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聖女のおもてなし  作者: 甘味 太郎
森の静寂(しじま)、一雫の波紋
6/9

6話

【第6話:残り香の証明】




ーーーー




王都の喧騒から離れた、静かな隠れ家。

ミズキが庭先でハーブの手入れをしていると、小走りに近づいてくる足音が聞こえた。


「はぁ、はぁ……! あの、ここ、レンくんのお家ですよね!?」


現れたのは、息を切らしたスージーだった。その手には、レンが店に「落として」いった、あの小さなハーブの枝が握られている。


「……おや。カフェのスージーさんですね。レンなら、つい先ほど出かけましたが」


ミズキが穏やかに微笑むと、スージーは「やっぱり!」と肩を落とした。


「これ、レンくんの忘れ物なんです。太古の森に行くって言ってたから、届けなきゃと思ったんですけど……私じゃあそこまでは行けないから。せめてこれ、預かってもらえますか?」

「——わざわざ、ありがとうございます」


ミズキがその枝を受け取った、その時だ。

ふわりと鼻腔をくすぐった香りに、ミズキの端正な眉がわずかに動いた。


(ほう。こんな上質なものを、あの子はどこで……。ふふ、私に内緒で、とっておきを隠し持っていたようですね)


ミズキは愛おしそうにその枝を見つめ、スージーに向き直った。


「スージーさん。レンの代わりに、私がお礼を言わせてください。さて、店までお送りしましょう。女の子が一人で歩くには、少し風が冷たくなってきましたから」


ミズキが優しくエスコートし、スージーを店まで送り届ける。


「じゃあね、ミズキさん! レンくんに、忘れ物しないでって伝えといて!」


元気よく店へ戻る彼女を見送った後、ミズキの表情からふっと「おもてなし」の笑みが消えた。

彼は懐から、先ほどのハーブを取り出し、空を見上げる。

その視線の先は、つい数刻前にレンが向かった、北の空。


「さて。レン、おやつに遅れると困りますからね。少し、迎えに行きましょうか」


ミズキが静かに指を鳴らす。

次の瞬間、彼の姿はかき消えるようにその場から消失し、次元を飛び越えて、あの戦場となった森の深淵へと「転移」した。




【師匠の嗜み、あるいは静かなる断罪】




転移した先は、ことわりの壊れた「無」の世界。

本来の精霊の歌声は消え、不気味な幾何学模様が蠢く灰色の深淵。

ミズキはその凄惨な光景を目にして、わずかに眉を顰めた。


「やれやれ。レンに任せるつもりでしたが、これは少し、度が過ぎていますね」


彼の周囲を、得体の知れない異形の影たちが包囲する。ユウキたちの最強魔法を弾き返したあの絶望が、一斉に彼へと牙を剥いた。


「あとでレンには、みっちりと『お茶の心』を説き直さなければなりません。これほどまでの歪みを放置して、呑気に寄り道などしているようでは……」


ミズキはため息をつきながら、静かに、ただ一歩踏み出した。

その瞬間、彼の内側から底なしの魔力が溢れ出した。

それは破壊の力ではない。荒れ果てた大地を癒やす雨のように、濁った空気を洗い流す風のように、圧倒的で慈悲深いエネルギー。


「——帰りなさい。貴方たちが、あるべき姿へ」


ミズキがそっと手をかざす。

ただそれだけの動作で、迫りくる異形の影たちが光の粒子へと変わり、次々と本来の「精霊」の姿へと回帰していく。

異界のバグ、世界のひずみ、そんな理不尽なすべてを、ミズキの魔力は「正しい形」に書き換えていく。

ユウキたちが死力を尽くして傷一つ負わせられなかった絶望を、彼はまるでお茶の葉の塵を払うかのような、あまりに淡々とした所作で「処理」していくのだ。

やがて、灰色の霧が完全に晴れ、森の奥底にエメラルドの輝きが戻る。


「ふふ。お茶の時間には、まだ間に合いますね」


浄化を終え、元の美しい森に戻った景色を確認すると、ミズキは満足げに頷いた。

ユウキたちが呆然と空を見上げていたあの「奇跡」の正体は、ただ、弟子の不始末を片付けに来た師匠の、ほんのひと手間に過ぎなかった。



「……」



ミズキは懐から、スージーに託された「あのハーブ」を取り出した。


指先をくるりと回した刹那


――リィンッ。


清涼な鈴の音が響き、空気が鮮やかに弾ける。瞬きの一間にミズキの姿は掻き消え、あとには瑞々しいハーブの香りと、陽光に踊るエメラルドの粒子が、風に乗って爽やかに駆け抜けていった。



ーーーー



隠れ家の庭先。


ミズキは先ほど中断した食器棚の整理を、何事もなかったかのように再開した。


「さて。お茶の時間までには、ここを整えてしまわなくては」




【強欲の暴走と、前髪の危機】




(ミズキが隠れ家で食器棚を整理し始めた、その頃――)


遥か彼方、この大陸とは別の空の下。

見渡す限りの大海原を、一筋の銀色の雷光が物理法則を無視して駆け抜けていた。


「ッ、ちょっと待ってオグリ! さっきから海しか見えないし、もう別の国に入ってるってば!」

『ぬおっ!? ま、待てレン、焦るな! 走れば走るほど、後で貰える金貨が増える。俺の計算では、そうなっているはずだ!』

「えぇ。そんな契約、してないよ」


オグリは神足の勢いそのままに、ついには隣の大陸の砂浜まで上陸してようやく急停止した。猛烈な砂煙を上げて、辺りには場違いな潮の香りが漂う。


「はぁ。オグリ、ここ、どこ?」

『む。どうやら、気合が入りすぎた、ようだな。まいど……あり……?』


ドヤ顔で振り返るオグリだったけれど、レンはポカーンと口を開けたまま、目の前の誰もいない異国の景色を眺めていた。

ふと風が吹き、どこからか懐かしいハーブの香りが運ばれてくる。レンがいたはずの森の異変は、もうとっくに、誰かの手によって綺麗に消え去ったようだ。


「あ。森、もう直っちゃったみたい。ボクたち何しに来たんだろうね……」

『ぬ。これは、その、観光、だな』

「ふふ。オグリのその前髪、ひっぱっちゃおうかなぁ」


レンは心の底からそう思ったとか、思ってないとか。

夕焼けに染まる見知らぬ大陸で、レンはオグリのふかふかな毛に顔を埋め、深いため息をつくのだった。






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