第36話
真木から呼び出しが来たのは、報告会の三時間後だった。
件名は短い。
相関監視補助/閲覧権限一時付与
本文はない。
場所だけが記されていた。解析保管区B12。
本部の下層は、いつ来ても温度が一定だった。
人間の集中が切れない温度。眠気だけを少し遅らせる温度。
壁面の表示灯は静かで、誰かが何かを見つけた気配だけが数字で流れていた。
B12の扉を開けると、真木は端末群の間に立っていた。
紙のカップは今日もある。今日は半分ほど減っていた。
「早いですね」
「呼び出したのはそっちだ」
「そうでした」
真木は悪びれずに端末を一つ寄越した。
表示されていたのは、案件ファイルではなかった。
地球側観測ログ。創作物相関監視。非優先保留群。
「こんなのがあるのか」
「ありました、が正しいですね」
真木は言った。
「前からある。見ないことにしてただけです」
画面には、作品名とも呼びづらい断片が並んでいた。
個人ブログに投稿された夢日記。
閲覧数のほとんどない連載小説。
同人誌の没プロット。
通報にもならない程度の、奇妙に具体的な怪談書き込み。
子どもの自由帳に描かれた、説明のつかない街路図。
どれも些細だった。
些細すぎて、今まで重要資料の顔をしてこなかったものばかりだ。
「一致率だけ見てください」
真木がそう言って、最上段のデータを開く。
そこには、ある地球側の短編小説の抜粋と、別系列世界で観測された未発生イベントの予測断片が並べられていた。
固有名は違う。文体も違う。
だが構図が同じだった。
善意から始まる介入。
役割の先読み。
本人だけが知っているはずの破滅順序。
救済のはずが、構造そのものをずらしていく手つき。
ハザマはしばらく黙って画面を見る。
「エリシア案件と近いな」
「近いです」
真木は言った。
「しかもこれ、投稿時点が向こうの案件発生より早い。同期も因果も綺麗じゃない。だから余計に面倒なんです」
「漏れは時間に従順じゃない」
「完全には」
真木は隣の画面を開く。
今度は、レオン案件を思わせる断片だった。
黒い道。
白い線。
朝だけが繰り返される夢。
何度死んでも、その先に進めない男。
これもまた、地球側の匿名投稿に残っている。
読まれた形跡すらほとんどない文章だった。
「案件が先で、創作が後じゃないのか」
「その場合もあります。逆もある。混ざることもある」
真木は肩をすくめた。
「自然漏れって、そういう雑なものなんですよ。本来は。だから管理上は、低強度雑音で片づけられてきた」
「兵器化されるまでは」
「ええ」
真木の声は平坦だった。
だが平坦であること自体が、この話の悪さを示していた。
驚いている段階は、もう過ぎている。
「アナーキー・コードの派生系統は、ここに気づいた」
真木は端末を操作しながら続ける。
「漏れた断片を拾う。増幅する。物語として流通させる。読者の認識に受け皿を作る。そこへ死者パケットを入れる。エリシアは、その完成度が高かった例です」
「完成度」
「侵入としては、です」
真木は言い直した。
「人間として完成していたと言いたいわけじゃない」
ハザマは何も返さなかった。
エリシアの最後の顔を思い出す。
帰りたい、と彼女は言った。
だがあれは地球への郷愁ではなかった。
役割から降りたい、という疲れた願いだった。
真木はさらに別の画面を開く。
今度は創作物ではない。
検索語の偏り。夢に関する相談の増加。説明不能な既視感の報告分布。
地球側の認識面に生じた、微かなざわめきが可視化されていた。
「受信面がざらついてきてます」
真木が言った。
「主観測系そのものが、受け取りやすくなってる。自然漏れが増えたのか、誘導がうまくなったのか、両方か。そこはまだ不明」
「地球が汚染されている、と言いたいのか」
「言葉としては雑です」
真木はカップを持ち上げる。
「でも方向は近い。壊されるのは異世界だけじゃない。読む側の地盤も削られる。管理局が予測の足場にしてるのは、結局ここですから」
そこで扉が開いた。
葛西だった。
ノックはない。必要がないからだ。
「二人とも、補助閲覧の範囲を逸脱しないように」
入ってすぐにそう言う。
視線はハザマではなく、真木の画面に落ちた。
「逸脱していません」
真木が答える。
「まだ」
葛西はその返しを無視した。
彼は机の端に置かれた紙資料を一枚だけ取り、目を通す。
「創作相関監視の再格上げは承認された」
葛西は言った。
「ただし運用目的は、理解ではなく封じ込めだ。夢見の保護でも、創作者の弁護でもない」
「わかっています」
真木。
葛西は今度、まっすぐハザマを見た。
「勘違いするな、ハザマ。受信者が無自覚でも、侵入者が同情に足る動機を持っていても、系列が歪む事実は変わらない」
「はい」
「お前は最近、切り方を選びすぎる」
声は強くない。
強くないから、記録文のように残る。
ハザマは答えない。
ユウトでは、消した。
レオンでは、生かしたまま止めた。
エリシアでは、読み方だけを断った。
そのたびに、判断は少しずつ処理手順から離れていた。
葛西は数秒待ったが、返答を求める気配は見せなかった。
「次案件の予備ブリーフに、ここの相関資料が接続された」
葛西は言う。
「善意による文明改変。領域横断。加速率異常。現地側では救世として処理されている。こちらでは未定」
真木が新しいファイルを開く。
都市夜景。
電力供給網の推移。
乳児死亡率の急落。
戦域消失。
感染症制御。
識字率の異常上昇。
数字は、どれも良すぎた。
発展にはふつう、濁りがある。
奪い合いがあり、失敗があり、踏み外した死がある。
だがこのグラフは、痛みを省略して答えだけ置いた形をしていた。
「これだけのことを、一人でやったのか」
ハザマが言う。
「一人起点の可能性が高い」
真木は表示を拡大する。
「表に立ってない。王でも発明家でもない。複数機関に同時に“正しい助言”を流してる。しかも妙に無駄がない」
「未来を知っている動きだな」
「あるいは」
真木が言う。
「別の場所で、すでに答えとして読んでいる」
画面の右端に、地球側相関資料が追加される。
忘れられた古いSF同人誌。
個人サイトに置かれた技術考察。
現実には成立していない社会制度を、なぜか具体的に描いた連載。
ばらばらのはずの断片が、向こうの文明改変と不自然なほど噛み合っていた。
「また創作か」
ハザマは低く言う。
「創作“だけ”ではないでしょうけどね」
真木は答える。
「でも、受け皿にはなってる」
葛西がファイルを閉じた。
「正式ブリーフは明朝だ。それまでは予測を口にするな。特に、地球側との接続については」
「隠すんですか」
気づけば、そう言っていた。
葛西はわずかに眉を動かした。
怒ったわけではない。
その質問が出る段階に来たことだけを確認した顔だった。
「管理する」
葛西は言った。
「言葉は広がる。広がった言葉は、現象の足場になる」
それだけ言って、出ていく。
扉が閉まる。
機械の音だけが残った。
真木は冷めたコーヒーを一口飲み、すぐに顔をしかめた。
「まずい」
「だろうな」
「でも捨てるほどでもない」
真木は言った。
「最近、そんな案件が多いです」
ハザマは画面に残った夜景を見る。
無数の灯りが規則正しく並んでいる。
守られた命の数だけ、そこに理由があるはずだった。
それでも、理由が正しいとは限らない。
端末に正式通知の予告が届く。
明朝〇六時。
文明水準異常加速案件、事前編成会議。
その下に、補助資料の件数が表示されていた。
地球側相関資料、三百二十一件。
多すぎる、と思った。
同時に、少なすぎる気もした。
見つかったものだけでこれなら、見つかっていないものはどれだけある。
ハザマは端末を閉じる。
黒くなった画面に、自分の顔が少しだけ映る。
均一な照明のせいで、輪郭が薄い。
ここは、本部の下層だ。
何も残さないための場所。
そういう設計のはずだった。
だが今、残っているのは案件の残響だけではない。
読む側の世界まで、静かに巻き込まれ始めている。
その感触だけが、消えなかった。




