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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第7章 悪役令嬢抹消

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第34話

処理は、処刑よりずっと静かだ。


 異世界管理局の手が本当に怖いのは、光ったり爆ぜたりする瞬間ではない。

 何を残して、何を切るかを、まるで書類の項目みたいに選べてしまうところだ。


 礼拝堂裏の小応接室。

 白い机の上に、蜂蜜入りの小瓶が置かれている。扉の前に残されていたものを、エリシアが結局、自分で拾ってきたのだ。


 彼女はそれを見たまま言った。


「それで、どこまで消えるの」


 もう令嬢の口調は作っていない。

 朝倉真琴だった頃の、若い女の声だ。


「全部ではありません」

 ハザマが答える。

「あなたの人格そのものを消す処理ではない」

「でも、かなり薄くなるんでしょ」

「ええ」

「地球のことも」

「輪郭は」

「『銀花のラストノート』も」

「参照は断たれます」

「帰りたいって思ってる場所も」

「その手触りは、かなり失われる可能性があります」


 エリシアは小さく笑って、すぐに笑えなくなった。


「じゃあ、やっぱり、ほとんど失うじゃん」

「ほとんど、ではありません」

「そういう言い方、ほんと嫌い」


 嫌い、と言えるのはまだ余裕がある証拠だ。

 だが、その余裕も長くは持たない。学院内の違和感は広がっている。王家も教会も、彼女の“先読み”をもう便利では済ませない。


「……ねえ」

 エリシアが言う。

「確認したいんだけど」


 ハザマは黙って待つ。


「これをやったら、私、リュシエンヌのことを主人公だって思わなくなる?」

「可能性は高い」

「ルシアンのことも、攻略対象じゃなくなる?」

「ええ」

「私のことも、悪役令嬢じゃなくなる?」

「その参照は切れます」

「……」


 彼女はそこでやっと、机の上の小瓶を手に取った。


「じゃあ、たぶん、それでいい」

「即答ですね」

「よくはないよ」

 彼女は言う。

「でも、このままのほうがもっとよくない」


 蜂蜜の瓶を握る指が少し震えていた。


「私さ、優しくしたかったのは本当なんだよ」

「ええ」

「でも最初から、この子は主人公、この人は攻略対象、ここで傷つく、ここで庇う、って、そうやって読んでた」

「……」

「それってさ、たぶん、人を人として見てないのと、そんなに変わんないじゃん」


 ハザマは、否定しなかった。


「違わない部分もあります」

「最悪」


 その一言は、前より軽くなかった。

 もう冗談の逃げ道としての“最悪”ではない。自分で自分の足場を見た人間の声だった。


「でも」

 エリシアは続ける。

「それでも好きになったんだよ。リュシエンヌのことも、マリベルのことも、ルシアンのことも。そこは嘘じゃない」

「そうでしょう」

「だったら、もう役で見たくない」

「……」

「ちゃんと人として見るには、たぶん、切るしかないんでしょ」


 ハザマは、少しだけ目を伏せた。


「そうです」


 それは救済ではない。

 罰でもない。

 ただ、もうそれしか残っていない処理だった。


 エリシアはしばらく黙っていた。

 やがて、小瓶の蓋を指先でなぞりながら言った。


「地球に帰りたかった」

「ええ」

「でもそれも、たぶん本当の地球じゃなくて、“戻れば全部ごまかせる場所”が欲しかっただけかもしれない」

「そうかもしれません」

「そこも否定しないんだ」

「する理由がない」

「……ほんと嫌い」


 言いながら、少しだけ笑った。

 その笑いは弱く、でも前よりちゃんと人間のものだった。


「もし」

 彼女が言う。

「これやったあと、私が前のことをほとんど思い出せなくなっても」

「はい」

「それで、ここにいる人たちのことを変なふうに読まなくなるなら、そのほうがいい」


 ハザマは確認する。


「同意と取ります」

「うん」

「撤回は」

「しない」

「……」

「だって、今のままリュシエンヌの顔見たら、また最初に“主人公”って浮かぶ」

 エリシアは小さく首を振った。

「それ、もう耐えられない」


 扉の外で、足音が一度だけ止まった気がした。

 誰かが来て、気配を察して、去ったのかもしれない。

 リュシエンヌか、マリベルか、ただの使用人かはわからない。


 ハザマは端末を開く。


 光はほとんど出ない。

 処理は派手である必要がない。

 必要なのは、参照点を切り分けることだけだ。


「説明します」

 彼は言う。

「あなたから断つのは、“この世界を原作として読む回路”です。乙女ゲーム『銀花のラストノート』と、この世界の人生断片を重ねる参照。前世側の輪郭も連動してかなり薄れる。ですが、あなたがこの世界で積み上げた感情までは、完全には消えない可能性が高い」

「可能性」

「断定はできません」

「最後までそれか」

「最後までそれです」


 エリシアは目を閉じた。


「じゃあ、やって」

「はい」


 ハザマの指が端末の縁をなぞる。

 認証。層照合。対象固定。外部参照切断。

 無機質な手順のはずなのに、今日は妙に手触りが重かった。


 その瞬間、エリシアの肩が大きく揺れた。


「……っ」


 悲鳴にはならない。

 痛みというより、結びついていたものが、静かに剥がれる感覚に近いのだろう。


「タイトルが」

 と彼女が言う。

「見えない」


 ハザマは何も答えない。


「選択肢……ルート……バッドエンド……」


 言葉が一つずつ、指の間から零れるみたいに薄くなる。


「朝倉、真琴……」


 自分の名前を、自分で呼んでいるのに、遠い。

 帰りたい場所の輪郭が、霧に沈むみたいに曖昧になる。


 それでも全部は消えない。


 消えないからこそ、最後に残るものがある。


「リュシ……」


 そこで言葉が止まる。

 主人公、というラベルはもう浮かばない。

 ただ、明るく笑う一人の少女の顔だけが、役名なしで残る。


 エリシアの頬に、遅れて涙が落ちた。


「なんで」

 と彼女は掠れた声で言う。

「なんで、悲しいのかも、うまく言えない」


 処理はそこで終わった。


 端末に表示が出る。


《外部参照断絶 完了》

《対象人格 維持》

《前世輪郭 減衰》

《情動残響 継続》


 ハザマは表示を閉じる。


 エリシアはしばらく俯いたまま、やがてゆっくり顔を上げた。

 目は赤い。だが、そこに前までの「読み」の鋭さはない。何かを失ったあとの、静かな空白だけがある。


「……私」

 と彼女は言う。

「誰だったっけ」


「エリシア・ヴァレストです」

 ハザマが答える。


「うん」

 彼女は小さく頷く。

「それは、わかる」


 机の上の小瓶へ視線が落ちる。


「これ」

「あなたへの見舞いでしょう」

「誰から?」

「……」

「わかんない、か」


 彼女は瓶を両手で包む。

 不思議そうな顔で、でも捨てなかった。


「なんか」

 と彼女は言う。

「すごく優しい子にもらった気がする」


 もう“主人公”とは思っていない。

 だが、その笑い方を失いたくないと思っていた感情だけが、説明できずに残っている。


 それで十分だった。

 十分で、そしてたぶん残酷だった。


 ハザマは立ち上がる。


「処理は完了です」

「……そう」


 エリシアは頷く。

 それが良かったのかどうか、まだ判断できない顔だった。


「ねえ」

 と彼女が最後に言う。

「私、何か大事なもの、なくした?」


 ハザマは少しだけ間を置いた。


「はい」

 と彼は答える。

「ですが、それが何だったかを、もう前と同じ形では言えません」


 エリシアは、その言葉を責めなかった。

 責めるための輪郭も、たぶんもう少し薄れてしまっている。


 小応接室を出ると、回廊の先にリュシエンヌが立っていた。

 気まずそうに、でも逃げずに。


「エリシア様……?」

 と彼女は言う。


 エリシアはその声に振り向く。

 少しだけ戸惑って、それから小さく笑った。


「心配かけたみたい」

「はい。少し」

「ごめんなさい」

「いえ……その、蜂蜜、飲めそうですか?」

「たぶん」


 リュシエンヌはほっとしたように笑う。

 エリシアはその笑顔を見て、胸の奥が変に痛むのを感じた。


 誰だろう。

 大事だった気がする。

 でも、その大事さに貼ってあった名前は、もう剥がれている。


 ハザマはその二人を見てから、何も言わずに歩き出した。


 悪役令嬢案件は、これでいったん処理完了だ。

 報告書の上ではそうなる。

 だが、創作として地球へ流れた人生断片の謎も、エリシアの侵入痕の雑さも、何一つ解けていない。


 切った。

 だが消していない。

 生かしたまま、読み方だけを断った。


 それが正しかったのかどうか。

 ハザマには、まだ答えが出ない。

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