2話
【2話:見えない工房、苛立つテツワン】
「いいかリア、よく見とけ。これが『ガチ勢』の詰め方だ」
テツワンはレンがいなくなった後のレンガ壁にべったりと手を突き、魔力の流れを指先でなぞった。
「……チッ、やっぱ反応がねぇ。レンの野郎が通った瞬間だけ、世界の『理』が書き換わってやがる。なぁリア、お前は転移歴4年だっけか? 俺の9個下だからと言って、この世界の設計ミス(バグ)に気づかねーのは、ぶっちゃけ平和ボケしすぎだぜ」
「また始まった……。テツさん、それ単なる壁ですよ。レンくんは、ほら、地元の不思議な子ですから、何か抜け道でも知ってるんでしょ」
リアの冷めた視線を、テツワンは鋭い鼻笑いで一蹴する。
「ハッ、抜け道だぁ? そんな安っぽいもんじゃねーよ! レンが言った『エル』って名前……あれ、聖教図書館にある本にちょいちょい出てくる名前なんだわ。それを地元のガキがさらっと口にする。……これ、マジでパねぇ事態なんだよ」
テツワンはサングラスをずらし、充血した目で壁を睨みつけた。
「あの青くてムキムキな、下半身が煙みてぇな大男。それに加えて、背中に羽でも生えてそうな、マジ天使みてぇに可愛いエルのコンビだぜ!? なんでそんな最高(神)布陣が、あいつの急須のメンテナンスなんかしてんだよ! 羨ましすぎて禿げるわクソッ!あいつ、この世界のパワーバランスを根底からバグらせてやがる。俺らトップ層が血眼で探してるレアフラグを、あいつは『日常』で消費してんだよ!」
「……もう、勝手に戦慄しててください」
呆れて立ち去るリアの背中に、テツワンはなおも吠え続ける。
「おい、待てリア! 先輩の講釈は最後まで聞けっての! これだからひよっこはよぉッ! ああクソ、ゲルマンくん、俺にもその急須のお茶、一杯啜らせてくれよォォ!」
王都の「境界」で、30代の男が一人、虚空の壁に向かって必死にメンチを切っていた。
【至高の茶器と、師匠の眼光】
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夕闇が隠れ家を包み込む頃、レンは懐の大切な「包み」を抱えて戻ってきた。
縁側では、ミズキが静かに夜の気配を眺めている。
「ただいま。ミズキ。これ、受け取ってきたよ」
レンは作業台の上に、あの黒い布の包みを恭しく置いた。
ミズキは無言で、だがどこか期待を込めた所作で布を解く。
現れたのは、ゲルマンが魂を削って磨き上げた、鈍く、けれど底知れぬ深みを湛えて輝く——究極の「急須」。
「ほう。これは、素晴らしい。鉄の呼吸が、正しく整えられていますね。ゲルマンさん、実に見事な仕事をしました」
ミズキが愛おしそうにその取っ手に触れる。
だが、レンの表情は晴れない。
「でも、ミズキ。ゲルマンさんいなかったんだ。エルくんも。街では、誰かに拉致されたなんて噂もあって……」
レンは、市場で聞いた「歪んだ噂」や、ルカが森を浄化したことになっている話、そして何より、ゲルマンが何日も姿を消している異常事態を、ぽつりぽつりと報告した。
ー ー ー
ミズキの指が、急須の表面をなぞったまま止まる。
その穏やかな瞳の奥で、一瞬だけ、鋭い理知的な光が走った。
「なるほど。レン。この急須、まだ『芯』が温かいですね」
「……え?」
「何かに吸い寄せられるように向かった。そんな気配がします。……それも、この世界の物差しでは測れない、もっと深い場所へ」
ミズキは静かに立ち上がり、窓の外、雲の向こう側に浮かぶ『天を突く方舟』を見据えた。
「レン。お茶の前に、少しだけ『お掃除』の準備をしておきなさい。おもてなしの前に、招かれざる客を追い払う必要があるかもしれません」
「ん。わかった。じゃあ、オグリにも追加料金のこと、言っておかないとね」
師匠の言葉に、レンは静かに頷く。
究極の急須が戻り、そして伝説の職人が消えた。
交わる筈のない点と点が、水彩の絵の具が垂れてきて滲むように、ソレは交わろうとしていた――。
【見えない階段、拒絶の空】
「ん。あそこ、やっぱり歩きでは、行けないんだね」
翌朝。レンは隠れ家の庭から、改めて空を見上げていた。
雲の隙間に見える『天を突く方舟』。
王都の記録では、かつて高位の飛行魔法で接近を試みた魔導師たちが、その防壁に触れることすらできず、魔力を吸い尽くされて墜落したという。
『主よ。あそこは、俺の脚でも空を駆けて入るのは無理だ。空間そのものが、外部からの干渉を拒んでいる……』
オグリが珍しく真剣な顔で、横に並んで空を睨む。
「ミズキ。あそこに行くには、どうしたらいいかな。ゲルマンさんとエルくんはもしかして……」
「ええ。空が閉ざされているなら、道は『地』にあります」
ミズキは、昨日レンが持ち帰った急須を丁寧に拭きながら答えた。
「古き記録によれば、天の方舟は大地と一本の『根』で繋がっているとか。その根の先は、今は人々に忘れられた、ある洞窟に隠されているはずです」
「洞窟。んー、どこにあるんだろう」
レンは少し考え、それからポン、と手を叩いた。
「あ。あそこなら、知ってる人がいるかも。ルカくんなら、暁のクランで古い地図、たくさん持ってそうだし」
『ぬ。あの『烈日』の奴か。あいつに頼むなら、仲介料を上乗せ……』
「あ、オグリ。それ、後でね」
レンは、のんびりとした足取りながらも、いつになく目的意識を持って準備を始めた。
空への道は、地の底から続いている。
ゲルマンとエルが消えた謎を解くため、そして「お茶の時間」を完璧にするため、レンは再び王都の喧騒へと向かう決意をする。




