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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第10章 予言者抹消

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第43話

 朝の終わりに近い時間だった。


 南庁舎の裏手には、使われなくなった連絡室が一つだけ残っている。窓は細く、机も古い。外の光は入るが、外から中は見えにくい。ハザマはそこで端末を開き、短い報告を送っていた。


 映像はつながない。

 声だけの回線にすると、相手の沈黙がよくわかる。


「……という感じです」

 ハザマは言った。

「人々はまだ考えています。ただ、最後の一手だけを外に置き始めています」


 回線の向こうで、真木が小さく息を吐いた。

「実際に助かってるから、やっかいですね」


「ええ」


「本人はどうです」


「理解しています」

 ハザマは言う。

「自分が残す傷も、たぶんわかっている」


「止まれない」


「そのように見えます」


 少し間が空いた。

 紙をめくるような音がする。


「ハザマさん」

 真木の声が少しだけ低くなる。

「更新の時刻、拾えました。毎回ではないですが、何かの窓と噛んでます。本人の頭の中だけで閉じてる感じじゃない」


「外とつながっている」


「可能性は高いです。まだ断定はしませんが」

 真木は言った。

「人格を消して終わる案件じゃないかもしれません」


 ハザマは返事をしなかった。


「ただ」

 真木は続ける。

「切るにしても、今のまま切れば、現地のほうが先に痛みます。どこまでこの人に乗ってるのか、もう少し見てください」


「はい」


「葛西は急がせると思います」


「でしょうね」


「榊は数字を見ます。私は……」

 真木はそこで少しだけ言い淀んだ。

「私は、たぶんあなたの現場判断を見ることになります」


 回線が切れる。


 狭い連絡室の中に、外の風の音だけが残った。

 ハザマは端末を閉じ、しばらく机の傷を見ていた。


 人格ではなく、つながりかもしれない。

 そうだとしても、そこを切れば何が止まるのかは、まだ見えていない。


 庁舎の廊下へ戻ると、アデルは入口近くの長椅子に座っていた。

 今日は昨日より顔色が悪い。眠れていないのだろう。膝の上には紙の束があり、その上に片手を置いたまま、じっと何か考えている。


「お待たせしました」

 ハザマが言う。


「いえ」

 アデルは顔を上げた。

「少し休んでいただけです」


 休んでいた人間の顔には見えなかった。

 それでも、そう言うならそうなのだろう。


「今日は、どちらへ」


「北区の移転区画です」

 アデルは立ち上がる。

「本当は、私が行かないほうがいい場所なんですが」


「それでも行く」


「行かないつもりでした」

 彼は外套の襟を整えながら言った。

「今朝までは」


 その言い方が少し引っかかった。


「何かありましたか」


「大きいことではありません」

 アデルは歩き出す。

「席が一つ、空いたままになっているだけです」


 北区の移転区画は、南区より風が強かった。

 古い住棟を壊し、新しい住戸へ順番に人を移している最中らしい。通路にはまだ剥き出しの配線があり、壁際には梱包材が積まれている。新しい生活の匂いというより、まだ生活になる前の匂いだった。


 集会所の前には人が集まっていた。

 怒鳴ってはいない。けれど静かでもなかった。

 同じことを何度も説明され、同じだけ納得できず、それでも完全には荒れきれないまま立ち尽くしている人々の空気だった。


 入口で、若い職員がアデルを見るなり息を吐く。

「来ていただけて助かりました」


「私は今日は外す予定だったはずですが」


「その予定でした」

 職員は困ったように言う。

「でも、三番窓口の担当が朝から戻っていなくて。代わりを入れたんですが、順番が噛み合わなくなりました」


 中へ入る。


 大きな卓の上に、移転名簿と住戸配置図が広げられていた。

 高齢者。単身者。子どものいる世帯。介助が必要な者。働きに出る時間帯。水場の位置。どれも正しい配慮だ。正しい配慮が多いときほど、順番は難しくなる。


「今、どこで詰まっています」

 アデルが訊く。


「二十一番以降です」

 職員が名簿を指す。

「本来ならここで単身者を先に出して、そのあと家族世帯へ戻るんですが、三番窓口が空いたせいで、家族世帯の列が先に伸びました。後ろで一人暮らしの高齢者が残って、そこで揉めています」


「医療連携は」


「午後便に回す予定です」


 アデルの目がそこで止まる。

「それは逆です」


「やはりそうですか」


「いえ」

 アデルは小さく首を振った。

「そうじゃない。今日はそれ以前に、先に謝らないとだめです」


「謝る?」


「ええ」

 彼は名簿を閉じた。

「順番の話を先にすると、残った人たちは“切られた”と受け取ります。今日は、空いた席のせいでそれが起きた。なら先に、こちらの不手際だと認めたほうが早いです」


 若い職員は少し驚いた顔をした。

 制度の説明や、配置の合理性ではない。その手前にある言葉を、先に出せと言われたからだろう。


 アデルは集会所の中央へ出た。

 人々のざわめきが少しだけ下がる。


「遅れてすみません」

 彼はよく通る声で言った。

「今朝、こちらの窓口配置でミスがありました。そのせいで、本来先に動くはずだった方々が後ろへ残っています。まず、そのことをお詫びします」


 部屋の空気が、目に見えないくらい少しだけ変わる。


 誰かが悪かったと決めたいのではない。

 でも、自分が雑に扱われたのではないと確認したい。

 たぶん、そういう種類のざわめきだった。


「このあと順番を組み直します」

 アデルは続けた。

「家族世帯を止めるわけではありません。ただ、二十一番以降の単身高齢者と介助世帯を先に通します。そのかわり、家族世帯の説明は私がここでまとめて先にします。二度並ばせません」


 列の中ほどにいた女が口を開く。

「うちは子どもがいるんですけど」


「わかっています」

 アデルはすぐに答える。

「だから後ろへ回すだけではなく、手続き自体は今ここで始めます。待つ時間が長くなる方から先に、説明を短くします」


 別の男が低く言う。

「さっきから、そういうのを誰も言わなかった」


「その通りです」

 アデルは否定しない。

「なので、今からやり直します」


 それだけだった。

 名演説でも何でもない。


 だが、人々は少し静かになった。


 ハザマは壁際からその様子を見ていた。

 順番を見抜く。崩れる枝を外す。

 それだけではないのだと、ようやくはっきり見えた。

 アデルは順番そのものより先に、切られたと感じる人間の出方を見ている。


 午後、集会所の混乱は大きくならずに収まった。

 完全に平等ではない。待たされる者もいる。けれど「自分だけ外に置かれた」と感じたまま帰る者は、朝よりずっと少ないように見えた。


 外へ出ると、アデルは庁舎裏の低い塀にもたれてしばらく黙っていた。

 風が吹く。遠くで解体機の重い音がする。


「今日は来ないつもりだったんですね」

 ハザマが言う。


「ええ」


「どうして変えたんです」


 アデルは少しだけ笑った。

 笑ったというより、疲れて息がこぼれたような顔だった。


「減らしたかったんです」

 彼は言った。

「私が入る回数を」


「それは必要だと思った」


「私もそう思います」

 アデルは頷く。

「いない日を増やさないと、この街はまずい」


「では、なぜ」


「今朝、戻っていない担当がいると聞いて」

 彼は塀の向こうを見る。

「空いた席に、別の人をそのまま置く形になると、順番が少しずつずれる。少しずつずれた順番は、人を疲れさせます。疲れた人は、うまく譲れない」


 その言葉は、誰かを責めていなかった。

 自分を庇ってもいなかった。

 ただ、そういうふうに見えてしまう人間の声だった。


「手を引けないんですね」


「引けません」

 アデルはあっさり言った。

「引いたほうがいいとわかっていても」


「それで痩せるものがあると、あなたも言っていた」


「言いました」


「怖くはないんですか」


「怖いですよ」

 彼は塀から背を離す。

「でも、怖いからやめられる種類のことではないんです。ここで手を引いて、今日の列がひどく崩れたとしたら、たぶん私はその夜ずっと、あの場に残った顔を思い出します」


 言い終えてから、彼は少しだけ目を伏せた。

「橋の上も、そうでした」


 ハザマは何も言わなかった。


「あなたは」

 アデルがふとこちらを見る。

「昨日から、ずいぶん丁寧に見ていますね」


「そうでしょうか」


「ええ。責めたい人の見方ではない」

 彼は言った。

「でも、ただの見学でもない」


 風の音が少し強くなる。

 ここで誤魔化すこともできた。

 だが、もう薄くは通らない気がした。


「止める側かもしれない、と考えたことはありますか」

 ハザマは言った。


 アデルは驚かなかった。

 むしろ、その問いを前からどこかで待っていた顔だった。


「あります」

 彼は答える。

「何度も」


「それでも、ここにいる」


「はい」


「止められたら困る」


「困ります」

 アデルはまっすぐ言う。

「私一人の都合ではなく、ここで止まるものがあるので」


「わかっています」


「ですが」

 彼は続ける。

「止める側の理屈も、わからないわけではありません」


 その一言が、少し痛かった。


 遠くで短い警報が鳴る。

 今度は解体区画のほうだった。人が数人走る。大事ではなさそうだが、小さく済むとも限らない音だった。


 アデルはそちらへ視線を向け、それからハザマに戻す。


「あなたが誰でも、今は行きます」

 彼は言った。

「そうしないと、たぶん間に合わないので」


 そう言って走り出す。


 ハザマもあとを追った。


 解体区画では、古い梁が一部だけ早く外れ、通路が半分塞がっていた。下敷きはいない。だが、裏手に置かれていた生活物資の搬入が止まりかけている。遠回しにすれば届く。だが、日没前には少し厳しい。


 アデルは周囲を見て、すぐに作業員へ言った。

「梁を全部外さないでください。端だけ残して通路を作る。荷は人力で三往復。車を待つと遅れます」


「でも強度が」


「十分持ちます」

 彼は短く言った。

「日が落ちる前に半分だけ通す。それで今夜は足ります」


 作業員が動き、近くにいた住民も手を貸す。

 小さな列ができる。箱が手渡しで運ばれていく。子どもが一人、途中で笑って走り出し、母親に叱られる。生活は止まらない。


 ハザマは、その列を見ていた。


 この人がいなければ、今夜困る者がいる。

 この人がいれば、明日の判断を少しずつ自分で持てなくなる者が出る。


 どちらも本当だった。


 夕方、庁舎へ戻る途中で端末が短く震えた。

 真木からだった。文は短い。


 同期窓、追加で拾えました。本人の周辺でだけ薄く立っています。

 切るなら人格ではなく、まずそこです。


 ハザマは立ち止まらずに、その文だけ読んだ。


 人格ではなく、まずそこ。


 やはりそうか、と思った。

 同時に、それでも痛む場所は多いだろうともわかった。


 庁舎の窓に夕日が差していた。

 アデルは少し前を歩いている。背中は広くない。疲れているのが遠目にもわかる。


 止めるなら、あの人そのものではなく、あの人の向こう側にある何かだ。


 そう考えても、重さはあまり変わらなかった。

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