第二話 日常
「ご飯できたよー!」
大鍋を抱えて食卓に向かう私は、大きな声でそう言った。
次の瞬間、廊下の向こう側から子供達がどたどたとこちらに近づいてくる。
「フィオ姉、今日のごはんなに?」「いい匂い! はやくはやく!」
「今日は私の手作りカレーだよ。配膳するから、みんなお皿を——」
その時、ドアベルの音と共に一人の少女が玄関から現れた。
「ほら、ちゃんと僕の焼いた肉もあるからな、楽しみにしとけよ」
ボーイッシュな顔立ちとすらりとした体躯。彼女はそれに見合わない可愛らしい花柄のエプロンを身につけ、湯気の上がる大皿を片手で軽々と持ち上げていた。
「ミ、ミラ……? なんで外から……」
「ん? そりゃあ、直火の方が美味しいだろ? せっかく美味い肉があるんだしさ」
ミラはキョトンとした表情でそう言いながら、こちらに大皿の中身を見せてくる。そこに並べられていたのは、直火で焼いた、黄金色の肉汁を溢れるほどに滴らせている大量の鶏肉ステーキ。
「わあぁ、肉だーっ!」
誰かがそんな歓声を上げると同時に、子供達が津波のようにミラの方へと押し寄せてきた。
「落ち着いて! ちゃんとみんなの分あるから……」
しかし、多勢に対して私の声はか細く、届かない。床を踏み鳴らす音も、純真無垢な子供達の声も、大きな群れが異分子を駆逐するかのように、私の声を殺してしまう。
「お前ら、並べ——ッ!」
その時、鋭く低く、透き通った声が勢い良く空気を切り裂いた。それに驚いた子供達は、慌てながら列を作り始めた。声の主はミラだ。私とは違い、彼女が声を発せば一瞬で空気が変わる。
ふと彼女の方を見ると、その視線に気付いたようで、“大丈夫だ、安心しろ”とでも言わんばかりのキザなウィンクをして見せた。
配膳され終わった子から順に、目の前にある長机の適当な席にそれぞれ座り、各々が合掌をして料理に手をつけ始める。
皆がスプーンで楽しそうにカレーをすくい、口に頬張っては笑顔を見せるその姿を見ながら、私はただ静かに、この上ない幸せを噛み締めていた。
特に、目の前の机で、小さな口を開けて可愛らしくパンを頬張っているユキ——最愛の義妹の笑顔は、私にとって何よりも大事であった。
全員の配膳を終えた私とミラは、自分たちの分、そして、この孤児院の養父—ヴィル爺の分を皿に注いだ。
「フィオナ、最後の一枚なんだが——爺さんにあげて大丈夫だよな?」
「うん、それでお願い」
ミラは私の言葉を聞いて頷き、最後の鶏肉を彼の皿に載せる。
私たちの分はない、この孤児院は貧乏なのだ。肉や調味料を調達するために、隣町のルキアに行くだけでも数日はかかってしまう。何かあった時のために、せめてもの経費削減である。
「フィオ姉、これ、あげる!」
その時、ユキが私にそう言った。彼女は、鶏肉の乗った自分のカレーをこちらに向かって差し出していた。
「フィオ姉、いっつもお肉食べてないから……」
「ユキ……いいの、いいのよ。自分の分を、ちゃんと食べて。それは、私たちが貴女に食べて欲しいって思って作ったんだからね」
「でも、お腹すいてるでしょ……?」
「ううん、そんなことな……」
ぐぅうううう————
「………あっ」
「ほら、すいてるじゃん!」
……何も言い返せない。実際、腹は死ぬほど空いていた。でも、十八才を過ぎてる私たちより、まだまだ育ち盛りのユキに少しでも栄養をつけて欲しい。一体、どうすれば——
「まあまあ、ユキ。フィオナは今、ダイエット中なんだ」
その時、ミラが私たちの間に入ってきた。
「な、フィオナ。ダイエット中なんだよな、な?」
ミラはそう言いながら、私の方に首を傾けて、目を合わせてくる。“話を合わせろ”と言わんばかりの眼圧。私は、苦手な嘘でその場を必死に取り繕った。
「あ、ああ……うん! そっそう、私、ダイエットしてるの!」
「そうなの……ほんとに?」
「ああ、本当さ。僕が言うんだからね!」
「あはは、わ、私、ダイエット中なの——」
「…………わかった! ダイエット頑張ってね!」
……もう、嘘は限界だった。間一髪のところで、にこりと笑ったユキは、自分の席へと戻って行った。
「ありがと、ミラぁ……」
「全く……最低限の嘘くらいは吐けるようにしとけよ。でないと、この先やっていけないぞ?」
「うん、分かった……」
一悶着の末、安堵した私はミラと一緒に、ヴィル爺の横の空いている席へと向かった。
「ほう、今日のカレーもなかなかだな……うん、味も申し分ない。さては、腕を上げたな?」
「えへへ、そんなことないよ……」
やはり、褒められると言うのは嬉しいものだ。
「爺さん、僕の肉はどうだい、完璧だろう? 外で焼くと風味が違うんだよ、風味が」
「はいはいミラ、自画自賛しないの。私知ってるんだからね? 何回も焦がしかけてたくせに」
「なっ……!」
「ははは、だが、焦げも香ばしさのうちの一つだ。ミラ、よくやった!」
ミラは一瞬、照れくさそうに頬をかく。その後、ふっと微笑みながら肩をすくめて言った。
「ああ……こんな毎日が、ずっと続けばいいのに」
「そうだねぇ……」
いつもと変わらない光景。いつもと変わらない幸せ。この穏やかな時間が、私たちを笑顔にしてくれる。
食事を終えた私たちは、子供達の寝る準備に取り掛かった。子育ての中でも、一番の難関——そう、風呂だ。就寝時間に直結するため、こちらも必死である。
「こら、暴れないで……ちょっと、まだ服着てない! ミラ、そっち捕まえて!」
「ちょ、待っ……こっちも手がいっぱいで……」
風呂上がりの暴走は、毎晩恒例の小さな戦争だった。話は通じない、羞恥心はない、でも走ったら転んで怪我をする……猛獣を使役するのと、何ら代わりはない。
地獄のような約一時間の死闘。それをなんとか乗り越え、二十人全員に寝巻きを着せることに成功した私たち。しかし、本当の悪夢はここからであった。
そう——子供達は消灯を嫌うのだ。
皆、寝たくないと必死の抵抗を見せてくる。流石に、数が多いと力関係も逆転してしまう。こんな時に一番頼りになるのが——
「お前ら、良い加減布団に入れ———ッ!」
そう、ミラだ。彼女はいつもの大声で子供達を統率する。ぞろぞろと一斉に寝床へと向かう子供達。
「じゃあ、灯り消すよー」
そう言って、私は子供部屋に灯っていた最後の蠟燭を吹き消した。これで、全ての仕事は終わりだ、あとは、自分の部屋に戻って眠るだけ——
「フィ、フィオ姉……」
その時、私は、誰かに服の裾を引っ張られた。顔を見下ろすと、そこには白い長髪を後ろに結んだユキの姿が。
「どうしたの? ユキ」
「あの、その……眠れ、なくて……」
「ふふ、仕方ないなぁ……じゃあ、一緒に寝よっか」
私がそう言うと、ユキはぱあっと明るい笑顔を浮かべる。まだまだ子供だなあ、そんなことを思いながら、私は彼女の手をぎゅっと握って、一緒に二階の自室へと向かった。
夏夜の自室は、数時間空けただけだというのにかなり蒸し暑い。ベッドの枕元にある小窓を開け放つと、心地の良い夜風が流れ込んできた。ちりん、と窓際に吊るされた風鈴——ルキアで一夜を明かした教会の神父様が、何故かお土産にと呉れた物だ——が軽快な音を鳴らす。
「じゃあ、寝よっか」
「うん」
布団に入った私は、ランタンの灯をそっと吹き消した。暗闇の中、ベッドの上で横になった私の胸元にユキが顔を埋める。そんな彼女の頭を、私は優しく抱きながら目を瞑った。
「ふふっ、赤ちゃんみたい」
「別に良いじゃん……落ち着くんだから……」
しん、と静寂。耳をすませば、風鈴の後ろでたくさんの音が聞こえてくる。木々のざわめき、夜の風音……その全てが、子守唄のように安らぎを与えていた。
「ねえ、フィオ姉」
「ん? どうしたの?」
「何か……はなして……その、読み聞かせみたいに……」
ユキの声は、半分微睡に落ちかけているようだった。多分、昔を思い出したのだろう。四、五年前までは、いつもこうして寝ていたのだから。
「そうね……じゃあ、“旧人類”の話でもしよっか」
「うん……」
それは世界中、誰でも知っている有名な話。もう、何年も聞いていないな——そんなふうに子供の頃を懐かしみながら、私はぽつり、ぽつりとその物語の内容を話し始めた。
「これは、何千年も前の話。この世界の人たちは、魔法を使う事ができませんでした——」
* * *
————その代わり、彼らは鉄の塊を使って争い続けていました。しかし、ある日を境に、それは突然終わりを迎えました。ある小さな国が、世界中全ての国を、一夜のうちに滅ぼしたのです。
それは、とある“兵器”を見つけたからでした。その正体は、人々から恐れ、嫌われていた八人の“魔女”。その力は強大でした。どんな鉄の塊よりも、彼女たちは強かったのです。
争いを終わらせた立役者――“ノア”と呼ばれる勇者様は、魔女たちを使役して戦争を終わらせました。彼女は皆から褒めたたえられ、たちまち人々の人気者になっていきました。
しかし、世界は平和になりませんでした。小さな国は、その力を我が物にするために、魔女たちを操ろうとしたのです。
ノアは、“この世界を平和にして欲しい”と魔女たちにお願いしました。彼女たちはその願いを聞き入れました。そして、全員で力を合わせて世界を滅ぼし、新たな世界を創り上げたのです。
そこは、人々が魔法を手に入れた、新しい世界。こうして生まれたのが、私たち“新人類”なのです。
ところで、元いた人たちはこの後、どうなったのでしょうか。魔法を使えない彼ら“旧人類”は、その傲慢さと欲深さを哀れんだ神様によって、身体と考える力を奪われてしまいました————
* * *
「——そんな彼らは、今でもこの世界の地下深くに封印されているんだとか。おしまい」
私が話し終える頃には、すでに胸の辺りでユキの寝息が響いていた。私が今話した物語は、古くから伝わる、いわゆる“人類誕生の歴史”というヤツだ。
再び、風に揺らいだ風鈴がちりん、と一度だけ鳴る。心地の良い風に吹かれ、段々と意識が微睡の中に落ちていく。
(ああ、こんな幸せな日々が、これからもずっと、続いていきますように)
私は、心の底からそう願った。静かな夜。当たり前の夜。誰もが安らかに眠り、誰もが明日を楽しみに思いながら幸せな夢を見るありふれた一日の終わり。
——そんな日常が、あと数刻で呆気なく崩れ去ってしまうなんて、この時は誰一人、思いもしなかったのだ。




