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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第7章 悪役令嬢抹消

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33/57

第33話

真木が持ってきた比較資料は、紙にすると驚くほど薄かった。


 乙女ゲーム『銀花のラストノート』の該当場面抜粋。

 現地観測ログ。

 エリシアの発言記録。

 たったそれだけだ。だが、並べると十分だった。


 礼拝堂裏の小会議室で、ハザマはその三枚を見比べる。


「第三章・聖堂ルート中盤」

 真木が端末越しに言う。

「ゲーム側の記述は、“主人公が落とした栞を聖職者が拾う。栞の端は少し折れていた”まで」

「祭礼の階段で踏まれた、は書かれていない」

「書かれてない」

「香の匂いも」

「ない」

「階段の石が冷たいことも」

「もちろんない」


 ハザマは紙を閉じる。


「なのに彼女は知っていた」

「ゲームを知ってるんじゃなくて、その場面に触れてる」

 真木は言う。

「文字としてじゃなく、傷つき方として」

「……」

「こっちの仮説でほぼ固いと思う。地球側で受信されたのは“作品”じゃなく、こっちの人生断片。で、それを乙女ゲームの形に整形して流通させた」


 榊が低く言った。


「自然発生の漏れか、意図的な注入か」

「後者の匂いが強い」

 真木が答える。

「侵入痕が雑すぎる。既知の違法転生パターンに近いけど、整ってない。変に急いでる」

「アナーキー・コードか」

 葛西が言う。

「断定はまだ」

 真木はすぐ返した。

「でも、偶然でこんな綺麗な“物語化”は嫌すぎる」


 榊は資料を机へ置いた。


「処理候補は」

「人格削除は過剰」

 真木が言う。

「案件の核は人格じゃない。参照の仕方」

「つまり」

「“この世界を原作として読む回路”だけを断つ」


 葛西の沈黙は、制度上それが面倒だという意味だった。


「危ういな」

「危うい」

 真木も認める。

「でも一番まし」

「成功率は」

「高くはない。けど、ゼロでもない」

「失敗時の損失は」

「前世側輪郭の大幅減衰。地球への帰属感喪失。原作参照の消失。最悪、自己同一性の一時的混濁」

「……」

「でも、人格そのものの破断は避けられる可能性が高い」


 ハザマはそこで初めて口を開いた。


「本人にはまだ伝えていない」

「伝えろ」

 榊が言う。

「選ばせる必要がある」

「選択に見せかけるな」

 葛西が言った。

「現場圧で誘導したら承認しない」

「承知しています」


 回線が切れる。


 白い会議室に、紙の擦れる音だけが残った。


 ハザマは資料をまとめる。

 人を消す資料ではない。

 だが、人が人を読む方法を切る資料ではある。


     *


 エリシアは、呼ばれた場所が前と同じ小応接室だとわかった瞬間、少しだけ顔をしかめた。


「またここなんだ」

「はい」

「白くて嫌」


 今日はもう、令嬢の口調を作ろうともしなかった。


 椅子に座る前から疲れている。

 昨日までなら背筋で誤魔化せたものが、今日はもう誤魔化せていない。

 ハザマは机の上に紙を二枚置いた。


「比較資料です」

「何の」

「ゲームと現実の」

「……最悪」


 それでも彼女は受け取る。

 数行読んで、すぐに視線が止まった。


「これ」

「あなたが知っていた細部です」

「書いてない」

「ええ」

「私、じゃあ、何を覚えてたの」


 声が細い。

 問いかけというより、ほとんど独り言だった。


「作品ではなく、作品化された断片」

 ハザマが言う。

「そう見るほうが自然です」

「自然って」

 エリシアは笑いそうになって、できなかった。

「それのどこが自然なんだよ」


 沈黙。


「……私さ」

 彼女は紙から目を離せないまま言う。

「ゲームやってたつもりだったんだよ。好きだったし、何回もやったし、すごいハマってたし」

「ええ」

「でも実際は、誰かの人生を攻略本みたいに読んでたってこと?」

「可能性は高い」

「最悪じゃん」


 その一言が、部屋の真ん中に落ちた。


「私、助けてたつもりだった」

 エリシアは続ける。

「でも最初から、人としてじゃなくて、“ここで傷つく子”“ここで庇う人”“ここで落ちる私”って見てた」

「……」

「それで先回りして、いいことした気になってた」

「善意まで全部偽物とは言いません」

「でも出発点は最悪だよ」


 ハザマは否定しない。


 エリシアは資料を机へ置いた。

 手が少し震えている。


「で」

 彼女は言う。

「そこまでわかったなら、次は何?」


 ハザマは答える。


「処理候補があります」

「削除?」

「違います」

「じゃあ」

「あなたの人格そのものではなく、この世界を“原作”として読む参照だけを断つ」


 エリシアは数秒、意味を測り損ねた。


「……何それ」

「あなたをエリシアとして残したまま、朝倉真琴のゲーム参照と、この世界との接続を切る」

「それって、前世の記憶を消すのと何が違うの」

「全部は消えません」

「全部は、って」

「かなり薄れる可能性はあります」

「かなりって、どのくらい」

「地球の手触り。帰りたい場所の輪郭。『銀花のラストノート』としてこの世界を読む感覚。そこは失う可能性が高い」

「……」


 エリシアは目を伏せた。


「じゃあ、私、何になるの」

「エリシア・ヴァレスト」

「そうじゃなくて」

 彼女は顔を上げる。

「私さ、もう朝倉真琴のことだって完璧には覚えてないんだよ。それでもまだ、“帰りたい”って思うからギリギリ立ってるのに」

「……」

「そこまで薄くなったら、何に向かって寂しがればいいの」


 ハザマは少しだけ間を置いた。


「わかりません」

「残酷」

「はい」

「ほんとにさ」

 エリシアは笑って、すぐにやめる。

「そういうとこだけ、びっくりするくらい正直だね」


 窓の外で、学院の鐘が鳴る。

 その音が止んでから、エリシアは小さく言った。


「でも、今のままも無理だ」

「そうですか」

「うん。だって、リュシエンヌ見たら、まだ最初に“主人公”って思うし」

「……」

「ルシアン見ても、先に“攻略対象”が来る」

「ええ」

「それで優しくするとか、選んでることとか、もう気持ち悪い」


 言葉が荒い。

 でも、その荒さのぶんだけ本音だった。


「ねえ」

 と彼女は言う。

「私の転生、やっぱり変なんだよね」


 ハザマは頷く。


「既知の違法侵入痕に近い。ですが完全一致ではない」

「アナーキー・コードってやつ?」

「その可能性はあります」

「……そう」


 エリシアはそれを聞いて、なぜか少しだけ静かになった。


「じゃあさ」

 彼女は机の木目を見たまま言う。

「私、最初から何かのために押し込まれたのかもね」

「……」

「“ここで必要です”って、そういう意味だったのかも」


 それは諦めではなく、疲れた理解に近かった。


「必要、ね」

 エリシアは続ける。

「誰にとってだろうね」

「少なくとも、あなた自身ではない」

「だよね」


 そこで、また扉が控えめに叩かれた。


「エリシア様?」

 リュシエンヌの声だ。


 エリシアの肩がわずかに揺れる。


「今度は何も言わなくていい」

 ハザマが言う。


 エリシアは少しだけ頷いた。


「……ごめん、いま出られない」

 扉越しにそう返すと、少ししてリュシエンヌが言った。


「じゃあ、これだけ置いていきますね。喉、痛くなってるかもしれないから」


 足音が去っていく。

 扉の前には、たぶん蜂蜜入りの小瓶か何かが置かれたのだろう。


 エリシアはそれを取りに行かない。

 代わりに、椅子の背へ身体を預けて目を閉じた。


「……こういうのが一番つらい」

 と彼女は言う。

「私が勝手に主人公って呼んでた子のほうが、ちゃんと人として優しいの」


 ハザマはその言葉を受け止めるだけにした。


「時間は多くありません」

 やがて彼は言う。

「学院内での違和感は広がっています。王家側も、教会側も、あなたの先読みを“便利”では済ませなくなっている」

「わかってる」

「処理判断も近い」

「……」

「あなたが選べるうちに選んだほうがいい」


 エリシアは長く黙る。


 それから、机の上の資料へもう一度目を落とした。

 ゲームに書かれていない細部。

 でも自分が知っていた痛み。

 たぶんそれは、誰かの人生だった。


「次」

 と彼女は言う。

「その処理、ちゃんと全部説明して。何が残って、何がなくなるのか」

「はい」

「それ聞いてから決める」

「承知しました」

「……でも」


 彼女はそこで少しだけ笑った。

 弱い、もう仮面では支えきれない笑いだった。


「たぶん、どっち選んでも痛いね」

「ええ」

「最悪」


 ハザマは答えない。

 最悪なのは事実だった。

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