18条 忠告
19条 覚悟
その数日後。
今日は王家とエーデルシュタイン公爵家の仲が良好である証としてヴィオレッタが王城を訪れる日だ。
しかし、ヴィオレッタの前には、なぜかアシュレイではなくセドリックがいた。
「なせ私はセドリック様とお茶をしているんでしょうか?」
「不満かな?」
セドリックは机に肘をつき、どこか楽しげに片眉を上げた。
「いえ。ただ予定外だったので確認しただけです」
王家とエーデルシュタイン公爵家の関係改善を内外へ示すための場。ここで第一皇子が姿を見せないのは政治的にも不自然だ。
つまり――意図的。
「……アシュレイ殿下は?」
「ああ。来る予定だったよ」
セドリックはカップを揺らしながら答える。
「だが直前で気が変わったらしい」
「子供みたいな理由ですね」
「実際子供みたいなものだからな」
遠慮がない。
実の兄への評価とは思えず、ヴィオレッタは少しだけ目を細めた。
「嫌われていますね、アシュレイ様」
「君ほどじゃない」
「光栄です」
「そこは否定しないのか?」
「事実ですから」
婚約破棄未遂騒動。
その場でヴィオレッタに論破され、結果的に自ら謝罪する羽目になったアシュレイは、今や完全に逆恨みしている。
しかも最近では、グランディール公爵家と頻繁に接触しているという噂まである。
セドリックはそんなヴィオレッタをじっと見つめた。
「……君は兄上をどう思う?」
「第一皇子としては致命的に感情的ですね」
「容赦ないな」
「ですが、扱いやすくもあります」
ヴィオレッタは静かに紅茶を置く。
「感情で動く人間は、誘導できる」
一瞬、空気が止まった。
セドリックの口元から笑みが消える。
「君……それを王族相手に言うのか」
「聞かれたので答えました」
「普通は濁す」
「濁したところで事実は変わりません」
セドリックは数秒沈黙したあと、ふっと息を漏らした。
「やはり面白いな、ヴィオレッタ嬢」
「褒めても何も出ませんよ」
「いや、君は気づいていないだけだ」
セドリックは椅子へ深く腰掛け直す。
その紫紺の瞳が細められた。
「今の王城には、本音で話す人間が少なすぎる」
穏やかな声。
だが、その奥には鋭い観察眼があった。
「兄上の周囲には、機嫌を取る者しかいない。グランディール家の連中もそうだ」
「……」
「だから兄上は、自分が正しいと勘違いし続ける」
ヴィオレッタは何も言わなかった。
だが、セドリックは続ける。
「その点、君は違う」
「買い被りです」
「いや。少なくとも君は、相手が王族でも貴族でも法と理屈で話そうとする」
その言葉に、ヴィオレッタの瞳がわずかに揺れた。
「……興味深い評価ですね」
「興味深いのは君の方だよ」
セドリックは微笑む。
「最近もグランディール家のお茶会でバネッサ嬢を言い負かしたそうじゃないか」
時計の針の音だけが小さく響く。
ヴィオレッタはゆっくりとカップを置いた。
「……それは、褒め言葉ですか?」
「さあ?」
セドリックは楽しげに笑う。
「最近もグランディール家のお茶会で、バネッサ嬢を言い負かしたそうじゃないか」
セドリックは紅茶を揺らしながら、どこか愉快そうに言った。
ヴィオレッタは小さく目を細める。
「随分と情報が早いんですね」
「王城を甘く見ない方がいい。特に、社交界で起きた大きな流れはすぐに耳へ入る」
セドリックは肩を竦めた。
「まして今回は、グランディール家の空気を正面からひっくり返したらしいからな」
「大袈裟ですわ」
「いや? クルーガー・グランディールと法について議論した令嬢など、王都でも君くらいだろう」
ヴィオレッタは静かにカップを置いた。
やはり、そこまで伝わっている。
「……どこまでご存知で?」
「飢饉と徴税の話だろう?」
即答だった。
「“法は人を守るためにある”――だったか」
セドリックは薄く笑う。
「兄上の側近候補たちが随分騒いでいたよ。危険思想だと」
「まあ」
「特にクルーガーは、君をかなり警戒したらしい」
その言葉に、ヴィオレッタはわずかに視線を伏せた。
(やはり、そうなりますわよね)
あの男は聡明だ。
だからこそ理解した。
ヴィオレッタが単なる感情論で話していたのではなく、統治を前提に法を語っていたことを。
セドリックはそんな彼女を見つめながら続ける。
「だが興味深いな」
「何がです?」
「君とクルーガーは、正反対に見えて根は似ている」
ヴィオレッタの眉がわずかに動く。
「心外です」
「だが実際そうだ。君たちはどちらも国家を見ている。普通の貴族令嬢なら、社交界の立場や婚約の話しかしない。だが君たちは違う。法が国家をどう変えるかを話していた」
ヴィオレッタは否定しなかった。
それは事実だったからだ。
「クルーガーは実に貴族らしい考え方を持っている。法を作るのは貴族であり、民を支配するための秩序であり仕組みだ。対して君は、法が守るべきものを、つまり人を重視している」
セドリックはそこで一度言葉を切った。
「だから噛み合わない」
静かな声だった。
「法を守るために人を切り捨てるのか。人を守るために法を曲げるのか」
ヴィオレッタは窓の外へ視線を向ける。
王城の庭では風に揺れる花々が陽光を受けていた。
「……法は本来、人が生きるためのものです」
静かな声音。
「法そのものを守るために民が死ぬなら、それは秩序ではなく自己目的化ですわ」
セドリックは目を細める。
「だがクルーガーの言い分も理解はできるだろう?」
「ええ」
ヴィオレッタは即答した。
「例外を認め続ければ、やがて法は権威を失う。感情論で国家が動けば、最後に苦しむのは弱者です」
「そこまで分かっていて、なお君は人を優先する?」
「法に信頼があるからこそ、人は従います」
ヴィオレッタはゆっくりセドリックを見る。
「恐怖だけでは国家は長続きしません」
その瞬間、セドリックの表情から笑みが消えた。
「……君は危ういな」
セドリックは低く呟く。
「民に愛される思想だ。だが同時に、既得権を持つ貴族から最も警戒される思想でもある」
「グランディール家のように?」
「特に、な」
短い肯定。
セドリックはティーカップを置いた。
「クルーガーが君を敵認定した理由も分かる。あの男は“法による支配”を信じている。だが君は、法が守るべきものを語った」
「……」
「それは統治思想として、真っ向から対立している」
ヴィオレッタは静かに笑った。
「まるで戦争みたいな言い方ですね」
「実際そうだよ」
セドリックは淡々と言う。
「国家の在り方を巡る争いは、昔から最も血が流れる」
空気が少し冷える。
だがその中で、セドリックだけは妙に楽しそうだった。
「だから面白い」
「性格が悪いですね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
そう言って笑った後、セドリックはふと真面目な顔になる。
「……ヴィオレッタ嬢」
「はい?」
「忠告しておこう。もし君が本気でその思想を貫くなら、いずれ王都の中心へ立つことになる」
セドリックの瞳が真っ直ぐ彼女を射抜く。
「その時、君は誰を敵に回すか理解しておいた方がいい」
ヴィオレッタは数秒黙った後、静かに答えた。
「では逆にお聞きします」
「何かな?」
「セドリック様は、どちら側なんです?」
その問いに、第二皇子は一瞬だけ目を見開いた。
そして――。
「さて」
意味深に笑った。




