクローバーが貼り付けられた。
安藤は空良にコンパスを返し、そろそろですね、と腕時計を見て双子達を促す。
「それでは、管地も空良も頑張って」
幸運を祈る、と安藤が背を向けて歩き出す。またねー、とあいなとあいみも手を振って安藤のあとに続いた。おーい安藤、と管地がその背中に向かって尋ねる。
「そういや、お前って今日、ここで何のセミナーやるんだ?」
「ああ、『男性のためのメイクセミナー』ですよ!」
安藤が陽気に答えると、人目を引く三人は丸ビルの中へと消えていった。
八階で行われている『男性のためのメイクセミナー』では、静まり返った会議室の中、安藤が生き生きとした声でスピーチを続けていた。
「僕は、多くの女性がメイクによって内側から変化するのを見てきました」
百人ほどいる参加者は、当然ほとんどが男性で、陽気な安藤の言葉を、真面目な表情で聞いていた。補助スタッフに混じったあいなとあいみはかいがいしく動き回り、参加者に資料を手渡しで配りながら笑顔で男性達をチェックしている。
「いつの時代でも、人は、ありのままでは生きていけません。さらけ出せない素の自分、隠しておきたい一面、知られるわけにはいかない本心、そんな抜けないトゲのようなものを守りながら、我々は生きていかなくてはならない。心から粧う必要があるのです」
スキンケアやメイクの技術など、プロジェクターを使った説明は終わり、安藤は残りの時間を自由に喋っていた。あいなとあいみは会場の後方に下がり、あとの仕切りを補助スタッフに任せて静かに部屋を出る。
「女性達は顔とともに心を粧います。メイクをすることで、自信が生まれ、行動が変わります。目つきが実際に変わるんです。まるで強くなれる小さな星を飲み込んだかのように内側から変化する。これは女性だけに与えられたものではありませんよ?」
地味だよねー、と安藤の声を背にあいなが囁く。人も少ないしねー、と廊下に避難したあいみも息をついた。あくびをかみ殺すあいなの背後で安藤の声が響く。
「すべてをさらけ出し、ありのままでいられないのは男性も同じです。恐れに打ち勝つ、行動力のある自分はどんな顔をしているのか。的確な判断を下すときの自分の眉の形は? そんな力を持つ自分、あるべき自分を強く思い描き、それをまとうのが我々のメイクです」
そろそろだよね、とあいみが華奢な腕時計に目をやると、安藤の声がトーンを落とす。終わりだね、とあいなも出口に立ち、姿勢を正して参加者の退出に備えた。
「僕は自分の肌が、顔の色が、好きではありませんでした。それをなんとか克服しようとした結果がこれです! 今のところ、男性のナチュラルメイクにかけては負けませんよ? メイクする男性がまだ少ないからですけど!」
扉の向こうの空気が柔らぐ気配が伝わる。これならマイクいらなかったねー、スイッチ入れなくても平気だったねー、と肯き合った二人が締めの言葉を待った。
「メイクは自分に力を与える技術です。どんなミラクルが起こるかわかりません! ぜひ変化する自分を受け入れ、それを楽しんでください。本日はありがとうございました!」
沸き起こる拍手の音を合図に会場の扉が開く。お疲れ様でしたー、とあいなとあいみが笑顔を振りまきながら、運命的出会いもないまま男性達を見送った。
参加者のほとんどが退出してゆるゆると撤収作業が進むなか、隅の席で目立たぬようにノートをとるグレースーツの女性が残っていた。首に下げている参加票を確認するまでもなく、女性の参加者は小坂葉月しかいない。
葉月は、参加者達が退出していく気配に焦りながらも必死にノートをとり、手を止めて落ちてきた髪を耳にかけた。ふう、と息をついてすぐ資料やノートを片付けようとすると、急がなくてもいいですよ、と安藤が声を掛ける。
「どうぞのんびりなさってください、今日は日差しも強いですし、外は色々大変ですから」
「申し訳ありません。お話を伺っているうちに色々思いついてしまって、書きとめるのに必死で」
葉月は驚きながらも立ち上がり、恐縮しながら頭を下げる。まあまあ、と葉月に座るよう促した安藤は、自らも向かいの椅子に掛けて笑った。
「それは素晴らしい。参考になったのであれば僕も幸いです」
「はい、……今回はその」
葉月は慌ててノートを閉じると、困ったように言葉を詰まらせる。ふふ、と安藤は少し笑って穏やかに言った。
「男性のためのメイクといっても、エンゼルメイクとは色々と勝手が違うのでしょう?」
あれっ、と葉月が自分の手元を見た。うかつに余計な情報を晒してしまったのかと焦る葉月に安藤が告げる。
「お仕事先が柊セレモニーとありましたので。死者に施す化粧のことをエンゼルメイクと呼ぶんですよね?」
「……ご存知だったんですか」
場違いで申し訳ありません、と頭を下げようとする葉月に、いいじゃないですか、と安藤が手を振った。
「病院でお見かけしたこともありますよ。えーと、聖フィーナ伊原記念病院だったかな? ……といっても二年ほど前ですが」
そう言って安藤がのんびりと足を組む。そうだったんですか、と頬に手を添えた葉月は、ほかの参加者が退出したことを確認しながら、控えめな声で言った。
「あちらでは本来の仕事もありますが、……亡くなった患者さんのお体の変化などを、時々ご教授いただいてたんです。伊原先生に」
「なるほど、肌の変化もまた違ったものになるんですね」
安藤が興味深げに肯くと、はい、と葉月はほっとしたように穏やかな表情で話す。
「時間の経過で、眉や口の周り……毛根に変色が目立ってきます。女の子の場合は、特になんとかしてあげたくて、毛穴を塗りつぶすような重めのメイクになりがちです。でも、そちらの商品は、その……生きている人に向けられた製品なのに、そういった場合でも、自然な仕上がりになってくれるので」
「ふふ、プフラスターのベースは男性の肌悩みにも応える、自然なテクスチャーと秀逸なカバー力が特長ですからね。今や肌への優しさやカバー力くらいでは売りになりませんが、仕上がりが自然であること、優しいことはプフラスターの存在意義です。小坂さんご自身も、お使いいただいてるようですね?」
「あ、はい。自分に活かせてないのが悩みですけど」
そうですか? と安藤が身を乗り出して凝視すると、葉月は恥ずかしそうに目を伏せた。
「もともとお化粧は苦手なんです。私の化粧は、目を閉じているお顔を完成させることが基本なので、一般的な女の子向けの、目を大きく見せたりとか、ぱっちり愛され二重とか、そういう技術はないんです」
「ですよね。キラッキラのラメやカラフルなシャドウは使えないでしょう」
「でも最近は、お洒落でお化粧が大好きだった女性のかたに『いつも通り』のゴージャスなメイクをしたこともありますよ」
とても難しかったです、と安藤に慣れてきた葉月がほんのり笑う。安藤は、応用の利く技術や知識を語り、葉月も安藤の興味に応えるように自分の仕事を語った。元々メイクを専門にしていたわけではなく、生花の手配や裏方、僧侶の補助などに携わり、遺体を清める湯灌にも関わるようになり、その延長で化粧をする役回りになっていたという。
「お顔の形を整えさせていただくこともあります。くぼみには薬剤を注射して自然な形にしたり、手術痕などは特殊なワックスでカバーした上に化粧します。もちろんラメなしのもので」
頬に指を添えながら、葉月が小さく微笑む。ははは、と明るく笑った安藤はふと大きく目を開き、葉月を見ながら言った。
「半分くらい謎が解けました。あなたからは『赤』を使うことに慎重な印象を受けます。それはお仕事柄ゆえということでしょうか」
「えっ、はい、たぶんそうです。私の化粧は『かわいく見せる』ためではなく『眠っているように見せる』ためのものです。私にとっての赤は、血色という意味での赤です」
わかります、と安藤が目を細めて肯いた。葉月はノートの上に手を置いて続ける。
「伊原先生が仰っていましたが、人は亡くなって六時間くらいは血色があるそうなので、病院で施される化粧は、それに沿ったものになるんです。赤みも抑えがちで」
「ですがその後の顔色の変化は大きい。二日も経てば青緑になる場合もあると聞きました。つまりベースの色が根本から変化してしまうわけですね」
「そうなんです。ですからこちらも根本からメイクを直すことが多いです。自然で美しく、眠っているようにというのが理想ですが、私は、赤を使うときに色々と考えてしまいます」
安藤が黙ったまま神妙な顔で肯く。葉月は考えながら言葉を続けた。
「私の化粧は『作品』ではないので、ご本人様以外の気配というか、私の痕跡や存在感を残さないように仕上げるべきなんです。そのためにも、どこまでが自然で、どこまで手を加えることが最善なのかを考えてしまいます。きれいにしてあげたい、穏やかなお顔にしてあげたいという一心で化粧をしているどこかで、私の作り出す血色が、死というものを軽んじていないだろうか、死を隠しすぎていないだろうか。そんな風に」
「考えてしまうのは仕方がありません。女の子が母親の化粧を真似るのとは、話が違うんです。『こういうものだ』と学ぶ土壌のようなものが、極めて少ない分野です。技術は身についても根幹を与えるものがなかった。あなたは埋まらない空洞を抱えながら、体当たりで挑んできたんですよ」
挑むような目で安藤が笑いかける。そうでしょうか、と葉月が肩をすくめた。
「でも、考えてしまうのは仕方ないんですね。残らないものだから、心残りになることも多いです。もっときれいにできたんじゃないかとか、ご本人様は『こうして欲しい』って訴えていたんじゃないか、間違った方向に頑張っていたんじゃないか、なんて」
「それは僕も一緒です。アーティストの友人もそんなコトばっかり言ってます。あなたの仕事に限りませんよ。不安ならコンセプトを見直しましょう。触れたものが残らなくても経験は残ります。そして経験を重ねないと自信はつきません」
安藤が明るく言い切ると、はい、と葉月は肯いてにっこりと笑った。
「ありがとうございます。おかげで少し自信が持てそうです」
「その意気です。自然に赤も使えるようになりますよ」




