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聖女のおもてなし  作者: 甘味 太郎
空の咆哮、聖女の招き
8/9

1話

【プロローグ:大地の恵みと、預けられた『秘宝』】




—————————




「ん。よし。ここの土、大分ふかふかになってきたね」


隠れ家の裏庭。レンは麦わら帽子を深く被り直し、小さなクワで丁寧に土を返していた。

そこは、師匠であるミズキがこよなく愛する、ジャガイモ専用の畑だ。


「オグリ。そこ、踏まないでね。ミズキが、楽しみにしてるんだから」

『ぬ。わかっている。この『大地の実り』こそ、魂の活力。俺も、ふかふかに蒸かしたやつは、嫌いではない』


オグリがのんびりと鼻を鳴らす。レンにとって、このジャガイモ畑の手入れは、魔法の修行よりもずっと「大事なこと」だった。

土の匂い、湿り気、そして地脈から伝わってくる微かな鼓動。


「レン。土の機嫌はどうですか?」


縁側で静かにお茶を啜っていたミズキが、穏やかに声をかける。


「ん。ミズキ、バッチリだよ。今年も、すごくホクホクになりそう」

「それは楽しみですね。ジャガイモは、大地の慈しみそのものです。それを正しく育てることは、世界の理を整えることにも通じますから」


ミズキはそう言って目を細めると、思い出したように視線をレンの腰辺りに向けた。


「ところで、レン。例の、ゲルマンさんに預けた『アレ』はどうなりましたか?」


レンがハッとして、自分の空になった懐をさする。


「あ。まだ、何も連絡ないよ」

「ふふ、あの方のことですから、きっと寝食を忘れて没頭しているのでしょう。ですが、あまり長く預けっぱなしにするのも失礼です。今日の農作業が終わったら、少し様子を見てきなさい」


ミズキの言葉に、レンは神妙な面持ちで頷いた。

あの伝説的な職人が、自らの職人人生を賭けるとまで言う逸品。


「ん。わかった。お芋にたっぷりお水をあげたら、街まで行ってくるね」


レンは再びクワを握り、丁寧に、心を込めて土を耕し始めた。

その空には、今日も巨大な影が浮かんでいるけれど、今のレンにとっての優先順位は、まずは「美味しいジャガイモ」、そして預けた物の安否。

ゆったりとした日常の裏で、運命の歯車が再び、ゆっくりと回り出そうとしていた。




【無人の工房、残された極致】




王都に重苦しい空気が漂い始めた頃。レンはミズキに促され、預けていた物を受け取りに、再び鉄の匂い漂う路地裏へとやってきた。


「こんにちは。ゲルマンさん、いる?」


レンが重い鉄の扉を押し開けると、いつもなら工房を満たしているはずの熱気が嘘のように消えていた。炉の火は落ち、金床のそばに散乱していた道具も、今は整然と片付けられている。陽気なゲルマンの笑い声も、黙々と鉄を打つエルの音も、そこにはない。ただ、しん……とした、耳が痛くなるような静寂だけが工房を支配していた。


「いない。エルもいないね」


レンがトコトコとした足取りで店の奥へ進むと、主のいないカウンターの上に、一点の曇りもない「黒い布の包み」が置かれていた。まるで、レンがここに来ることを予見し、誰の手にも触れさせないよう、そこに捧げられたかのように。レンは無言で、その包みを手に取った。布の間から覗くのは、以前の錆びた姿からは想像もつかないほど、深く、鋭く、研ぎ澄まされた鉄の輝き。


(……ゲルマンさん。本当に、綺麗に直してくれたんだね。でも、二人はどこへ行っちゃったんだろう)


ゲルマンが魂を込めて磨き上げ、そしてエルが密かに観察し続けていた「究極の茶器」。職人と、その正体を探っていた弟子。二人が忽然と姿を消した工房で、レンはその急須を大事そうに懐にしまい込んだ。

外へ出ると、空には見たこともないほど巨大な影が、ゆっくりと太陽を飲み込もうとしていた。





【市場の喧騒、歪められた英雄譚】




懐に「秘宝」の重みを感じながら、レンは活気溢れる市場へとやってきた。

今日の目的は、ミズキのジャガイモ料理に合わせるための、新鮮なバターと岩塩。


「ん。今日も、すごい人だね、オグリ」

『ぬ。それだけ、この街の連中は不安なのだ。買い物をして、心を落ち着かせようとしているな』


オグリの言う通り、買い物客たちの会話はどこか落ち着きがない。

そしてレンの耳には、先日自分が通り過ぎてしまった、『太古の森』に関する奇妙な噂が飛び込んできた。


「聞いたか? あの森の異変、暁のクランの『烈日』のルカが、一撃で魔王の化身を焼き払ったらしいぜ!」

「いやいや、俺が聞いたのは、王国軍の秘密兵器が森ごと浄化しちまったって話だ」

「え。ルカくん、そんなことしてたんだ」


レンはおっとりした顔で、山積みの岩塩を選びながら呟く。

さらに噂は、どんどん尾ひれがついて飛躍していく。


「なんでも、森の奥には黄金の財宝が眠っていて、それを巡って転移者たちが争いをしてるらしいぞ」

「そのせいで、王都の腕利きの武器職人が何人も拉致されて、無理やり呪いの武器を作らされてるって噂だ。ゲルマンを最近見かけないのも、そのせいじゃねえか?」


「…………」


レンの足が、ふと止まる。

平民たちの間では、「浄化の事実」すら歪み、ゲルマンさんの失踪までもが「陰謀論」として語られている。

情報は混ざり合い、真実が見えなくなっているけれど……。


(ルカくんの火でも、軍の兵器でもないけれど。ゲルマンさんが、自分の意思で消えたんじゃないとしたら)


レンは無造作に岩塩を袋に詰めると、夕暮れに染まる空を見上げた。

そこには、相変わらず静かに浮かぶ『天を突く方舟』。


「さて。美味しいバターを買ったら、一回、お家に帰ろう。ミズキに、お茶を淹れて相談しなきゃ」


歪んだ噂の渦巻く街を抜け、レンは静かな決意を秘めて、隠れ家への道を歩き出すのだった。






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