20条 親子
しばらくの間、公爵は自身の執務室で椅子に深く座り目を瞑っていた。
やがてゆっくりと立ち上がると、側近にヴィオレッタを呼びに行かせる。
程なくして扉が静かに叩かれた。
「お父様、お呼びでしょうか?」
ヴィオレッタは急に呼ばれたにも関わらず、落ち着いた様子で呼ばれることが分かっていたようだった。
「呼ばれることが分かっていたようだな」
「王城からの使者が来たと聞いて、私に関係する話だと思いましたので」
「相変わらず耳が早い」
「お父様の娘ですから」
ヴィオレッタは微笑む。
だが、その瞳は真剣だった。
「セドリック殿下は、私に婚約を申し込まれたのですね」
「ああ」
「そして、第二皇子派への協力も」
「ああ」
公爵は隠さなかった。
ヴィオレッタもまた、驚いた様子はなかった。
「……随分、思い切ったことをされますね。あの方」
「嫌か?」
公爵の問いにヴィオレッタはすぐには答えなかった。
窓の外へ視線を向ける。
夕焼けが、空を深紅に染めている。
セドリックの顔が脳裏に浮かんだ。
「嫌、ではありません」
ヴィオレッタは静かに言った。
公爵は片眉を上げる。
「珍しいな。お前が即座に否定しないとは」
「勘違いなさらないでください。まだ受けるとは言っておりません」
「分かっている」
「ただ……少なくとも、アシュレイ殿下よりは話が通じます」
「それは最低条件だ」
「ええ。本当に最低条件です」
ヴィオレッタは小さく笑った。
だがすぐに、その表情を引き締める。
「お父様。セドリック殿下は本気です。おそらく、王位を取りに行く覚悟もある」
「そう見えるか」
「はい。ですが、まだ危ういとも思います」
「どこがだ」
「優しさです」
公爵は黙って続きを促した。
「セドリック殿下は、アシュレイ殿下が王になる危険性を理解しています。けれど、王位を奪うことの重さも理解している。だからこそ、迷う瞬間が必ず来ると思います」
「その迷いは弱さか?」
「場合によります」
ヴィオレッタははっきりと言った。
「人を傷つけることを恐れない王は危険です。けれど、必要な決断まで恐れる王もまた危険です」
「では、お前は殿下に何を求める」
「法の上に立つ覚悟ではなく、法に縛られる覚悟です」
公爵の目が細くなる。
ヴィオレッタは続けた。
「王は強大な権力を持ちます。だからこそ、自分を制限する仕組みを受け入れられるかどうかが重要です。自分が正しいと思った瞬間に法を踏み越える者なら、たとえ善意でも暴君になります」
「セドリック殿下が、その器か見極めたいと」
「はい」
ヴィオレッタは父をまっすぐ見た。
「そして、もし彼が本当にその覚悟を持つなら」
「持つなら?」
「私は、隣に立ってもよいと思います」
その言葉を聞いた瞬間、公爵の表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
「そうか」
「ただし」
ヴィオレッタの声が鋭くなる。
「私は王妃という椅子に座って微笑むだけの女になる気はありません」
「だろうな」
「必要なら、夫となる方にも反論します。王であろうと、間違っていれば止めます。利用されるつもりも、黙って従うつもりもありません」
「それを聞けば、普通の王族は逃げる」
「逃げるなら、その程度です」
ヴィオレッタは迷いなく言った。
公爵はしばらく娘を見つめた後、低く笑った。
「まったく。誰に似たのやら」
「お父様では?」
「違いない」
親子の間に、わずかな穏やかさが流れる。
だが、それはすぐに消えた。
公爵は机の上に置いた書状へ視線を落とす。
「三日後、セドリック殿下をこの屋敷へ招く」
「では、私も同席を?」
「当然だ。これはお前の人生に関わる話だ」
「ありがとうございます」
「ただし、ヴィオレッタ」
公爵の声が重くなる。
「この話を受ければ、お前はもう後戻りできない」
「分かっています」
「アシュレイ殿下は、お前を恨んでいる。グランディール公爵家も黙ってはいない。教会も絡んでいる可能性がある。第二皇子派につくということは、そのすべてと敵対する覚悟を持つということだ」
「承知しています」
「それでも進むか」
「争いを避けるために法があります。けれど、争わなければ守れない権利もあります」
その紅い瞳に、迷いはなかった。
「アシュレイ殿下が王となれば、この国の法は権力者の感情に踏みにじられるかもしれません。ならば私は、戦います」
公爵は自分の娘を見た。
貴族として育った自分と同じように貴族として育てた娘。
ヴィオレッタ本人は誤解しているが愛情が無かったわけではない。ただ、普通の親子のような愛し方が分からなかったのだ。
第一皇子アシュレイと結婚し王妃として生きるのが幸せだと考えていた。
まだまだ子供であると思い自分の命令通りに人生を歩ませようとしていた。だが今、目の前にいるのは違う。
自ら考え、自ら選び、自ら戦場に立つ意志を持った大人へと成長していた。
「……分かった」
公爵は静かに頷いた。
「ならば、三日後。第二皇子セドリック殿下の覚悟を見極める」
「はい」
「そして、もし殿下が本物なら」
公爵の瞳に、鋭い光が宿った。
「エーデルシュタインは、王位を取りに行く」
ヴィオレッタは、その言葉にゆっくりと頷いた。
夕暮れの光が、書斎を赤く染めていた。
それはまるで、これから始まる争いの幕開けを告げる色のようだった。




