CHAPTER 37 山里の噂
~二週間後~
【桐生家】
リラは、縁側で優しい夕方の陽差しに包まれ、座ったままうとうとしながら夢を見ていた。
〈リラ〉
ルークの声だ。
白銀の髪と、二重虹彩の瞳。
ますますその姿が神々しく見える。
〈ずっとそばにいる。きみを守ってるから、心配しないで〉
わかったわ、ルーク。
「リラちゃん」
キリュウの祖母の声にハッとして目を開け、顔を上げた。
「なぁに?」
祖母は、リラの言語変換器、イヤーカフ型のトランスレクサーを手に持ってきた。
「洗面所に置きっぱなしちょったで」
「あ…」
思わず左耳に手をやる。
「ホントだ、ありがとう」
祖母のシワシワの手から、冷たい金属の感触を受け取った。
毎日あたりまえのように付けていた装置。
それをここでは付けるのを忘れてしまう。
指先でなぞると任務の緊張感がかすかによみがえった。
「あぃたあぃた、昨日、草取りしたもんやけん、腰がいてぇわ」
祖母はそう言いながらリラの隣に腰を下ろした。
「そら、ガイジンさんの言葉もわかるんやろ?」
興味津々にリラのトランスレクサーを見る。
「これ、宇宙共通翻訳機なの。どの種族の言葉もわかるわ」
「こんな田舎の山奥におったら、必要ねぇけんど、今、宿に長期滞在しちょるガイジンさんがおるんや」
「ガイジンさん? 何族?」
「知らんのやけんど。髪が赤ぇんで」
祖母にとっては何族であっても、〝ガイジンさん〟なのだろう。
「わけぇ従業員のなかには言葉がわかる人もおるけど、ウチは話しかけられてもわからん。にこにこしちょって、ウチの荷物持ってくれたりしち、優しいんじゃけどな」
「じゃこれ、貸そうか?」
家から出られない今のリラに、トランスレクサーは必要のない物だ。
つい、置きっぱなしにしてしまった。
「いいや、いい」
祖母はわずかに首を横に振る。
「よぅ考えたら、言葉がわかったらまた話しかけられるかもしれん。ウチはガイジンさんとか相手しきらんわ」
「そう。要るときは言って」
「うん、わかった」
山間の田舎町の晩夏は、まるで夏休みのようだ。
木洩れ陽に、山鳩と蜩の声。
子どものころ遊びにいった養父母の田舎のことを思い出す。
ここには、まるで時間が止まったかのように、第81自治区が〝日本〟だった頃の面影が残っていた。
未だ存否が不明のままになっているルーク。
不安がないと言えば大きな嘘になる。
けれど目を閉じると、瞼の裏にチラチラと脈打つ星脈が見える。
それは必ずルークのもとへとつながっていて、彼は夢のなかでそのことをリラに知らせてくれる。
「ところであんた……ウチはおってもろうても、かまわんのやけどな。ご両親のとこには帰らんでいいの」
実家に帰らなくていいのかと思われるのは、自然なことだ。
「私も夫も両親がいなくて……だから、共通の友人だったカイの厚意に甘えることに」
「あらっ、そうやったん」
優しい祖母に、素性を何も言わずに住まわせてもらうのは申し訳なく、リラはキリュウに了解を得て、
〝軍の任務で行方不明になった夫が戻るまで、世話になりたい〟
という旨の話をしていた。
嘘ではない。というか、そのとおりなのだ。
「ほんならまぁ、ここを実家やと思えばいいわ。旦那さんが戻ったら、また一緒に来よ」
「うん、ありがとう」
客観的に見れば、ルークが戻る可能性は低い。
ただならぬ事情を察して詳しいことは訊かず、〝また一緒に来い〟と言うところに祖母の優しい気遣いを感じた。
話していると、どこからかキジ猫の〝ニャン太〟がフラッと姿を現し、リラの体に顔を擦りつける。
「あぁ見てん、猫もババァよりわけぇベッピンさんのほうがいいんで」
野良猫だったニャン太は、キリュウの祖父が逝ったあと、この家に現れて住み着いたらしい。
「ニャン太、どこにお散歩行ってたの?」
リラはニャン太の頭を撫でた。
「ニャ〜」
「甘えた声出しよる」
「うふふ……」
「さぁて、そろそろ夕飯のしたくを始めんとな」
あぃたたた……と言いながら立ち上がる祖母。
「私も手伝うわ」
本当は、高齢の祖母に任せるのではなく、リラが食事を準備したいところだ。
けれど昔ながらの料理にはなじみがなく、何をどうすればいいかわからないのが現実だった。
「ほんならあんた、倉庫から里芋を取ってきて剥いてくれん? 豚汁するけん」
「わかったわ」
「あとん野菜は台所にあるけんな」
「はぁい」
子どものころから、野菜はカットされ、あらかじめ調理されたものしか見たことがなかった。
材料をそろえ、あとはAIに任せておけば料理はできていた。
でもここでは、野菜も畑で作ったものが多く、それを剥き、肉を切り、下ごしらえして調理する。
それがリラにとっては新鮮で小さな楽しみだった。
母屋の隣にある倉庫の木のドアを開けた。
中は真っ暗で、ムッとした空気が流れ出る。
リラは入り口の壁にあるスイッチを押して電気をつけ、中に入った。
「えっと、里芋里芋……あった」
里芋を手に取った瞬間だった。
外から男性の声がした。
「桐生んばぁさん、ここにおるん!」
突如響いた太い声に、心臓が跳ねた。
振り返ると、逆光の中に作業服の男性が立っている。
「え……?」
男性はリラを見るなり驚いた。
そしてまるで、幽霊でも見ているかのような様子で目をこする。
リラは頭を下げた。
「こんにちは」
男性は呆然とした様子でつぶやいた。
「ホントに……おった……」
そのとき、外から祖母の声がした。
「リラちゃん、ついでに人参も……あらっ、イオリ。なんしよんの」
〝イオリ〟と呼ばれた男性は、手に下げたナイロンの袋を、やってきた祖母に差し出す。
「親父から持ってけって言われた、茄子」
「あぁ、ありがとさん。さっき下ん道で会うて、茄子持っちきちくるんっち言いよったわ。あんたが来てくれたん」
「おぅ……イヤ親父がさ……桐生んばぁさんの家に女ん子がおるのが見えたっち言うけん。そんなわけなかろうが、幽霊でも見たんやねぇんか、っち言いよったら、区長もベッピンさんがおったっち言いだすけん……」
それで幽霊なのか人なのか、ことの真相を確かめに来たわけか。
「田舎は隠しちょれんのや」
祖母はやれやれと言うようにリラの顔を見る。
「あ、あぁ、おばあちゃん人参も?」
「あぁうん、人参も一本取っちょくれ」
リラは人参も一本手に取り、倉庫の電気を消して外に出た。
夕方の空気が心地良く体を包んだ。
ほっとすると同時に、吐き気が込み上げる。
「……っ」
手で口を押さえてうつむくと、祖母はすぐにリラの背中をさすった。
「ああ、あんた、悪かったな、倉庫はあちぃけんな、はよ部屋に上がりよ」
「うん……大丈夫……お水飲む」
イオリは目をぱちぱちさせながらリラと祖母の様子を見て言った。
「え……もしかして、カイちゃんの?」
言って小指を上げる。
「そうやったらいいけんど、カイの友達。事情があってしばらくウチにおるんや。あんま言いふらさんじょくれ」
「お、おぅ……」
「ほんなら、茄子、ありがとな。お父さんによろし言うちょって」
「おぅ……」
リラは祖母と共に母屋の台所に戻った。
「座って水飲みよ」
「うん、ありがと……今の人は?」
「こん下ん道沿いに建設会社があろぅ? あっこん長男じゃ。カイの同級生」
確かに、この家の前を下り切ったT字路を左に曲がったところに、明らかに民家ではない大きな建物があるのが見えていた。
「やっぱり私、ここにいたら噂になる?」
「そらそうじゃあわ、あんたみたいな、いかにも都会のベッピンさん。目立つもん」
目立つ、か……
「まぁ気にしなさんな。珍しいけん騒ぐだけじゃあ」
「うん……」
ここに来たのは、カルザ族から身を隠すためだ。
必要以上に目立つことがなければいいが……
それさえなければ、悪阻で体調が不安定な時期を安静に過ごすにはありがたい場所だ。
今は、サンとルナのために、心穏やかでいなければ。
ルークは、夢のなかで、
〝きみを守ってるから、心配しないで〟
と言ってくれた。
──その言葉を、信じて待とう。
*
【テラ軍 第81支部 宿舎】
「えぇ? イオリに見つかったのか」
キリュウは退勤後の宿舎で、3Dホログラムを介して会議をしていた。
テラ軍本部のAKF対策室と、リラのいる実家がつながっている。
『うん、昨日の夕方、お野菜持ってきてくれたの。そのときにばったり出くわしちゃって。そしたらね、今日にはもう噂が広まっちゃって』
リラはそこまで話すと、続きを言いにくそうに下を向く。
そしてチラッとキリュウを見てまた視線を下げた。
『私……〝カイちゃんの嫁御〟って言われてる』
「えぇ……」
キリュウは頭をかかえた。
これだから田舎は困る……
『おばあちゃんはちゃんと、カイの友達って言ってくれたのよ』
考えてみれば、そんなことは田舎の人間に通用しない。
ただの友達を実家に住まわせるはずがないと思われる。
『って言うかさ……そう思わせといたほうがある意味、安全じゃね?』
AKF対策室のグオ・チェンがそう言った。
すると隣でメイヴ・オコナーも同意する。
『確かに。夫が軍の任務で行方不明だなんて、ルークのことだってバレるかもしれないじゃん』
「まぁ確かに……それは、そうかもしれないが……」
チラッとリラの顔色をうかがう。
『本当の事情が知れたら、もうここにはいられなくなるし……』
リラはうつむき加減でそうつぶやく。
そして顔を上げるとキリュウを見た。
『〝カイちゃんの嫁御〟を演じた方が安全?』
「いや……っ」
思わず口ごもる。
「ルークが戻ったら……どうするんだ」
『そうよね……』
リラがそこまで話したときだった。
『そらもう、逃げられたっちことにするしかねぇわ』
リラの背後から聞こえてくる、聞き覚えのある方言。
『ニャオン』
猫のニャン太がリラの膝にヒョイっと乗ってきた。
『おばあちゃん……いつからいたの?』
キリュウはふたたび頭をかかえた。
『えっ、カイのおばあちゃん?』
メイヴは興味深そうに身を乗り出す。
『こらたまげたわ〜、これがホロガラムっち言うんかぃ。よぅできちょんな〜、ホントにそこにおるごとある!』
「ホログラムだけどな」
キリュウは小声でそう突っ込んでため息をついた。
『おばあちゃん初めまして。軍でキリュウ大尉にお世話になってます、メイヴ・オコナーですぅ』
メイヴはよそゆきの声になり、祖母に挨拶する。
なにが《《キリュウ大尉》》だ。
『んまぁ、こら、美男美女ばっかなんじゃな、軍っちいうところは』
祖母がホロ映像に入り込んできた。
あぁ、もう……
キリュウは片手で顔をおおう。
『事情がある、とか言ったらますます詮索されるけん。〝カイの嫁御〟っちことにしちょったほうが、いらん詮索されんですむわ』
「そういうわけにはいかない」
ルークの代理などごめんだ。
ホログラムのリラと目が合い、気まずくなって目をそらす。
『でも、そのほうが良くない? おばあちゃんもそう言ってくれるんだし』
メイヴがリラにそう言った。
これが任務のためだとわかっていても、心臓の鼓動が裏切り者のように早まっていく。
『……そのほうが、ここで自然に見えるなら……ルークが知っても、納得するとは、思う』
『そしたらカイが頻繁に実家に帰るのも、不自然ではないしな』
後ろのほうで黙って話を聞いていたニコライ・ソコロフまで同意する。
『なんか知らんけど、そういうことにしちょきよ。ウチも協力するわ』
得意げな祖母。
昔から変なところでノリがいい。
……深く詮索してくれないだけマシか。
『ほんならもう、聞かれたら、カイの嫁御やっち言うけんな』
かくしてその噂は──
翌朝には、隣町まで広まっていた。




