CHAPTER 36 始まりの角笛
~メビウスの自爆から一ヶ月後~
【惑星Earth テラ第81自治区 南部山間集落 桐生家】
山間の夕陽が優しく縁側を照らしていた。
リラ・ミタライの耳に、蜩の鳴き声が物悲しく届く。
彼女の心も、ずっと泣いている。
最愛の人の名を呼び続けながら──
純和風の古い家屋。
玄関扉の上には、
〝 桐生 正 〟
と毛筆の書体で刻まれた表札が、色褪せながらも静かに掲げられている。
「まさかあんたが、こんなベッピンさん連れて帰っちくるとか……爺さんも空の上でたまげよるわ」
畳の広い和室。
カイ・キリュウの祖母が、目の前のテーブルにお茶を出す。
「ほんでなんかい、なんか事情があるんやろ?」
「軍の機密事項やけん、くわしくは話せんのやけど……」
リラにとって、キリュウの方言は新鮮だった。
「彼女をしばらく、ここに置いてほしい」
祖母は、垂れ下がった瞼をわずかに上げた。
「あんたそら……ウチは一人やけん、かまわんけんど。なんでまた、こげな山奥の、温泉しかねぇ辺鄙なとこに……」
リラは、ふいに込み上げた吐き気に思わず口元を押さえる。
「大丈夫か」
キリュウがリラの背中をさする。
祖母はそんな二人をじっと見据えた。
「……子がおるんじゃな?」
目ざとくリラの妊娠を言い当てる。
「あぁんもう…」
そしてテーブルに手をつき、ヨイショと立ち上がった。
「ほんならあんた、はよ言わな。水の方がいいわ」
祖母はしゃべりながら台所へ入る。
「あんたの母親にもたいがい驚かされたけどな。なんか連絡はありよんのかい」
「いや、最近はない」
「ほんっと、冷てぇ母親じゃあ……出ち行っちからろくに連絡もせんで」
キリュウの母親は、父親と離婚してこの家に戻り、彼が高校生のときまで一緒に暮らしていたらしい。
だがキリュウがテラ第1自治区の士官学校へ入るため、寮に引っ越すのと同時にみずからも出ていき、疎遠になっているようだった。
「水飲んでみてん、飲めるかえ?」
「……はい」
リラは持ってきてもらったグラスの水をひとくち飲むと、大きく深呼吸した。
「空腹になると悪ぃんじゃあ」
清々しい空気と畳の匂い。
それはリラの悪阻も気持ちも少し落ち着かせる。
「ほんで? どうするん。ここに住むん」
リラはキリュウの顔を見た。
キリュウはうなずく。
「……御手洗リラと申します」
「まだ結婚はしちょらんのやろ?」
祖母の突っ込みにキリュウはたじろぐ。
「事情があるんやっちゃ、あんま聞かんで」
「あんた、聞かんでおれるかぇ……」
祖母は呆れた顔をしていたが、リラの顔を見て優しい声を出す。
「リラちゃんっち言うんかえ。かわいい名前やなぁ」
そしてふたたびキリュウを厳しい目で見る。
「女子は大変やぁわ、ウチもそうじゃあ。こげな山奥の温泉宿、切り盛りさせられちから……」
キリュウは、はいはい、とでも言いたげな顔をしている。
「ウチは昼間は宿の手伝いがあるけんな、おらんけど、いいかえ?」
リラはうなずいた。
「家の仕事は私にさせてください」
祖母はお茶を飲んで答えた。
「まぁ安定期まであんま無理しなさんな。今、何ヶ月なん」
「ありがとうございます。今七週目に入ったところで……二ヶ月です」
「そら今は安静にせな。ここはなぁんもねぇけんど、温泉だけはいくらでも湧きよるけんな」
深くは追求せずに受け入れてくれる。
リラは、キリュウの祖母の懐の深さにほっとした。
あれから一ヶ月──
メビウスの爆発地点から回収されたのは、機体の残骸だけ。
ルークの生死がわかるような痕跡は、何ひとつ見つからなかった。
けれど──
ルークは、生きている。
星脈がそう告げている。
しかしそれを証明する術はなく、テラ軍はリラの話を認めてくれなかった。
リラは、縁側の向こうに広がる、のどかな山並みを見つめながら、唇を噛む。
ルークは、カルザ帝国軍のミサイルのみならず、カルザ族の根幹でもある神経リンクを消滅させた。
そして、その影響は付近の惑星の種族にも及んでいる。
惑星Dahliaの消滅を防いだ英雄どころか、宇宙の秩序を乱した罪人扱いだ。
カルザ帝国軍の新最高司令官、ネリオスは宣言した。
ルークが生きていれば抹殺する、と。
さらにテラ軍にも圧力をかけている。
匿えば同罪だと。
だから彼は身をひそめているにちがいない。
生きていればそれでいい。
リラはひたすら自分にそう言い聞かせた。
尽きない不安をぬぐうように。
そして今は、力を貸してくれるキリュウを頼るしかなかった。
*
「トイレは右に曲がってつきあたりじゃあ」
リラは祖母に言われて、二間続きの広い和室から廊下へ出ていく。
足音が遠ざかるのを聞きながら、キリュウは肩の力を抜いた。
古い振り子時計が、ボーン、ボーン、という音を六回鳴らす。
この音を聞くと、実家に帰ってきた気がする。
亡くなった祖父が好きだったアンティークの時計だ。
そろそろ、戻らなければ。
「じゃあ、ばあちゃん、よろしく頼む」
キリュウは用意しておいた封筒をテーブルに置いた。
「なんかい、これ……」
封筒を手に取る祖母。
「当面のリラの生活費」
封筒の中身を見て、祖母の声が裏返った。
「あんた……こげな山奥でこんな大金がいるかえ」
「軍から出てる」
口をぱくぱくさせて何かを言いかけるが言葉にならない様子だ。
もうすぐ八十になろうかという祖母に迷惑をかけるのは心苦しい。
だがほかに思いつく場所もなければ人もいない。
最高司令官ネリオスは、〝神経リンクは、完全に消えたわけではない。時期がくれば復活する〟と全宇宙に宣言している。
今のところその根拠はなく、神経リンク復活については専門家が検証中だ。
その一方で、ルークの子を妊娠しているリラは、安全のため目立たない場所に匿うことになった。
そこでキリュウは、テラ第81自治区南部の実家を提案した。
「子はあんたの子やないんやろ?」
小声でキリュウにそう訊く祖母。
キリュウは黙ったままうなずいた。
昔から祖母に隠しごとはできない。何もかも、見透かされてしまう。
「あの子は何者なん」
「やけんそれは、機密事項で言えん。近所の人に見つかったら、知人の子とか言ってごまかして」
祖母はわずかに顔を歪める。
「俺の大事な友達やけん、頼む」
「友達なんかえ」
キリュウは立ち上がりながら答えた。
「そう、友達」
友達。
そう言った瞬間、胸の奥がわずかにきしんだ。
「廊下が長くて迷子になりそう」
リラが部屋に戻ってきた。
「古ぃ家やけんな」
祖母は視線をリラからキリュウに移す。
「ほんであんた、次はいつ帰ってくるん」
「あんまり頻繁には帰ってこれんけど、月に一度は帰る」
万が一スパイにマークされていたら危険だ。
リラだけではなく、祖母も。
代々守って来た、老舗温泉旅館も。
キリュウは、不安げな様子を隠せないリラをハグした。
華奢で、やわらかい。
ずっとこうやって自分が守ってやれたら、どんなにいいだろうかと思う。
「連絡は、まめにする」
「うん、わかった」
リラは小さくうなずいた。
彼女を置いて一人で軍に戻るのは、後ろ髪を引かれる思いだった。
車で実家を出ると、一時間ほど地上の一般道を通り、都市部に出てからスカイハイウェイに乗る。
田舎なのでスカイハイウェイに乗るまでに時間がかかるが、乗ってしまえば軍の第81支部までは三十分だ。
ただ、カルザ族の偵察に備え、念のため、第82自治区を経由するルートを選んだ。
ビル群の間を青い光のレーンが立体交差し、その中を西に向けて高速移動する。
キリュウはこの八月から、第1自治区のテラ軍本部から、故郷である第81自治区の支部に転勤した。
リラを保護するためだ。
表向きの転勤の理由は、〝高齢の祖母が南部で一人暮らしをしているため〟だった。
もちろん、そんなことは祖母には言っていない。
未だルークの存否はわからないままだ。
〝この先、オレにもしものことがあったら、そのときは彼女を頼む〟
キリュウの胸には、AKF対策室でのルークの言葉が刻まれていた。
ルークとリラの双子の子どもは、このEarthと宇宙の調和のために、なくてはならない重要な存在だ。
それを守るのは、個人の意思ではない。
軍の任務であり、ルークとの約束だ。
強く自分にそう言い聞かせた。
*
【惑星Dahlia 南部 Elios】
天窓から、星空が見える。
〝オレはスピカの蒼白い色が好き〟
〝私はアークトゥルスのオレンジ色が好き〟
いつかリラと話した春の大曲線は、ここからも見えるだろうか。
ふとそれが気になり、ルークはベッドから身を起こした。
まだ体のあちこちが痛い。
痛いということは──生きている証拠か。
小さく息を吐く。
メビウスの自爆直前。
切り離したコックピットはDahlia南部の海に落ちた。
そして、この島に漂着したところを、長老に発見された。
全身骨折に火傷。
内臓の損傷。
普通なら死んでいるレベルだ。
だがルークは、たいした医療設備もない島で、一ヶ月で動けるようになるまで回復した。
この場所には、アストラ族のエネルギーが満ちている。
星脈により、自分の治癒能力が最大化しているのを感じる。
二十八年前──
惑星Eliosの消滅から逃れたアストラの一族がいた。
ここは、その一族がひっそりと暮らしている島だ。
彼らはここを〝Elios〟と呼ぶ。
そしてダリス族は、ここを〝魔の海域〟と呼び、近づかない。
長老はこの二十八年の間、ルークが訪れる日を待っていたと言う。
そして、ついにその日は訪れたのだと。
ルークは浜辺に座り、星を眺めた。
──あの宇宙に戻りたい。
リンクコムもホロセルも宇宙のチリとなり、
〝また会いましょう。アディオス!〟
と言い残したL2-D2も行方不明。
Earthには未だ連絡が取れていない。
ため息と同時に、シャランシャランとわずかな音が聞こえてきた。
振り返ると、首から影星晶の首輪をつけた、ユニコーンのツノをもつゴールデンレトリバーがやってきた。
「スピカ、来たのか」
いい名前だ。
隣に来たスピカを撫でてやると、角がぽわんとピンク色に発光した。
その光は、この島を覆うエネルギーと共鳴するように、夜の闇に淡い波紋を描く。
「ルーク様、まだあまり動かない方が良いですぞ」
長老がゆっくり歩いてきた。
「放浪癖があるのに、もう一ヶ月以上もじっとしてる。そろそろ限界だ」
「放浪して仕事をなさらなくても、ここは、あなたの王国だ」
そう言いながら、ルークの隣に立ち、海を眺める。
「ここで我々と共に、どの種族の干渉も受けず、静かに暮らしていけば良いではないですか」
それが王の人生なら、退屈すぎる。
長老は、ルークを見下ろした。
「二ヶ月後は二十八年に一度の〝天路の旬〟。我々は、そのときを待っていた。来るべき日を前に、王は現れた」
何を言っているのか意味がわからない。
「長老、前から言ってるが、オレは妻に連絡をしたい」
ルークは、役に立ちそうもない神話のような話は聞き流し、自分の要望に話題を変えた。
テラ軍はどうせ、自分のことなど死人扱いして探してもいないだろう。
だがリラは、星脈を感じ、自分が戻ってくるのを待っているはず。
──早く、安心させてやらなければ。
「それならルーク様、いっそここで王妃を娶ってはどうですか」
「へ? 王妃を娶る?」
突拍子もない切り返しに目をぱちぱちさせる。
一向に自分の話は受け入れてもらえないようだ。
長老はさらに思いもよらない提案をしてきた。
「うちの孫娘のアイラはどうですか」
「孫娘のアイラって……」
未成年だろ。
十七歳の子を娶ったらゼノンより下だ。
「そんなこと、できるわけがない」
「ですが、星脈を引き継ぐ跡取りは必要ですぞ」
〝星脈を引き継ぐ跡取り〟
そのことを、いつまでも黙っているわけにもいかない。
「それなんだが……」
ルークは長老に、妻との間に双子ができたことを打ち明けた。
結婚指輪もしていたし、妻がいることは話していた。
だが、子どもができていることは黙っていた。
まだ彼らを警戒していたからだ。
すでに、星脈位相制御領域を遺伝子に持つ男子は、リラの胎内に宿っている。
その存在がEarthに在る限り、ここに閉じこもっているわけにはいかない。
「……やはり、すでに、遺伝子を持つ子の存在がありましたか」
ルークの話を聞いた長老は、納得したように何度かうなずいた。
さては、孫娘を娶る話でカマをかけてきたな……じぃさんめ。
ルークは思わず肩をすくめてしまい、怪我の痛みに顔をしかめた。
「い……っ」
「ほらほら、まだ安静が必要ですぞ」
長老はそう言って笑った。
赤紫色の月に似た惑星が、ピンク色の水平線から姿を現す。
さざ波が、なにかを語りかけるようにざわめいた。
おとなしくしていたスピカが、ルークの隣で遠吠えする。
「アォ─────ン……」
その声はまるで〝なにか〟が始まる角笛のように聞こえた。




