22条 アシュレイ
アシュレイのこめかみに青筋が浮かぶ。
「義務がない、だと?」
「ええ」
ヴィオレッタは落ち着いた声で答えた。
「婚約は正式に解消されています。私はもはや殿下の婚約者ではありません」
「だから何だ!」
怒声が中庭に響く。
背後の貴族たちが肩を震わせた。
「私は第一皇子だぞ!」
「存じています」
「ならば私の問いに答えろ!」
「お断りします」
まさかここまで迷いなく拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
アシュレイは言葉を失った。
「なぜなんだ!」
ヴィオレッタが首を傾げる。
「殿下は今、第一皇子として質問しているのですか?」
「当然だ!」
「では公務ですか?」
「……何?」
「公務ならば回答の必要性を検討します」
ヴィオレッタは続ける。
「ですが、そうでないなら単なる個人的な興味です。答える義務はありません」
再び同じ結論にたどり着いた。
アシュレイの顔が赤く染まる。
周囲の貴族たちは目を逸らし始めた。
ヴィオレッタの言っていることが正論だからだ。
「兄上」
そこでセドリックが静かに口を開く。
「もうやめてください」
「黙れ!」
怒鳴り返すアシュレイ。
「貴様が全ての元凶だ!」
「元凶?」
「そうだ!」
アシュレイは指を突きつけた。
「お前が余計なことをしたからだ!」
「余計なこととは?」
「ヴィオレッタを唆した!」
今度はセドリックが呆れたような顔になる。
「兄上は本気で言っているのですか」
「何だその顔は!」
「ヴィオレッタ嬢が他人に唆されて動く人間だと思っているのですか?」
その言葉に周囲の貴族たちも思わず頷きそうになった。
あのヴィオレッタである。
誰かの操り人形になる姿など想像できない。
「ふざけるな!」
アシュレイはさらに声を荒げた。
「お前たちは最初から私を失脚させるつもりだったんだろう!」
「初耳ですね」
ヴィオレッタが言う。
「私も初耳です」
セドリックも言う。
二人とも本当に初耳だった。
だから余計に腹が立つ。
「貴様ら……!」
アシュレイの理性が限界に近づいていた。
「分かった」
アシュレイは不気味に笑った。
「そこまで言うなら教えてやる」
その笑みにヴィオレッタは警戒を強める。
嫌な予感がした。
「兄上?」
セドリックも眉をひそめる。
アシュレイは二人を見回した。
そして周囲の貴族たちにも聞こえるように高らかに言った。
「私はセドリックを王にする気はない」
これには誰も驚かない。
今更何を言い出すのだという空気が流れる。
だが、問題は次の言葉だった。
「必要ならば王位継承権を剥奪してやる」
空気が凍る。
王族同士の争いは珍しくない。
だが、こんな場所で口にする言葉ではない。
「兄上」
セドリックの声が冷たくなる。
しかしアシュレイは止まらない。
「父上も母上も甘い」
「……」
「私は国王になる」
その瞳には狂気にも似た執念が宿っていた。
「邪魔者は全て排除する」
周囲の貴族たちの顔色が変わる。
今の発言は聞き流せるものではない。
王位継承者として極めて危険な思想だからだ。
ヴィオレッタは静かに息を吐いた。
(なるほど)
理解した。
アシュレイは追い詰められている。
婚約破棄に社交界での評価失墜、さらに王と王妃からの叱責。
そして、それらの結果広がりつつあるセドリックへの支持の拡大。
全てがアシュレイを焦らせていた。
だからこそ、今この瞬間に自分で自分の首を絞めていることに気付いていない。
「アシュレイ殿下」
ヴィオレッタが立ち上がる。
「何だ」
「忠告を一つ」
彼女は真っ直ぐ第一皇子を見た。
「王とは、恐怖で従わせる存在ではありません」
アシュレイが鼻で笑う。
「綺麗事だな」
「いいえ」
ヴィオレッタは首を横に振った。
「恐怖で支配された者は、より強い恐怖を見つけた瞬間に裏切ります」
かつて前世で見た歴史も、法律も、人の社会もそうだった。
「ですが信頼で結ばれた者は違う」
「……」
「苦しい時ほど支えてくれます」
中庭は静まり返っていた。
誰も口を挟まない。
ヴィオレッタは続ける。
「殿下が目指しているのは王ですか?」
一息、魔を開けてから続ける。
「それとも独裁者ですか?」
その一言が突き刺さった。
アシュレイの顔から血の気が引く。
周囲の貴族たちも息を呑んだ。
独裁者という言葉は王家の人間に向けるにはあまりにも鋭い。
しかし誰も反論できなかった。
なぜなら今のアシュレイの言動は、まさにそれだったからだ。
「……貴様」
アシュレイの声が震える。
「貴様だけは許さない」
憎悪に満ちた宣言だった。
ヴィオレッタは表情を変えない。
だがその瞬間、中庭の入口から新たな声が響いた。
「その言葉は聞き捨てならないな」
全員が振り向く。
そこに立っていたのは、この国の国王だった。
その隣には王妃もいる。
そして二人とも、今の会話をどこまで聞いていたのか分からないほど静かな表情をしていた。




