第4話:連携
建物の奥に、まだ人間がいた。
ヴォルクの本隊だった。ボスとその精鋭たちが最奥の広間に集まっているとネレアの熱源探知が示していた。
「数は」アルヴァンが言った。
「十二名。うち数名が魔術反応あり」ネレアは言った。「ボスと思われる熱源が中央に一つ。なお先ほど逃げた方々が戻ってきており、その数を含めると十六名になります」
「逃げたのに戻ってきたのか?」
「ボスに怒られたのではないでしょうか」
アルヴァンは少し間を置いた。
「ご愁傷さまなこった」
「同感です」
リアが口を挟んだ。「あの、私はどうすれば」
「外に出る」アルヴァンは言った。
「え、一人でですか!?」
「ネレアがエスコートする」
「広間への援護は」ネレアが言った。「私がリア様を外へ届けてから戻ります。十分ほどかかりますが」
「わかった」
「その間、十二名——いえ十六名を一人で……。私がいなくて大丈夫でしょうか?」
「問題ない」
「問題ないとおっしゃる根拠を伺えますか」
「今まで問題なかった」
「今まで、というのは些か楽観的かと」
「いいから、行け」
ネレアは一秒だけ間を置いた。
「かしこまりました。なるべく急ぎます」
リアはアルヴァンを見た。
「え、本当に大丈夫なんですか、十六人相手に!?」
「十二人だ。逃げた四人はノーカウントだ」
「カウントしてあげてくださいよぉ」
「どうせ逃げた奴は来ない」
「さっき戻ってきたじゃないですか」
アルヴァンは少し考えた。
「……十六人でも問題ない」
リアは呆れたような顔をしたが、それ以上は言わなかった。
「行きましょう」ネレアがリアを促した。「ご主人様、ご武運を」
「武運は要らない」
「私が安心するために言っています」
アルヴァンは何も言わなかった。
ネレアはリアを連れて、出口へ向かった。
広間の扉は大きかった。
アルヴァンは扉の前で立ち止まり、腕輪を外した。
扉を開けた。
広間は広かった。
天井が高く、柱が並び、奥に長テーブルがあった。その周囲に、人間がいた。全員がアルヴァンを見た。
沈黙があった。
長テーブルの奥、椅子に座ったままの男がいた。五十代、恰幅がよく、白髪交じりの髭を蓄えていた。ヴォルクだった。その横に、先ほど逃げ出した四人が、居心地悪そうに立っていた。
「来たか」ヴォルクは言った。「剣聖とやら」
アルヴァンは答えなかった。
「息子がやらかしたのは知っている」ヴォルクは続けた。「まったくどうしようもない馬鹿だ。一目惚れしたからって人をさらうとは、育て方を間違えた」
アルヴァンは少し間を置いた。
「同意する」
「はは、あっさり同意するな」ヴォルクは眉をひそめた。「まあいい。だがな、うちの組織を潰しにきたなら話は別だ。ここにいる連中は、それなりの使い手ばかりだ。お前の首はカルヴェンの娘一人より高く売れる」
「売れる相手がいればな」
ヴォルクの眉が、わずかに動いた。
「……やれ」
最初の三人が同時に踏み込んできた。
速かった。連携が取れていた。左右と正面、三方向への同時攻撃だった。
アルヴァンは正面の一人を剣で受け、体を回した。右の剣を柄で弾き、左の刃が外套を掠めた。
掠めただけだった。
返す動作で、三人が同時に吹っ飛んだ。
残り十三人が、一瞬躊躇した。
先ほど逃げ出した四人のうちの一人が、小声で隣に言った。「やっぱり逃げておけばよかったよな」
「戻ってこなければよかった」
「それな」
「やかましい! かかれ!」ヴォルクが怒鳴った。
扉が開いた。
ネレアが戻ってきた。四本の機械腕が完全展開した状態で、広間の入り口に立った。
「お待たせしました」
「思ったより早いな」
「リア様が走るのが速かったです」
アルヴァンは少し間を置いた。
(あの娘、格子も外せるしな)
「何かおっしゃいましたか?」
「何でもない」
ネレアは広間全体を光学センサーで走査した。アルヴァンの現在地、動線、敵の配置。全員の位置をリアルタイムで更新しながら、射線を計算した。
アルヴァンが右へ動いた。
ネレアの左上の腕が、右奥の柱に向けて一発撃った。柱の陰に隠れようとしていた魔術師の足元が弾けた。魔術師が体勢を崩した。アルヴァンの剣が届く距離に、男は倒れ込んだ。
アルヴァンが左へ切り返した。
ネレアの右下の腕が、左前方の床を二発で抑えた。踏み込もうとしていた男の足が止まった。
指示はなかった。合図もなかった。視線の交換すら、ほとんどなかった。
ただ、互いの動きの中に、相手への余白があった。アルヴァンが踏み込む方向には、ネレアの弾幕が事前に空間を作っていた。ネレアが射線を通す角度には、アルヴァンは決して入らなかった。
何年もかけて形成された間合いが、戦場の中で自然に作動していた。
男たちはそれを見ていた。二人の間に言葉がないことに気づき、それが何を意味するかを理解したとき、足が動かなくなっていた。
先ほど逃げた四人のうちの一人が、戦いを眺めながら隣に言った。
「やっぱり最初に逃げたの、正解だったな」
「今からでも逃げるか」
「でもヴォルクさんに怒られる」
「怒られるのと死ぬのどっちがマシだ!?」
「……逃げるか!?」
二人は静かに後退し始めた。
残り五人になったところで、ヴォルクが動いた。
長テーブルに手をついた。その手に、魔力が集まっていた。
「組織を作るのに二十年かかった」ヴォルクは言った。「それを一晩で、しかもうちの馬鹿息子のせいで潰されるとは、割に合わん話だ」
テーブルが、爆ぜた。
煙が広間に広がった。視界が奪われた。
ネレアの光学センサーが煙を透過して熱源を追跡した。ヴォルクが動いていた。広間の奥、壁際の隠し扉へ向かっていた。
「ご主人様、ボスが逃げようとしています」
「わかってる」
「隠し扉は右奥です」
「見えてる」
「では——」
そのとき、ネレアの背後から何かが来た。
察知したのは、衝撃の〇・一秒前だった。
煙に紛れて背後へ回っていた一人が、短剣をネレアの背部、機械腕の付け根へ向けて刺した。機械腕の駆動部を狙った、的確な攻撃だった。
ネレアは回避できなかった。四本の腕すべてが前方を向いていた。
短剣が、機械腕の付け根に刺さった。金属が軋む音がした。駆動液が滲んだ。左上の腕の動作に、わずかな遅延が生じた。
ネレアは短剣を引き抜いた。
「支障ございません」
声は平常通りだった。一拍置いて、付け加えた。
「でも外装の修理代はご請求いたします」
アルヴァンが、止まった。
煙の中で、一瞬だけ、止まった。
ネレアの左上の腕を見た。付け根に傷があった。駆動液が滲んでいた。
アルヴァンの脳裏に、一瞬だけ、別の光景があった。
冷たかった。
遺跡の内部は、地上とは別の種類の冷たさがあった。石の冷たさ、時間の冷たさ、人の気配がなくなって久しい場所の冷たさ。
瓦礫の下に、それはあった。
最初は石だと思った。次に、金属だと思った。掘り出してみると、人の形をしていた。埃と泥に塗れ、関節が固着し、瞳の光学センサーは曇っていた。
動かなかった。
アルヴァンは、それをしばらく見ていた。立ち去るべきだった。この人形を探していたわけではなかった。
それでも手が動いた。泥を払った。
その瞬間に何を感じたか、今も言語化できない。ただ、手が動いた。それだけだった。
一瞬が、終わった。
アルヴァンの目が、変わった。
怒りではなかった。感情が高ぶったわけでもなかった。
ただ、それまで存在していた「ある程度の制御」が、静かに消えた。
煙の中で、神気の密度が跳ね上がった。
残っていた精鋭たちが、同時に膝をついた。立っていられなかった。呼吸ができなかった。
「……ネレア」
声は、静かだった。
「ヴォルクを逃がすな」
「かしこまりました。なお修理代の件は——」
「後で話す」
「承知しました」
ネレアの長銃身の腕が、隠し扉へ向いた。
扉が開く前に、一発が扉の枠を撃ち抜いた。扉が歪んで開かなくなった。
ヴォルクが扉を押した。動かなかった。もう一度押した。やはり動かなかった。体当たりした。びくともしなかった。
振り返った。
煙が晴れていた。
広間の中央に、アルヴァンが立っていた。
ヴォルクは、その顔を見た。
二十年、裏社会を生きてきた男だった。修羅場を何度もくぐってきた男だった。
それでも、足が動かなかった。
「……化け物め」
アルヴァンは答えなかった。
歩き始めた。
ヴォルクは扉を、もう一度だけ押した。
動かなかった。




