002 嘘を造り上げた発明家
嘘というのは、自転車のペダルに似ている。
漕ぎ出してみるまでは重くて不格好だけれど、いざ回り始めてしまえば、あとは惰性でどこまでも進んでいく。そして困ったことに、スピードに乗れば乗るほど、ブレーキをかけるのが恐ろしくなるのだ。
「だからね、アルミア。僕は時々思うんだよ。僕たちがついたあの嘘も、あと数年ペダルを漕ぎ続ければ、誰もが疑わない『真実』という名の目的地に到着するんじゃないかって」
王都の中心部にある高級酒場『金の林檎亭』の奥まった席で、テッドはグラスの中で転がる琥珀色の液体を見つめながら言った。彼の手元では、真鍮製の小さなカラクリ鳥がチクタクと規則正しい音を立てながら羽ばたいている。
「あなた、相変わらず回りくどい言い方をするのね」
向かいの席で足を組み、退屈そうに煙草を吹かしているのは、天才魔法使いのアルミアだ。露出の多い豪奢なドレスを纏い、紫がかった瞳でテッドを値踏みするように見つめている。
「要するに、死んだ鳴上のことが気になってるんでしょ? 良心が咎めた? それとも、自分の捏造した証拠がどこかで綻ぶのが怖くなった?」
「人聞きが悪いな」
テッドは肩をすくめた。
「僕はただ、人間の記憶のメカニズムについて考察していただけさ。グレンが王女をレイプして殺した。その事実を隠蔽するために、僕たちは鳴上の部屋に王女の遺髪や血のついたナイフを仕込んだ。完璧なギミックだったよ。でもさ、僕自身、時々『本当に鳴上がやったんじゃないか?』って錯覚しそうになるんだ。人間の脳って便利にできてるよね」
「馬鹿みたい。死んだ人間のことなんて、もうどうだっていいじゃない。彼は私たちの大切な勇者様のために、素晴らしい役割を果たしてくれた。スケープゴート。必要悪。それだけのことでしょ」
アルミアはフッと煙を吐き出し、立ち上がった。
「私はもう帰るわ。グレンが今夜、慰めてほしいって泣きついてきてるの。英雄様も意外と繊細なのよ、滑稽なことにね」
「気をつけて。夜道は暗いから」
「私を誰だと思ってるの? 酔っ払いの男なんて、指先一つで灰にできるわ」
アルミアが去った後、テッドは小さくため息をつき、カラクリ鳥のネジを巻いた。
彼女の言う通りだ。もう鳴上はこの世にいない。首と胴体は離れ離れになり、今頃は焼却場で他の罪人たちと一緒に灰になっているはずだ。
歯車は完璧に噛み合い、物語は都合よく修正された。もう誰も、この機械の蓋を開けて中身を確かめようとはしない。
酒場を出ると、外は冷たい雨が降り始めていた。
テッドはマントの襟を立て、石畳の路地を歩き出した。彼の研究室は王城のすぐ裏手にある。
歩きながら、彼はまた考えた。もしも、万が一、時計の針を逆回転させることができたなら。グレンが王女の部屋に向かう前に、自分が彼を引き止めていたなら。
「……いや、意味のない仮定だ」
テッドは自嘲気味に呟いた。発明家にとって、起きてしまった事象は『結果』であり、それを覆すことは物理的に不可能だ。覆せないなら、都合のいいように装飾するしかない。
その時だった。
「夜道を一人で歩けるようになったのも、勇者様たちのおかげかな」
背後の暗がりから、ひどく場違いな、それでいてどこか聞き覚えのある声がした。
テッドは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
路地裏のガス灯が、雨のヴェール越しに一つの人影を浮かび上がらせていた。
ボロボロの衣服。異様に白く、そして血にまみれた肌。
何より目を引くのは、その首筋に走る、まるで黒いタールで雑に縫い合わされたかのような不気味な傷跡だった。
「やあ、テッド。元気そうですね」
「な……」
テッドの喉から、間の抜けた音が漏れた。脳の思考回路が完全に停止している。
「鳴、上……? ばかな。君は、今日、広場で……」
「ええ、刎ねられましたよ。ベルガさんの斧はよく手入れされていて、とても切れ味が良かった。でもね」
鳴上はニコリと笑った。それは、六年間共に旅をした時に見せていた、温和で少し頼りないサポーターの笑顔そのものだった。しかし、その瞳の奥には、底なしの暗い泥のような混沌が渦巻いていた。
「どうやら、この通り、死にきれなかったみたいです」
「ありえない……! ネクロマンサーの仕業か!」
テッドは反射的に後ずさり、腰のベルトから自作の護身用魔法具――小型の火炎放射器――を抜き放った。魔力を込め、引き金を引く。
ゴォォォッ!
路地裏を灼熱の炎がなめ尽くす。石畳が焼け焦げ、雨粒が瞬時に蒸発した。
やったか。そう思った瞬間。
炎の壁の中から、鳴上が何事もなかったかのように歩み出てきた。衣服は燃え尽き、肌は黒焦げになっているのに、次の瞬間には黒い泥のようなものが這い回り、あっという間に真新しい皮膚を再生させていく。
「すごいですね、テッド。相変わらず君の発明は素晴らしい。火力も安定している」
「ひっ……!」
「でもね、僕の身体、今はちょっと仕様が変わっていまして」
鳴上は一瞬で距離を詰め、テッドの顔面を鷲掴みにした。
抵抗する間もなかった。鉄の万力のような力で、テッドはそのまま石壁に激しく叩きつけられた。
「ガァッ……!」
鼻骨が砕け、視界が明滅する。魔法具が手からこぼれ落ちた。
「君が作った捏造証拠は、本当に美しかった」
鳴上の声が、耳元で優しく囁く。
「血のついたナイフの角度、引きちぎられたドレスの破片の配置。どれも完璧なギミックだった。だからね、テッド。お返しをしようと思ってさ――僕から君への『解体』です」
「や、やめ……待ってくれ、鳴上! 僕が悪かった! あれはグレンが……僕は逆らえなくて……!」
命乞いをするテッドの右腕を、鳴上は無造作に掴んだ。
「機械を分解する時って、ワクワクしませんか?」
「えっ?」
メキリ、と。
嫌な音がして、テッドの右腕が不自然な方向に曲がった。
「ギャアアアアアアッ!」
「あ、ここじゃないな。関節のネジは……もう少し奥か」
「やめろぉぉ! 頼む、許してくれぇっ!」
鳴上はテッドの悲鳴を子守唄でも聞くように心地よさそうに聞き流しながら、今度は彼の左足を掴み、ゆっくりと、しかし確実に「分解」していく。骨が砕け、筋繊維が引きちぎられる音が、雨音に混じって路地裏に響き渡る。
「サポーターの仕事って、後片付けが多いんですよ」
鳴上は、四肢を完全に破壊され、血の海でのたうち回るテッドを見下ろして言った。
「君みたいな壊れたガラクタは、跡形もなく処分しないといけない」
最後に、鳴上の手がテッドの頭部に伸びた。
天才発明家の脳裏に最後に浮かんだのは、自分が作った精巧なカラクリ鳥が、ゼンマイが切れて無様に床に転がる光景だった。
ぐしゃり。
不快な破裂音と共に、テッド・アルクライトという存在はこの世界から永遠に削除された。
雨が強くなる。
鳴上は血まみれの手を雨水で軽く洗い流すと、王城の方角――アルミアが向かったであろう方向――を見つめた。
「さて。次は、どのガラクタを掃除しようかな」
不死の復讐鬼の足取りは、ひどく軽やかだった。




