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聖女のおもてなし  作者: 甘味 太郎
空の咆哮、聖女の招き
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14/16

7話

【第7話:聖なる絶望、白銀の降臨】





マスターの一閃によって切り刻まれた黒い泥。

勝利を確信した一同の前で、塵となったはずの「それ」が、光の粒子を放ちながら再構築を始めた。

だが、現れたのは黒い泥ではない。

眩いばかりの白銀の光が広場を埋め尽くし、やがて光が収まった中心に、彼女——あるいは彼はいた。


「……えっ? 天使?」


スージーが、思わず剣を下げて呆然と呟く。

そこにいたのは、幾重もの純白の翼を背負い、慈愛に満ちた瞳を湛えた、息を呑むほど美しい「天使」だった。

魔王城の中から、魔王でも堕天使でもなく、一点の曇りもない神聖な存在が降臨したのだ。


「バカな。邪悪な気配が、一欠片も感じられないッ!」


ルカが震える声で大剣を握り直す。

天使は何も語らず、ただ静かに慈悲深い微笑みを浮かべた。

だが、その背後に浮かぶ『天を突く方舟』が、彼女の存在に呼応するように激しく明滅し、王都全土に「ひざまずけ」と言わんばかりの圧倒的な神威しんいを撒き散らす。


「——む。これは、俺の朧月おぼろづきでも少々アレは厄介かもしれんな」


最強のマスターの表情が、初めて険しくなった。

物理も魔法も効かないネバネバの正体は、この世界の「善」そのものを凝縮した、不可侵の聖域だったのだ。

天使がゆっくりと、空に向かって白く細い手を差し伸べる。

その指先が、その瞳が、浄化の蒼白い炎によって審判が下される、その時——。


「あれ、エルくん?こんな所にいたんだ」


戦場のど真ん中。

天使とマスターの間に、のんびりとあくびをしながら、銀狼に乗った少年が「滑り込んで」きた。

その腰には、修道院の扉を守っていた、あの煤けた『つっかえ棒』が差し込まれたままで。








【聖なる歌声、ひだまりの少女】





王都の広場に、それまでの沈黙を破るような、震えるほどに美しい「歌声」が響き渡った。

それは降臨した天使が放つ、魂を直接揺さぶるような聖歌。


「ッ、何、この歌。身体が、勝手に」


ルカが剣を杖にして、かろうじて立っている。その歌声は、聞いた者の意志を奪い、強制的に「浄化」という名の虚無へといざなう。

王都中の人々が膝をつき、祈りを捧げるようにこうべを垂れていく。それは慈悲に見えて、その実、個人の心を消し去る恐ろしい権能だった。

そんな、すべてが白く塗りつぶされそうな光景の中で。

レンは、かつて隠れ家の庭で見た、ある午後の光景を思い出していた。





————それは、レンが修道院を出て、ミズキと暮らし始めて間もない頃のこと。


「ん。ミズキ、お茶が入ったよ」


レンがいつものように声をかけ、中庭の奥へ入った時。

そこには、いつもの活動的な服を脱ぎ、風通しの良い白い薄衣うすぎぬを纏って、咲き誇るハーブに水をやるミズキがいた。

陽光に透ける柔らかな髪、そして、いつもは中性的に見えていたその身体の、しなやかで優しい曲線。

ふわりと舞った花びらが、彼の肩に落ちた瞬間。


「あ。ミズキ、女の子、だったんだね」


レンが素直に、ぽつりとこぼした。

ミズキは少しだけ驚いたように目を見開き、それから、いたずらっぽく、それでいて慈愛に満ちた「少女」の顔で笑ったのだ。


「ふふ、気づくのが少し遅いですよ、レン。ですが、私は私です。貴方の姉であり、師であり、そして……この草花を愛する一人の人間であることに、変わりはありません」


その時、彼女がレンに向けた微笑みは、目の前の「天使」が放つ完璧な光よりも、ずっと温かく、レンの心を救ってくれた。


(そうだ。ミズキの光は、あんなに冷たくない)



—————————



天使ラグエルの歌声が世界を支配しようとしたその瞬間……



『ミズキ』が、静かにその唇を開いた。


「少し、騒がしいですね。私の、大好きなジャガイモの芽が、驚いてしまいますよ」


ミズキが放ったのは、魔法でも聖歌でもない。

ただ、植物の成長を見守るような、穏やかで絶対的な「愛」の波動。

その一瞬で、天使の歌声は、初夏の午後の微睡まどろみのような安らぎへと上書きされていった。






【いつもの二人、いつもの空気】




天使ラグエルが放つ白銀の輝きが、王都を非現実的な美しさで塗りつぶしていく。

最強のマスターが口を真一文字にして空を睨みつけ、ルカやスージーが息を呑んで見上げる絶望的な光景。

そんな、世界の終わりを予感させる静寂の中に。


パタ、パタ、と。


まるで近所に回覧板でも届けに来たかのような、軽い足音が混じった。


「おや。レン、まだ始めていませんでしたか」


ふわりと、戦場の重苦しい魔力をかき消すように、お茶の葉の爽やかな香りが広がった。

現れたのは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたミズキだ。

彼女は、天使の神々しい威圧感など全く気にする様子もなく、のんびりとレンの隣に歩み寄る。


「あ。ミズキ。うん、今来たところだよ」

「ふふ、それなら良かったです。お湯が沸くまでに、少しだけここを片付けてしまいましょうか。このままでは、帰りに美味しいお芋を買う店が閉まってしまいますからね」


ミズキはそう言って、袖を少しだけ捲り上げた。

彼女の周囲には、黄金の鎖も、おどろおどろしい魔力も現れない。

ただ、彼女がそこに立つだけで、荒れ狂っていた気流が凪ぎ、刺さるような天使の光が、木漏れ日のような柔らかさに変わっていく。


「ミズキ、ボクがやった方がいい?」


「いいえ。たまには、私におもてなしをさせてください。貴方はそこで、オグリさんと一緒に今日の夕飯の献立でも考えていてくださいな」


ミズキはレンの頭を、弟を慈しむように優しく撫でた。

一人で世界を支えてきた孤独な触媒でもなく、世界を滅ぼす魔王でもない。

ただ、隠れ家で共にハーブを育てる、いつもの二人。


「さあ。少しだけ、静かにしてもらいましょうか」


ミズキが、まるで部屋のカーテンを閉めるような、ごく自然な動作で空中に手をかざした。

その指先から零れたのは、魔力というよりは「慈しみ」に近い、温かな光の粒だった。





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