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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第11章 地球接近

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第46話

 本部へ戻ったあとも、アデルの声だけが少し遅れて残った。


 怒鳴り声というより、裂けた声だった。

 遠い火が見えなくなることを恐れる、人間の声だった。


 自動扉が閉まる。

 均一な照明。磨かれた床。何も残さないための場所。

 そのはずなのに、今日は少しだけ、足音が響きすぎる気がした。


 第三報告室には、もう榊と葛西がいた。

 真木は壁際の端末を開いていて、机の上には紙のカップが二つ並んでいる。片方は空で、もう片方はまだ熱があるらしく、口から薄く湯気が立っていた。


「戻りました」


 榊が頷く。

「座れ」


 ハザマは席に着いた。

 葛西は腕を組んだまま、こちらの顔を一度だけ見た。


「文明水準異常加速案件、事後報告」

 榊が言う。

「対象アデル・クレイン。人格削除は行わず、接続のみ切断。文明の急崩壊はなし。予測不確実性は上昇。ここまでは報告書で見た。現場感を聞く」


「接続の切断は妥当でした」

 ハザマは言った。

「人格を消すより損傷は小さい。ただし、即時の救済能力は失われています」


「失われるのは当然だろう」

 葛西が言う。

「そこに同情を入れるなら、最初から処理などできない」


「同情ではありません」

 ハザマは答えた。

「事実です。彼は現地の町をうまく回していたのではなく、広域の災厄枝を先に折っていました。停戦線の誤射から局地戦へ燃える枝も、その一つです」


 葛西は表情を変えなかった。

 だが真木だけが、少しだけこちらを見る。


「その上で切った」

 榊が確認する。


「はい」


「後悔は」


「あります」

 ハザマは言った。

「ですが、判断自体は変えません」


 短い沈黙があった。


 榊は否定もしなかった。

 葛西は机の上の端末を一度だけ叩き、画面を閉じる。


「私は反対記録を残します」

 葛西は言う。

「人格削除を避け、接続切断で済ませる判断が続けば、いずれ現場官の情緒が制度を侵食する」


「残してください」

 ハザマは言った。

「必要だと思います」


 葛西は、その返答だけは少し意外そうに聞いた。

 だが何も返さない。


 榊が真木へ視線を向ける。

「解析を」


「はい」


 壁面に資料が開く。

 最初に出たのは、アデル案件の観測図ではなかった。

 もっと古いログだ。村の広場。産業都市の朝帯。侯爵令嬢の学園。停戦線沿いの広域調整。


 ユウト。

 レオン。

 エリシア。

 アデル。


「並べると、ようやく見えます」

 真木が言った。

「今まで個別案件として扱ってきましたが、これらはたぶん、別々の事故ではありません」


 画面の右側に、短い整理語が並ぶ。


 ユウト=物語役職の強制付与型

 レオン=保持・再起動・局所リプレイ型

 エリシア=物語認識型侵入

 アデル=文明解法型侵入


「全部、方向が違う」

 榊が言う。


「違います」

 真木は頷く。

「だからこそ、単純な転生実験ではない。アナーキー・コードの派生系統が、何通りかの“効率のいい汚し方”を試していると見たほうが自然です」


 葛西が眉をわずかに寄せる。

「効率のいい汚し方」


「ええ」

 真木は言う。

「派手に壊せば、検出も早い。勇者に無敵の力を与える、世界を一夜で吹き飛ばす、その手の雑な侵入は、むしろ管理しやすい。今回の系統は逆です。少ない介入で、歓迎される形で、長く深く進路をずらす」


 壁面の資料が切り替わる。

 ユウト案件の村の存続率変動。

 レオン案件で生じた朝帯共有の波及可能性。

 エリシア案件における人間関係再編の偏り。

 アデル案件における医療、物流、停戦、補給の進路変化。


「全部、壊しているようには見えません」

 真木は続ける。

「むしろ良くなっている。助かっている。うまく回っている。だから切る側が悪に見える。そこまで含めて実験でしょう」


「目的は」

 榊が訊く。


「世界の即時崩壊ではありません」

 真木が言った。

「管理局の予測精度を腐らせることです。その世界が自分で選んだように見える形で進路をずらし、あとから予測全体を汚す。アナーキー・コードは、最近そこに寄っている」


 ハザマは壁面を見ていた。


 アデルは停戦線の誤射を止めた。

 エリシアは破滅を避けようとして、人間関係を変えた。

 ユウトは勇者として人を救った。

 どれも、その場だけ見れば善にも見える。


「強い個を送り込んで壊すのではなく」

 ハザマが言う。

「世界が自分で進んだように見せかけて、あとから歪みだけ残す」


「そうです」

 真木が答える。

「しかも今の段階だと、対象は異世界だけじゃない」


 部屋の空気が少しだけ変わる。


 真木が次の資料を開く。

 今度は地球側だった。


 小説投稿サイトの断片。

 匿名掲示板の怪談。

 地方紙の小さな投書。

 夢日記のまとめ。

 まだ起きていない事故を思わせる短いメモ。

 似たような場面を、違う場所の人間が同時に見ている記録。


「増えています」

 真木が言う。

「自然漏れそのものは前からある。でも、ここ数期で急に密度が変わった。創作、夢、デジャヴ、予言めいた断片、怪談。全部に異世界側の人生や未来枝が混ざり始めている」


「自然漏れの増加では説明がつかない?」

 榊。


「つきません」

 真木は言った。

「今は“似る”じゃない。噛み合いすぎる。まだ起きていない事故に先回りした認識があり、その認識がまた観測側へ逆流している」


「逆流」

 葛西が低く繰り返す。


「地球側が受信して終わりじゃないんです」

 真木は資料を拡大した。

「意味づけされる。語られる。読まれる。そうすると今度は、その認識自体が向こうへ返る。予測モデルのズレが増えてるのは、そのせいだと見ています」


 壁面に、二つの線が映る。

 一つはシミュレーション世界から地球への漏れ。

 もう一つは、地球の認識からシミュレーション側への薄い返り。


 ハザマは、その形を見ていた。

 地球は外ではない。

 読む側であり、同時に読まれる側でもある。


「つまり」

 榊が言う。

「アナーキーは、異世界だけでなく主観測系そのものを汚し始めている」


「はい」

 真木が答える。

「今までは案件処理で済んだ。でももう、その段階じゃない」


 葛西が口を開く。

「地球側への観測権を広げるべきです。自然漏れの記録、創作断片、夢群、都市伝説群、全部まとめて再格上げしたほうがいい」


「観測だけで済むと思いますか」

 榊がハザマを見る。


 問いではある。

 だが答えは、もう半分決まっている種類の問いだった。


 ハザマは少しだけ視線を落とす。


 アデルが最後に言った。

 あなたの後ろにも、もっと大きくて嫌な枝がある。

 あの言葉が、妙に地球側資料の上へ重なった。


「済まないと思います」

 ハザマは言った。

「自然漏れが増えた、で終わる段階は過ぎています。原因を見に行くべきです」


「地球へ出るのか」

 葛西が言う。


「はい」


「調査名目で」


「ええ」


「思っている以上に、ハイリスクだぞ」


 その言葉に、ハザマは答えなかった。

 リスクという言葉が、今は少し遠い。


 真木が新しい資料を一つだけ壁面に出す。

 短いテキストだった。地球側の創作断片らしい。


 知らない街なのに、帰り道だけ知っている夢を見た。

 目が覚めたあと、その街がどこにもないのがいちばん気持ち悪かった。


 誰が書いたかも、大したことではない。

 重要なのは、こういうものが今、増えていることだ。


「主観測系である以上、地球側の認識は基盤です」

 真木が言った。

「そこを汚されたら、予測も案件処理も全部遅れます。たぶん、相手はそこまで来てる」


 榊は少しだけ考えた。

 そして言う。


「ハザマ」


「はい」


「地球側観測へ出ろ。原因を見つけろ。今回は案件一件じゃない。本丸の匂いがする」


「了解しました」


 葛西は何も言わなかった。

 だがその沈黙は、承認ではなかった。止められないと判断した沈黙だった。


 会議が終わり、人が立ち上がる。

 真木が机の上のまだ温いカップを一つ押してきた。


「持っていきますか」


「いえ」


「でしょうね」

 真木は少しだけ笑う。

「でも、たぶん向こうでも冷める暇はないです」


 報告室を出る。

 廊下の照明は変わらない。

 本部は、いつも通り何も残さない場所の顔をしていた。


 だが今、残っているのはアデルの泣き声だけではない。

 地球側の妙に現実と噛み合いすぎる断片。

 まだ起きていないはずの出来事を、先に読んでしまう認識。

 そして、その向こうにいるはずのアナーキー・コード。


 次は案件処理では済まない。


 地球、つまり主観測系そのものへ近づく。

 そう考えたとき、胸の奥で何かが小さく沈んだ。


 それが恐れかどうかは、まだよくわからなかった。

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