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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
終章 この世界は、君を必要としない

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第56話

 旧観測塔の制御卓は静かだった。白い線と赤い線が、何事もなかったみたいに並んでいる。


 受信層。

 観測整形層。

 補助出力層。

 その下にぶら下がる、介入権限層。


 図として見れば単純だった。

 だから、余計に逃げ場がない。


『今なら、まだ引き返せます』

 真木の声が耳に入る。

『実行前です。赤い幹線に手をかける前なら、まだ』


 ハザマは、すぐには答えなかった。


 窓の外では、朝が少しずつ近づいていた。

 地球は何も知らない顔で明るくなっていく。

 その顔のまま、ずっと誰かに触られてきた。


「真木さん」


『はい』


「怖くないと言えば、嘘になります」


 通信の向こうで、真木が少し黙った。

 予想していたが、実際に聞くと少しだけ言葉を選ぶ、そんな沈黙だった。


『普通に怖いと思います』

 やがて真木が言う。

『そこ、強がる場面でもないので』


「ええ」


『戻れなくなるかもしれませんし』


「そうですね」


 そのやりとりだけで、少し呼吸がしやすくなった。

 今までなら、そこを別の言葉へ押し込めていた。損耗とか、残留とか、必要な切断とか。

 だが、もうそれだけで片づける段階でもない。


 制御卓の下に、小さな補助画面が点っていた。

 さっきまでは気づかなかった。

 そこには、過去の案件ログの断片が並んでいる。


 ユウト案件/終了処理

 レオン案件/暫定固定

 エリシア案件/参照切断

 アデル案件/接続断絶


 ハザマは、その四行を見た。


 勇者の広場。

 死なない男の朝。

 悪役令嬢の、役割から降りたあとの孤独。

 遠い火を見てしまう預言者の、あの怒りに近い涙。


 切ってきた。

 止めてきた。

 救ったつもりのものもある。

 壊しただけのものも、きっとある。


 葛西の声が、回線の向こうから入る。


『感傷で判断するな』


 低く、平らな声だった。

 見えていなくても、いまの沈黙の意味くらいは読んでいるらしい。


『お前が今見ている案件は、もう過去の悔恨の整理じゃない。現実側の損失も繋がっている。そこを混ぜるな』


 ハザマは補助画面から目を離さなかった。


「混ざっています」


『……何?』


「最初から混ざっていたんです」

 ハザマは言った。

「現実側のために必要だと言って、向こうの人生に触ってきた。処理と呼んで、補正と呼んで、切ってきた。今さら切り分けられません」


 少しだけ間があった。


『なら、なおさら慎重に選べ』

 葛西が言う。

『罪悪感で全部を焼くな』


 その言葉は、刺さった。

 刺さるだけの正しさがあった。


「全部は焼きません」

 ハザマは言う。

「読む線は残します。自然に滲むものも、残るなら残す。焼くのは、上から人格へ触る権限だけです」


『その“だけ”で、現実側の精度が落ちる』

 葛西の声が低くなる。

『人が死ぬかもしれない』


「ええ」


『それでもやるのか』


 制御卓の白い線が、少し揺れた。

 観測の線。

 介入の線。

 そこに、別の色が混ざる。


 白い朝。

 海の見えない港。

 塔。


「やっぱり、怖いよね」


 軽い声だった。

 少しやさしい響きすら混ざっていて、だから余計に嫌だった。


 制御卓の黒い面に、輪郭が立つ。

 顔は定まらない。だがもう、ただのノイズではない。

 ずっとこちらを見ていた者の距離だ。


「現実に戻れないかもしれない」

 アナーキー側の人物は言う。

「自分の認証も焼ける。存在保証も薄くなる。今まで切ってきた相手のことも、たぶん残る。普通に嫌でしょう」


 ハザマは目を逸らさなかった。


「だから、こっちへ来ればいいのに」

 相手は続ける。

「窓を全部閉じる必要なんてない。管理局から取り上げて、もっと壊れやすく、もっと開いたままにすればいい。君みたいに、残ったものを見てしまう人間のほうが、よほど扱いはマシだ」


「扱う前提で話していますね」


 相手が少し笑う。


「そこは否定しないよ」


「では同じです」


「同じじゃない」

 相手は言う。

「こっちは少なくとも、不要な人生を数字に戻して平気な顔はしない」


 その一言で、ハザマの中の何かが少しだけ切れた。


「平気だと思っていたわけじゃありません」


 声が、自分でも思ったより硬かった。


 制御卓の光が一度だけ揺れる。

 真木が通信の向こうで息を止める気配がした。

 葛西も、榊も何も挟まない。


「平気な顔で済ませてきたなら」

 ハザマは言った。

「こんなところまで来ていません」


 相手の輪郭が少しだけ静かになる。


「そう言って切ってきたんです」

 ハザマは続けた。

「必要な処理だと。必要な損傷だと。そう言い換えて、見ないふりをしてきた。ユウトも、レオンも、エリシアも、アデルも」


 名前を口にしたところで、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 処理語ではなく、名前で思い出すと重さが違う。


「だからこそ、もう残せません」

 ハザマは言う。

「管理局にも。あなたたちにも」


 白い朝の輪郭は、しばらく何も言わなかった。

 楽しそうな軽さが、一瞬だけ薄くなる。


 榊がようやく口を開く。


『ハザマ』


「はい」


『確認する。今のは感情か、判断か』


 短い問いだった。

 だが逃げられなかった。


 ハザマは少しだけ黙った。

 ここでうまく整えた答えを返せば、たぶん薄くなる。

 だが、黙ったままでは届かない。


「両方です」

 ハザマは言った。

「怖いです。戻れないのも嫌です。今まで消してきた者たちが、必要な処理だったとだけは、もう言えません」


 静かに続ける。


「でも、それでも判断です」

「残す線と、焼く線は、もう見えています」


 榊はしばらく黙っていた。

 その沈黙は、否定でも肯定でもなかった。受け取って、量っている沈黙だった。


『わかった』

 やがて言う。

『真木。実行条件を出せ』


『はい』

 真木がすぐに返す。

『介入権限幹線へ特務官権限を接続。残留照合で深層固定。焼却は一度きりです。焼けるのは、管理局側の役職補正・参照切断・終了処理補助、それとアナーキー側の侵入付与・人格再配置・違法保持の共通幹線』


「副作用は」

 葛西が訊く。


『観測整形層がかなり不安定になります』

 真木が答える。

『現実側の予測精度は落ちる。ゼロにはならないかもしれませんが、悪化は確実です。あと、ハザマさんの帰還認証と存在保証も、かなり焼けます』


 アナーキー側の輪郭が、また少しだけ笑った。


「聞いた?」

「君、自分を鍵にして、自分ごと閉じるんだよ」


「ええ」

 ハザマは答えた。

「あなたたちは、誰かの人生を窓口にし続ける。だったら、最後にそこへ手をかけた者が閉じるしかない」


「正義感だね」


「違います」


「じゃあ何」


 ハザマは制御卓の中心を見る。

 白と赤が一本の幹に集まっている。


「もう、これ以上」

 少しだけ呼吸が乱れた。

「誰かを管理番号に戻したくないだけです」


 その言葉は、今までで一番処理語から遠かった。


 部屋が静かになる。


 葛西は何も言わない。

 榊も、真木も。

 アナーキー側の輪郭だけが、少しだけやわらかく見えた。


「やっぱり、君は面倒でいいね」

 相手は言う。

「じゃあ見せてよ。最後まで」


 輪郭が薄れていく。

 白い朝の色も、少しずつ制御卓の黒へ戻る。


 残ったのは、白い線と赤い線だけだった。


 真木が小さく言う。


『……かなり怖いですけど、もう行くしかないですね』


「ええ」


『次で実行です』


 ハザマは制御卓へ手を置いた。

 金属は冷たい。

 地球の朝は、もうすぐそこまで来ている。

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