第48話
真木から送られてきた地図は、地球の街区図にしては少し雑だった。
駅前。
河川沿い。
古い商店街。
雑居ビルの三階。
赤い丸が三つ打ってある。
一致率上昇の発生点、ここに寄っています。
夢共有会、個人出版、短文投稿。
誰かが拾って、広げている可能性あり。
ハザマは端末を閉じ、河川沿いの道を歩いた。
今日は風が弱い。
水面の色も穏やかで、橋を渡る自転車の音がよく聞こえる。
地球は、やはり普通の顔をしている。そういう場所ほど、異常は見えにくい。
最初の赤丸は、小さな編集室だった。
古いビルの二階。扉のガラスに、手書きで
「同人誌・小冊子・記録冊子 無地図編集室」
とある。中へ入ると、紙とインクと、少し古い暖房の匂いがした。棚には薄い冊子が並び、壁には投稿募集の紙が貼ってある。
奥から、短い髪の女が出てきた。三十代くらい。袖をまくったシャツに、指先だけインクがついている。
「取材の方ですか」
「調査補助です」
ハザマは用意された身分証を見せた。
「夢や創作の断片が、最近どう増えているかを見ています」
「調査補助ねぇ…」
女は少しだけ考えてから頷いた。
「増えてますよ。変な増え方で」
机を挟んで座る。
女は自分の名を永瀬と言った。小冊子の編集と、投稿サイトのまとめを一人でやっているらしい。
「うちはもともと、変な夢の話が好きな人が集まるんです」
永瀬は言う。
「知らない町を歩くとか、会ったことのない人の葬式に出るとか、そういうの。前はもっとばらばらでした」
「今は違う」
「ええ」
彼女は頷いた。
「違う人が、違うところから、似た断片を持ってくる。しかも、似方がちょっと嫌な感じなんです」
嫌。
その言い方がよかった。
不思議ではなく、綺麗でもなく、先に来るのが嫌。そこが今の地球側異常に近い。
永瀬は机の引き出しから、二つの束を出した。
「これ、掲載前です。こっちが掲載後」
前者は投稿原文。
後者は、一週間後に集まった追加投稿のまとめだった。
ハザマは順に目を通す。
最初の投稿には、こうある。
海の匂いがするのに海が見えない。
塔が鳴っている気がする。
でもどこへ帰ればいいかだけは、なぜかわかる。
それだけだ。
曖昧で、断片的で、まだどこへも定まっていない。
だが掲載後に集まった投稿では、細部が増えていた。
塔は風だけで鳴る。
港の朝は白い。
赤い信号がない交差点がある。
中央広場から三本目の道を曲がると帰れる。
元の投稿になかったものが、あとから足されている。
「真似では」
ハザマが言う。
「最初はそう思いました」
永瀬は言う。
「でも、投稿時間が変なんです。掲載の前にもう書かれてるものもある。下書きに残ってたり、別のところへ先に上がってたりする」
「掲載が原因ではない」
「完全には」
永瀬は肩をすくめた。
「でも掲載すると増えるんです。輪郭がはっきりしたみたいに」
輪郭。
ハザマは、窓口で人の譲り方が少しずつ揃っていった街を思い出した。
意味になったものは残る。
残ったものは、人の行動を少しだけ揃える。
「他にもありますか」
「ありますよ」
永瀬は苦笑した。
「これまた、嫌になるくらいね」
次の束には、事故を思わせる短文が並んでいた。
まだ起きていないのに、間に合わなかった感じだけ残る。
謝るより先に見せないと、燃える。
順番を一つ変えれば誰かが助かる気がする。
どれも、普通の人が普通に見た夢としては、少し具体的すぎた。
しかも、一つ二つではない。
「これ、最近多いんです」
永瀬は言う。
「何かが起きる夢そのものより、“あと少しで間に合った感じ”だけが残るやつ。見た人はだいたい、朝から妙に疲れてる」
ハザマは束を閉じた。
アデルの顔が、一瞬だけ浮かぶ。
遠い火が見えなくなることを恐れていた顔。
「サイトの管理画面、見せてもらえますか」
ハザマが言う。
「いいですよ。大したものじゃないですけど」
永瀬は古いノートパソコンを開いた。
投稿履歴。閲覧数。流入元。何の変哲もない管理画面に見える。
だが、ある時期から数字の伸び方が変わっていた。
「ここです」
永瀬が指した。
「このへんから変なんです。普段なら十人、二十人読むくらいのやつが、急に何百と見られる。大手に拾われた感じでもないのに」
「どこから来ているんですか」
「それが、よくわからない」
彼女は眉をひそめた。
「短時間だけ現れて消える参照元があるんです。広告でも検索でもない。名前も毎回違う」
一覧を拡大する。
文字列はばらばらだ。
だが並び方に妙な規則があった。短い符号、数字、枝番号のようなもの。
ハザマは、その形に見覚えがあった。
本部で見る観測補助ログに、似ている。
「保存していますか」
「一応は」
永瀬は言った。
「気持ち悪かったので」
彼女は別フォルダを開いた。
そこには短い画像キャッシュがいくつも残っていた。自動で拾われた一瞬の表示らしい。
そのうちの一枚を見て、ハザマは少しだけ呼吸を止めた。
塔だった。
昼間、駅前の大型ビジョンに一瞬だけ混ざったあの形に近い。
しかも投稿された絵をそのまま映した感じではない。投稿の複数断片から、勝手に整えられたような塔だった。
「これ、どこから」
「不明です」
永瀬は首を振る。
「うちの画像キャッシュに一瞬だけ混じってた。広告配信の試験画像かと思ったんですけど、配信会社はそんな素材使ってないって」
ハザマは画面を見たまま言う。
「誰かが、拾った断片を整えている」
「整えてる?」
「読まれやすい形に」
ハザマは答えた。
「あるいは、思い出しやすい形に」
永瀬は少し黙った。
それから、小さく言う。
「私、最近たまに思うんです」
彼女は画面を閉じた。
「投稿をまとめてるんじゃなくて、続きを作らされてるだけなんじゃないかって」
その言い方が、妙に残った。
編集室を出たあと、ハザマは二つ目の赤丸へ向かった。
短文投稿が多く拾われる駅前の掲示板モニターだ。昼より人が多い。待ち合わせの学生、買い物帰りの親子、仕事を終えた会社員。
モニターには普通の広告が流れている。
化粧品。保険。旅行。
何もおかしいところはない。
だが、ハザマはしばらくその場を離れなかった。
三分ほど経ったころ、画面が一瞬だけ乱れた。
ほんの一秒にも満たない。
色がずれて、広告の背景の奥に、石畳のようなものが見えた。続いて、塔の影。
周囲のほとんどは気づかない。
だが、隣にいた男子高校生が小さく言う。
「あ、帰り道のやつだ」
友人が笑う。
「また見えたのかよ」
「なあ、今のは見えただろ」
「うーん……塔みたいなの?」
「そう、それそれ」
彼らはそれで終わった。
騒ぎにはならない。
だが、誰も何も見ていないわけでもない。
地球側の異常は、こういう場所まで滲み始めている。
夜、観測区画へ戻ると、真木から追加のデータが届いていた。
閲覧増加群の一部、外部誘導の痕跡あり。
しかも参照形式が、観測補助ログと少し似ています。
管理局の形式に近い。偶然だと嫌ですね。
偶然だと嫌。
真木らしい文だった。
ハザマは椅子に座り、しばらく何も打たなかった。
アナーキー・コードが地球側で断片を拾い、広げ、意味にしやすい形へ寄せている。
それだけでも十分に嫌だ。
だが、それをやる形式が管理局の観測補助と似ているなら、嫌という言葉では足りない。
地球は、ただ受信しているのではない。
受信したものを、人が読める形へ整えられ、読まれたものをまた返し始めている。
そして、その整え方のどこかに、管理局側の匂いがある。
窓の外には、夜の街が広がっていた。
どこにでもある灯りだ。
でも、そのどこかで今も、知らない街の帰り道だけを知っている人間が増えている。
ハザマは端末を開き、短く記録した。
受信のみではない。
地球側で意味づけされた断片が、整えられて返されている。
人為的な誘導の可能性、高い。
少しだけ迷ってから、最後に一文を足した。
形式の一部が、管理局側観測補助に似ている。
送信する前、その一文を長く見た。
嫌な予感は、だいたいこういう短さで来る。




