第2話:突入
旧倉庫街は、街の東端にあった。
煉瓦造りの大きな建物が密集し、今は半分以上が廃墟か、表向きは廃墟ということになっていた。灯りのない窓、封鎖された搬入口、腐りかけた木の看板。だがよく見れば、人の気配があった。巡回する影、窓の隙間から漏れる光、どこかで交わされる低い声。
アルヴァンは正面から入った。
搬入口の扉の閂を、抑制状態でも滲み出る神気で内側から熱変形させた。扉が開いた。
中に見張りが三人いた。
一人が気づいて怒鳴った。「誰だお前! ここがどこか——」
アルヴァンが一歩踏み込んだ。
三人の体が、同時に後ろへ吹っ飛んだ。神気の圧が、至近距離で本能に直撃した結果だった。アルヴァンは特に何もしていなかった。歩いただけだった。
三人は壁に激突し、そのまま崩れ落ちた。
アルヴァンは三人を跨いで奥へ進んだ。
次の廊下に、五人いた。
こちらに気づいた瞬間、全員が武器を構えた。先頭の男が一歩前に出て、声を張り上げた。
「止まれ! 俺たちはヴォルク組の精鋭だ! お前みたいな——」
アルヴァンが歩みを止めずに近づいた。
四メートル。
先頭の男の足が、小刻みに震え始めた。
三メートル。
「お、俺たちは精鋭——」
二メートル。
五人全員が、後ずさった。武器を持ったまま、後ずさった。
「お前たちが精鋭なら」アルヴァンは言った。「ヴォルクの組織は終わりだな」
「か、かかれ!」先頭の男が叫んだ。
誰も動かなかった。いや、動けなかった。
「かかれと言ってるだろ!」
一人が泣きそうな声で言った。「む、無理っす……足が……」
別の一人が言った。「俺、今日が初出勤で……」
「知らん! かかれ!」
アルヴァンは五人の横を、普通に歩いて通り過ぎた。
五人は壁際で固まったまま、誰も動けなかった。
先頭の男が、消え入るような声で言った。「……精鋭って、なんだろうな」
次の角を曲がったところで、廊下が暗くなっていた。
灯りが意図的に落とされていた。
暗がりから、声がした。女の声だった。
「あら、噂の剣聖様。思ったより若いのね」
廊下の途中、壁に背を預けた女がいた。意図的に露出の多い服装で、笑みを浮かべながらアルヴァンへ近づいてきた。
「ヴォルクさんから頼まれたの。ねえ、少し話しましょうよ——」
アルヴァンは無表情で、女を見ていた。
女はアルヴァンとの距離を詰めながら、あと二メートルというところで表情が変わった。
空気が、重かった。
笑みが、引きつった。足が、震えた。
「あ、あれ……なんで……」
そのとき、乾いた音が一つした。
女の手から、隠し持っていた小型のナイフが弾き飛んだ。百メートル離れた屋根の上からの狙撃だった。
耳元の通信魔道具から、ネレアの声が届いた。
「隠し武器を排除しました。ご主人様、その方の神気による自滅は後処理が面倒ですので、早めに離れていただけますか」
「わかってる」
「わかっているわりに動いていませんが」
「お前が来るより先に処理する」
「処理という言葉の使い方が気になりますが、今は置いておきます」
女はすでに腰が抜けており、壁際にへたり込んでいた。色仕掛けどころではなかった。
アルヴァンは通り過ぎた。
「あ、ありがとうございます。生きていられて……」女が背後でつぶやいた。
廊下の突き当たりで、大きな男が仁王立ちしていた。
アルヴァンが近づいても、表情が変わらなかった。足も震えなかった。
アルヴァンは少し足を止めた。珍しかった。
「俺はガロン。ヴォルク様の右腕だ」男は言った。「お前の噂は聞いてる。化け物みたいな剣聖だろう。だがな」ガロンは腕を広げた。「俺のこの体を見ろ。強化の魔術で鍛えた、鋼より硬い肉体だ。その剣でどれだけ斬っても傷一つつかん。どんな加護持ちだろうと——」
アルヴァンは剣を抜いた。
居合だった。神速の一閃が廊下を走った。
ガロンは動かなかった。
一秒が経った。
ガロンは笑った。「ほら見ろ!俺の体には——」
上着が、音もなく崩れ落ちた。綺麗に、水平に、切断されていた。
ガロンは自分の上半身を見下ろした。
「……服だけ、切れたようだな。はっはっは」
「案外硬いな」アルヴァンは言った。感心しているようだった。
「そ、そうだろう!だから俺を倒すことは——」
アルヴァンの剣の柄頭が、正確にガロンの鳩尾を打った。
空気が抜ける音がした。
ガロンは、ゆっくりと床に沈んだ。上着なしで、石畳に崩れ落ちた。
「……服の、話じゃないのか……」
アルヴァンは跨いで、進んだ。
地下への階段を見つけたのは、それから数分後だった。
扉の前に立ったとき、耳元の通信魔道具からネレアの声が響いた。
「地下の熱源を確認しています。拘束されている熱源が南東の区画に一つ。警備が四名です」
「ああ」
「ご主人様」
「なんだ」
「先ほどの女性の件ですが……」
「問題なかっただろう」
「問題がなかったのは私が対処したからです」
「……そうだな」
「一言くらい感謝していただけると」
「助かった」
少し間があった。
「……それで十分です」ネレアは言った。「ところで」
「なんだ」
「屋敷のどこを目指されているのですか?」
「……。悪人というのは、大抵上か地下にいるものだな」
アルヴァンは階段を前に、少し間を置いた。
「経験則だ」
「……根拠はございますか」
「経験則と言った」
「何件分の経験則ですか」
「かなりの件数だ」
「今度データをいただけますか」
「まとめたことはない」
「では経験則とは言えないかと」
「言える」
また少し間があった。
「……地下へどうぞ」
アルヴァンは階段を降りた。




