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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第12章 管理する者、壊す者、触る者

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第52話

 準備は、翌夜までに整った。


 本部で長く話したぶん、逆にやることは減っていた。

 必要なのは決意ではなく、鍵だ。

 正規認証。地球側接点。ハザマ自身の残留。


 その三つがそろえば、もう降りるしかない。


 夜の街は、前より少しだけ静かだった。

 静かなのに、知っているはずのないものが前より見える。


 駅前の大型ビジョンが広告を切り替える。

 化粧品、旅行会社、保険。

 その三枚のあいだに、白い塔が一度だけ混ざった。


 信号待ちの男が、小さく言う。


「今の、また出た」


 隣の女が頷く。

「海の見えない港のやつですよね」


 そこで会話は終わる。

 騒ぎにはならない。

 だが、誰も何も見ていないわけでもない。


 ハザマは歩きながら回線を開いた。


「着きます」


『ええ』

 真木の声が返る。

『今夜は本接続です。前みたいに、途中で少しだけ覗いて帰る感じじゃないと思ってください』


「ええ」


『切るなら、こっちが言う前に切ってください。たぶん、今回は向こうも待ってます』


「そうでしょうね」


 通信施設は前と同じ灰色の壁をしていた。

 だが、入口脇の避難経路図だけが少しおかしい。

 非常口の矢印が、一瞬だけ知らない路地を指した。


 受付の警備員が眠そうに顔を上げる。


「また点検ですか」


「はい」


「最近、地図が変になるんですよね」

 警備員は苦笑した。

「ビルの避難経路なのに、知らない道が出る。しかも、なんとなくそっちのほうが帰れそうで困るんです」


 ハザマは何も言わず、入館証を受け取った。


 地下へ降りる。

 機械の音は低い。

 その下に、聞こえないはずの音が混ざる。風、波、遠いざわめき。どれも耳に届くほどではないが、空気には残る。


 扉の前で立ち止まる。


『始めます』

 真木が言う。

『認証、三枚。地球側接点固定。最後に残留照合。本接続は一回きりと思ってください』


「了解しました」


 第一認証。特務官コード。

 第二認証。保守区画鍵。

 第三認証。榊が回した記録外の補助片。


 表示が流れる。


 正規認証 確認

 地球側接点 固定

 残留照合 要求


『そこです』

 真木の声が少し低くなる。

『ここを通したら、向こうもこちらを見ます』


 ハザマは指を置いた。


 光が消える。


 地下通路の壁が薄くなり、その向こうへ別の場所が重なった。

 祝宴の広場。

 花の匂いのする学園。

 海の見えない港の白い朝。

 それだけではない。信号の色が停戦線の灯火へ変わり、配線の影が祭りの提灯の紐みたいに揺れる。


 別々のはずの案件が、同じ場所の違う表情みたいに重なっていた。


『見えてますか』


「ええ」


『何が一番強いです』


「帰り道です」


 口にしてから、その言葉が嫌だった。

 帰る場所がある前提の言葉だったからだ。


 表示が戻る。


 深層運用層 本接続開始

 帰還認証 維持率 82

 存在保証 損耗進行


 扉が開いた。


 その先には、部屋らしい部屋がなかった。

 棚と線と流れだけがある。

 地球側で拾われた夢、創作、怪談、既視感、予感が一本の窓へ集まり、そこでいくつもの名前を与えられて分かれていく。


 ハザマは、歩くというより、認証ごと流れの中へ寄っていった。


 壁面めいたものに処理名が並ぶ。


 観測補助

 案件識別

 偏差補正

 役職補正

 参照切断

 終了処理補助


 そのすぐ下に、別の列。


 侵入付与

 人格再配置

 記憶定着

 感情増幅

 再起動補助

 違法保持


「……同じですね」

 ハザマが言う。


『どこが違います』

 真木が訊く。


「名前だけです」

 ハザマは表示を追いながら答えた。

「管理局では“役職補正”と呼んでる。向こうでは“侵入付与”と呼んでる。管理局では“参照切断”と言う。向こうでは“人格再配置”と言う。違うのは呼び方だけです」


『ええ』

 真木が言った。

『だから嫌なんですよ。違法か合法かの違いじゃなくて、同じ窓口の上で、どの権限名で触るかの違いに近い』


 さらに奥を見る。


 現実世界側への出力があった。

 気象補正。感染傾向予測。物流枝推定。資源配分補助。

 異世界群の偏差と、地球側で意味づけされた断片が、同じ干渉窓を通って現実の判断補助へ落ちていく。


 葛西の言葉が、そこで初めて具体物になった。

 これを全部折れば、現実世界の予測は確かに鈍る。


『帰還認証、七七』

 真木が言う。

『長居しないでください』


 だが、その先にもっと嫌なものがあった。


 観測補助の列と侵入付与の列は、別々の処理系に見える。

 なのに、さらに下の一点で一度だけ同じ補助基盤へ戻っている。

 別の列を装っていても、下層では一度、同じ実装に重なる。


「接続点があります」

 ハザマが言った。


『見えましたか』


「ええ。管理局の正規処理と、アナーキーの違法侵入が、一度同じ場所に戻っている」


 その瞬間、光の列が揺れた。


 白い朝の色が流れに混ざる。

 海は見えない。

 塔だけがある。


 そこに、人の輪郭が立った。


 完全な姿ではない。

 顔も、服も、はっきりしない。

 だが、ただの音声ではなかった。少なくとも、ハザマのほうを向いている気配がある。


「ちゃんと来たね」


 軽い声だった。

 少し楽しそうで、少しだけ親しげで、それなのに底が冷たい。


 ハザマは立ち止まる。


「そこまで降りちゃったんだ」

 輪郭は笑うように言った。

「で、見えた。君たちの“正規”と、こっちの“違法”が、同じ鍵穴だったって」


『拾えてます』

 真木が小さく言う。

『映像混線、継続中です』


「観測は支配の下書きだよ」

 声の主は続けた。

「君たちは覗くための窓を作った。でも、覗ける窓ってさ、そのまま触れる窓になるんだ。そこまでは、最初から決まってた」


 ハザマは答えなかった。

 代わりに、接続点の表示を見た。


 意見ではなく、実装。

 声の軽さより、そこに並んだ処理名のほうが重い。


「君たちは現実世界の意思決定のために、この窓を使った」

 相手は言う。

「こっちは、その窓を開いたままにしただけ。檻の構造を少し見えやすくしただけだよ」


「違います」

 ハザマが初めて言った。


 輪郭が少しだけ首を傾げる。


「何が」


「あなたたちは開いただけじゃない」

 ハザマは言う。

「無理矢理の異世界転生、人に役職を押しつけ、人格を再配置し、世界線をずらした。自由のためではなく、触るために触っている」


 相手は少し黙った。

 その沈黙が、否定よりも気持ち悪かった。


「いいね」

 やがて言う。

「ようやくそこまで来た。じゃあ次は、君たちのほうにも同じことを言わないとね」


『帰還認証、七二』

 真木の声が硬くなる。

『切ってください。今なら戻れます』


「でも、見ちゃったよね」

 輪郭はやわらかく言った。

「もう“正規”って言葉だけじゃ、戻れないでしょう」


 それは挑発ではなかった。

 確認に近かった。


 ハザマは端末を引き抜いた。


 光の列が崩れる。

 地下通路の白が戻る。

 膝が少し遅れて重くなり、壁に肩をぶつけた。


『切断確認』

 真木の声が返る。

『帰還認証、六九で維持。存在保証もまだ保ってます。大丈夫ですか』


「ええ」

 息を整えてから答える。

「見えました」


『どこまで』


「接続点までです」

 ハザマは言う。

「それと、声だけじゃない。向こうも、こちらの顔を見ています」


 短い沈黙があった。


『……最悪ですね』


「ええ」


『かなり最悪なやつです』


 地上へ戻る。


 外の空気は冷えていた。

 道路脇の広告モニターが光る。今度は塔も港も混ざらない。

 だが、混ざらない画面のほうが逆に薄く見えた。


「真木さん」


『はい』


「これを残したまま、アナーキーだけを止めることはできません」


 言ってから、自分で少しだけ間を置いた。

 まだ最終宣言ではない。

 だが、線はもう越えかけている。


『ええ』

 真木は言った。

『たぶん、そこからです』


「次は」


『次は、もう管理局とアナーキーの言い分を並べて終われないです』

 真木の声は小さい。

『何を残して、何を焼くかの話になります』


 異世界管理局、アナーキーコード。

 現実世界、地球、異世界。

 そして窓。


 今の自分に何ができるのだろうか。

 そこまで考えて、ハザマは目を閉じた。

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