6話
【第6話:残り香の証明】
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王都の喧騒から離れた、静かな隠れ家。
ミズキが庭先でハーブの手入れをしていると、小走りに近づいてくる足音が聞こえた。
「はぁ、はぁ……! あの、ここ、レンくんのお家ですよね!?」
現れたのは、息を切らしたスージーだった。その手には、レンが店に「落として」いった、あの小さなハーブの枝が握られている。
「……おや。カフェのスージーさんですね。レンなら、つい先ほど出かけましたが」
ミズキが穏やかに微笑むと、スージーは「やっぱり!」と肩を落とした。
「これ、レンくんの忘れ物なんです。太古の森に行くって言ってたから、届けなきゃと思ったんですけど……私じゃあそこまでは行けないから。せめてこれ、預かってもらえますか?」
「——わざわざ、ありがとうございます」
ミズキがその枝を受け取った、その時だ。
ふわりと鼻腔をくすぐった香りに、ミズキの端正な眉がわずかに動いた。
(ほう。こんな上質なものを、あの子はどこで……。ふふ、私に内緒で、とっておきを隠し持っていたようですね)
ミズキは愛おしそうにその枝を見つめ、スージーに向き直った。
「スージーさん。レンの代わりに、私がお礼を言わせてください。さて、店までお送りしましょう。女の子が一人で歩くには、少し風が冷たくなってきましたから」
ミズキが優しくエスコートし、スージーを店まで送り届ける。
「じゃあね、ミズキさん! レンくんに、忘れ物しないでって伝えといて!」
元気よく店へ戻る彼女を見送った後、ミズキの表情からふっと「おもてなし」の笑みが消えた。
彼は懐から、先ほどのハーブを取り出し、空を見上げる。
その視線の先は、つい数刻前にレンが向かった、北の空。
「さて。レン、おやつに遅れると困りますからね。少し、迎えに行きましょうか」
ミズキが静かに指を鳴らす。
次の瞬間、彼の姿はかき消えるようにその場から消失し、次元を飛び越えて、あの戦場となった森の深淵へと「転移」した。
【師匠の嗜み、あるいは静かなる断罪】
転移した先は、理の壊れた「無」の世界。
本来の精霊の歌声は消え、不気味な幾何学模様が蠢く灰色の深淵。
ミズキはその凄惨な光景を目にして、わずかに眉を顰めた。
「やれやれ。レンに任せるつもりでしたが、これは少し、度が過ぎていますね」
彼の周囲を、得体の知れない異形の影たちが包囲する。ユウキたちの最強魔法を弾き返したあの絶望が、一斉に彼へと牙を剥いた。
「あとでレンには、みっちりと『お茶の心』を説き直さなければなりません。これほどまでの歪みを放置して、呑気に寄り道などしているようでは……」
ミズキはため息をつきながら、静かに、ただ一歩踏み出した。
その瞬間、彼の内側から底なしの魔力が溢れ出した。
それは破壊の力ではない。荒れ果てた大地を癒やす雨のように、濁った空気を洗い流す風のように、圧倒的で慈悲深いエネルギー。
「——帰りなさい。貴方たちが、あるべき姿へ」
ミズキがそっと手をかざす。
ただそれだけの動作で、迫りくる異形の影たちが光の粒子へと変わり、次々と本来の「精霊」の姿へと回帰していく。
異界のバグ、世界のひずみ、そんな理不尽なすべてを、ミズキの魔力は「正しい形」に書き換えていく。
ユウキたちが死力を尽くして傷一つ負わせられなかった絶望を、彼はまるでお茶の葉の塵を払うかのような、あまりに淡々とした所作で「処理」していくのだ。
やがて、灰色の霧が完全に晴れ、森の奥底にエメラルドの輝きが戻る。
「ふふ。お茶の時間には、まだ間に合いますね」
浄化を終え、元の美しい森に戻った景色を確認すると、ミズキは満足げに頷いた。
ユウキたちが呆然と空を見上げていたあの「奇跡」の正体は、ただ、弟子の不始末を片付けに来た師匠の、ほんのひと手間に過ぎなかった。
「……」
ミズキは懐から、スージーに託された「あのハーブ」を取り出した。
指先をくるりと回した刹那
――リィンッ。
清涼な鈴の音が響き、空気が鮮やかに弾ける。瞬きの一間にミズキの姿は掻き消え、あとには瑞々しいハーブの香りと、陽光に踊るエメラルドの粒子が、風に乗って爽やかに駆け抜けていった。
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隠れ家の庭先。
ミズキは先ほど中断した食器棚の整理を、何事もなかったかのように再開した。
「さて。お茶の時間までには、ここを整えてしまわなくては」
【強欲の暴走と、前髪の危機】
(ミズキが隠れ家で食器棚を整理し始めた、その頃――)
遥か彼方、この大陸とは別の空の下。
見渡す限りの大海原を、一筋の銀色の雷光が物理法則を無視して駆け抜けていた。
「ッ、ちょっと待ってオグリ! さっきから海しか見えないし、もう別の国に入ってるってば!」
『ぬおっ!? ま、待てレン、焦るな! 走れば走るほど、後で貰える金貨が増える。俺の計算では、そうなっているはずだ!』
「えぇ。そんな契約、してないよ」
オグリは神足の勢いそのままに、ついには隣の大陸の砂浜まで上陸してようやく急停止した。猛烈な砂煙を上げて、辺りには場違いな潮の香りが漂う。
「はぁ。オグリ、ここ、どこ?」
『む。どうやら、気合が入りすぎた、ようだな。まいど……あり……?』
ドヤ顔で振り返るオグリだったけれど、レンはポカーンと口を開けたまま、目の前の誰もいない異国の景色を眺めていた。
ふと風が吹き、どこからか懐かしいハーブの香りが運ばれてくる。レンがいたはずの森の異変は、もうとっくに、誰かの手によって綺麗に消え去ったようだ。
「あ。森、もう直っちゃったみたい。ボクたち何しに来たんだろうね……」
『ぬ。これは、その、観光、だな』
「ふふ。オグリのその前髪、ひっぱっちゃおうかなぁ」
レンは心の底からそう思ったとか、思ってないとか。
夕焼けに染まる見知らぬ大陸で、レンはオグリのふかふかな毛に顔を埋め、深いため息をつくのだった。




