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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第8章 染み出した境界線

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第35話

 本部の自動扉が閉まる音は、いつも少し遅れて聞こえる。


 ハザマは通行認証を抜け、その遅れを背中で聞いた。

 照明は均一だった。床も壁も、汚れを想定していない材質でできている。ここではたいていのことが、最初から拭き取られる前提で設計されていた。


 クレンジング部門第三報告室。

 時刻は標準系で〇七時一四分。

 エリシア・ヴァレスト案件、事後報告。


 席はもう埋まっていた。榊が端末を開いたままこちらを見る。葛西は腕を組み、真木は紙のカップを机に置いたところだった。珍しく、まだ飲んでいない。


「定刻だな」

 榊が言った。


「はい」


 ハザマは座らず、報告端末に認証を通した。

 自分のIDが画面隅に表示される。数値列。所属。権限。処理履歴。どれも問題なし。そう表示されている。


「対象、侯爵令嬢エリシア・ヴァレスト」

ハザマは言った。

「処理目的は人格削除ではなく、参照切断。実施内容は、外部由来の物語認識フレームの剥離。結果、対象人格の継続を確認。周辺人間関係は局所的揺れを伴うが、基底系列への致命的損傷はなし」


「致命的、ね」

 葛西が口を挟んだ。

「その言い方だと、致命的でない損傷はあるように聞こえる」


「あります」

ハザマは答えた。

「喪失感の残留。説明不能な好意の残り。対象本人の自己輪郭の減衰。いずれも観測済みです」


 葛西は薄く目を細めた。

 嫌味を言いたい顔ではなかった。むしろ、その程度で済ませるなと言いたい顔だった。


「人格を残したまま、読み方だけを断つ」

葛西は机の上で指を組む。

「前例として美しくない。人を消さないから安全、という話でもない」


「安全とは報告していません」

ハザマは言った。

「ただ、削除コストと系列歪曲の比較では、今回のほうが小さい」


「小さい損傷を選ぶ判断が、現場官の裁量で積み上がる」

 葛西は視線を動かさない。

「それを制度と呼べるのか」


 そこで榊が口を開いた。

「制度は、例外の発生を前提に運用するものだ。例外が嫌なら、観測対象を減らすしかない」


「減らせるなら苦労しませんよ」

 真木がぼそりと言って、ようやくカップを持った。

「しかも今回、問題は対象一名で閉じてない」


 榊が顎で続きを促す。

 真木は端末を操作し、壁面にログ断片を投影した。


文字列。

不完全な命令文。

再配置。起動。ここで必要です。

既知の違法転生案件に似ているが、似ているだけで一致しない痕跡。


「侵入経路が雑なんです」

 真木が言う。

「いや、雑というと違うな。粗い。縫い目が違う。普通の汚染データなら、死者パケットの横取りと属性付与でもう少し綺麗に入る。今回は先に受け皿があった形跡がある」


「受け皿」

 榊が反復する。


「対象の認識です。本人は“原作”を知っていたと思っていた。でも、あれは単なる知識じゃない。もっと感触が近い。既読感じゃなく、既視感に近い」

 真木はログを拡大した。

「こっちの人生断片が、地球側で創作物として受信され、その認識が侵入足場になった可能性が高い」


 報告室が一瞬だけ静かになった。


 本部では珍しくない沈黙だった。

 誰も感情で止まらない。

 計算が一回、内部で回るだけだ。


 葛西が先に言った。

「証明は」


「まだ弱いです」

 真木は即答した。

「でも、弱いから無視できる段階は過ぎました。漏れそのものは以前から観測されてる。夢、予感、妙に具体的な創作、説明のつかない既視感。雑音として切ってきた。でも兵器化されてるなら話が変わる」


 兵器化。


 その言葉だけが、部屋の空気に遅れて残った。


 ハザマは真木のカップを見た。

 表面のコーヒーが少し揺れている。手元は安定しているのに、空調の風でかすかに波が立っていた。


 エリシアは、最後まで人を人として見ようとした。

 だが最初に見ていたのは、役割だった。

 主人公。攻略対象。悪役令嬢。

 順番が逆だった。


 それでも彼女の善意は、本物だった。


 その事実だけが、処理後もきれいに切れなかった。


「ハザマ」

 榊の声で視線を戻す。

「現場感としてどう見る」


 少しだけ間が空いた。

 葛西がその間を記録するような目で見ていた。


「対象は、既知の転生者と違いました」

 ハザマは言った。

「侵入者である前に、読者だった。少なくとも本人はそう認識していた。自分の行為を改変ではなく、破滅回避だと理解していた。処理に対する抵抗も、延命ではなく離脱願望に近かった」


「帰還願望か」

 葛西。


「逃避です」

 ハザマは訂正した。

「地球へ帰りたい、という表現を使っていましたが、場所への執着というより、役割から降りたい願いに見えた」


 真木が小さく頷いた。

 榊は画面を閉じた。


「つまり」

 榊は言う。

「今回切ったのは人格ではない。世界の読み方だ」


「はい」


「その結果、好意や喪失感だけが残った」


「はい」


「厄介だな」


 その言い方は、感想ではなく分類だった。

 だが少しだけ、人間の声にも聞こえた。


 葛西が椅子に背を預ける。

「私は反対記録を残す。参照切断は、今後の標準処理にしていい類型じゃない。人を残すから穏当、ではない。何を残して何を剥ぐか、その線引きを現場感覚に寄せすぎる」


「妥当です」

 榊が言った。

「反対記録は残せ。ただし案件としては承認する。今回は全削除のほうが歪みが大きかった」


 葛西は眉一つ動かさず「了解」とだけ返した。


 決着は、それで終わった。

 管理局では、たいていそうだった。

 深く揉めたように見えても、記録形式に変換された瞬間に終わる。


 だが終わらないものもある。


 真木が端末を切り替えた。

「あと一件。これは正式ブリーフ前の予備断片です」


 壁面に別のログが出る。

 異世界座標。

 文明段階指標。

 逸脱率グラフ。


 数値の立ち上がり方が異様だった。なだらかな発展ではない。どこか一つの知性が、数十年分をまとめて前倒ししたような伸び方をしている。


「医療、エネルギー、通信、戦争抑止」

 真木が読み上げる。

「複数領域で同時加速。局所英雄じゃなく、文明改変寄りです」


 葛西が低く言った。

「また善意か」


「たぶん」

 真木が答える。

「しかも今度は、人間関係を良くした、じゃ済まない規模です」


 ハザマはグラフを見る。

 綺麗すぎる伸びだった。

 人が苦しみながら作る発展の形ではなく、答えを知っている者が先回りして置いた形に見える。


 榊が立ち上がった。

「今日はここまでだ。正式資料は後で回す。ハザマ、休め」


「はい」


 そう返したが、休める感じはしなかった。


 報告室を出る前に、真木が自分のカップを持ち上げた。

「飲みますか」


「いや」


「冷めてますけど」


「だからだ」


 真木は少しだけ笑った。

「そういう日もありますね」


 報告室を出る。

 廊下の照明は変わらない。

 床も壁も同じままだ。

 本部は、何も残さないための場所だ。


 だが、残る。


 消したはずの役割の輪郭。

 切ったはずの参照の痕。

 説明できない好意。

 説明できない喪失。

 そして、自分の中で少しずつ鈍っていく、正しい処理の手触り。


 端末に新着通知が入る。

 予備案件ブリーフ、閲覧権限付与。


 件名だけが表示されていた。


 文明水準異常加速案件/暫定分類未定


 ハザマは数秒だけ、それを見た。

 それから画面を閉じる。


 閉じたあとも、件名だけは視界のどこかに残っていた。

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