2話
【第2話:鋼の鼓動と、翼なき影】
王都のメインストリートから、入り組んだ路地をいくつか曲がった先。
きらびやかな魔法武器屋が並ぶ通りとは対照的に、そこには重苦しい鉄の匂いが立ち込める一角があった。
レンは、今にも崩れそうな古いレンガ造りの建物の前で足を止める。
見上げれば、風に吹かれてギィギィと音を立てる、半分錆びついた看板。
そこには、かつての名残か、鋭い一振りの剣の紋章が刻まれていた。
「ん。ここだ。やっぱり、ここの空気は落ち着くね」
武器屋『ヘパイストスの鉄槌』のような派手さはない。
けれど、レンにとっては、どんな高級なカフェよりも馴染み深い場所。
レンは、後ろで纏めた髪を指先で少し整えると、重厚な鉄の扉に手をかけた。
扉の隙間から漏れ出すのは、微かな油の匂いと、静寂。
「ごめんください。店長、いる……?」
レンがゲルマンの武器屋の扉を開けると、いつもの熱気と共に、一人の少女が黙々と鉄を打つ音が響いていた。煤で汚れながらも、透き通るような白さを持つ肌。そして、どこか人間離れした無機質な瞳を持つ弟子、エル。
「……あ。レンさん……いらっしゃい」
彼女の背中には、当然ながら翼はない。だが、その立ち姿はあまりに凛としていて、重い金槌を振るう所作一つとっても、まるで天界の儀式のように優雅で、どこか空虚だった。
「――コモエスタ、アミーゴ! 今日もいいツヤしてるじゃねえか!」
奥から現れたのは、店主のゲルマン。彼はレンの肩を叩きながら、チラリと弟子のエルに鋭い、だがどこか悲しげな視線を向けた。
「あの子か? 腕は確かだが、どうも『重み』が足りねえんだ。魂がココになくてよ(胸を叩く)、ずっと遠くの空を探してるような、そんな仕事をしやがる。なぁ、アミーゴ。……あんたには、あの子の背中に『何か』が見えるかい?」
「え。ボクには、一生懸命な女の子に、見えるけど……」
ゲルマンはガハハと笑い飛ばしたが、その瞳の奥には、職人(伝説の鍛治師)としての本能が告げる警鐘が宿っていた。
(空から落ちてきた、翼のない天使……か)
「で、今日はどうしたんだい? そのおっとりした様子じゃ、世界を救う剣を作れ、なんて注文じゃなさそうだが……」
「ん。ちょっと、ボクのこれを見てほしくて」
レンが懐から取り出し、机の上に静かに置いたのは、黒い布に何重にも包まれた「何か」だった。
その包みは、およそ武器にしては不自然な丸みを帯びている。だが、机に置かれた時に響いたズシリとした重量感は、ただの道具ではないことを物語っていた。
「オォーゥ!? アミーゴ!オレは王都一の武器屋の主だぜ? まさか、こんな訳のわからないモノをオレに託そうっていうのかい。正気か、レン!」
ゲルマンは一瞬、その「包み」に触れるのを躊躇した。
だが、職人の血が騒いだのか、恐る恐るその布を少しだけ捲り――息を呑む。
「……ッ! これはまさか!? いいかい、レン。これは一朝一夕で直せるもんじゃないぜ。オレの職人人生で今後出会えるかどうかの代物だ。それをオレに?」
「ふふ。ゲルマンさんならやってくれると信じてるよ。時間、かかってもいいよ。よろしくね」
「ハッハー! グラシアス、アミーゴ! この『秘宝』、オレが責任を持って預かろう。次にこれをお前に返す時、世界はひっくり返ってるかもしれないぜ!」
レンは空になった懐を軽く叩き、満足げに店を後にした。
ーーー夕闇が迫る王都を抜け、街外れにある隠れ家へ。
夕闇に包まれた隠れ家の扉を開けると、そこには静謐な空気が流れていた。
使い込まれた木の床。壁に掛けられた、何かの格言のような一幅の書。
そして、部屋の中央で静かに茶道具を整える青年、ミズキがいた。
「あ。ミズキ、ただいま」
「おかえりなさい、レン。いい時間でしたね。ちょうどお湯が、最高に美味しくなる頃合いですよ」
ミズキはそう言って、柔らかな微笑みを浮かべた。
彼はレンより数歳年上に過ぎないけれど、その立ち振る舞いには、若さに似合わぬ深みと落ち着きがある。
レンが隠れ家へ戻ると、そこからはミズキの時間だ。
彼は「おもてなしは茶道の嗜みですから」と優しく笑い、レンを椅子に促すと、流れるような所作でハーブを急須に入れ、ゆっくりとお湯を注いでいく。
「ミズキ。街、すごくザワザワしてた。みんな、魔王がどうとか天空のダンジョンがどうとか、言ってるよ」
「そうですか。風の音が、少し騒がしいと思っていましたが。世界の波が、少しずつ高くなっているようですね」
ミズキが差し出したカップからは、心に染み渡るような琥珀色の湯気が立ち昇る。
レンはその香りを吸い込みながら、窓の外の遠い空を見つめた。
「太古の森でも、変なことが起きてるって。勇者の血を引く人たちが集まってるみたいだけど……。ボク、少し見てこようかな」
「貴方がそう言うのなら、きっとそれが『自由』な選択なのでしょう」
ミズキは、レンの向かい側に静かに座り、自分のカップを手に取った。
王都の喧騒も、魔王の再来を告げる噂も、この部屋の穏やかな香りを乱すことはできない。
だが、二人の耳には届いていた。
遠くの空で鳴り響く、予兆のような、小さな雷鳴の音が。




