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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第8章 染み出した境界線

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第37話

 編成会議は、朝六時ちょうどに始まった。


 壁面いっぱいに表示されたのは、悲鳴でも死体数でもなく、改善のグラフだった。

 乳児死亡率の急落。送電効率の上昇。感染症流行域の縮小。停戦維持期間の延長。識字率の上昇。食料自給率の安定化。

 どの線も美しく、試行錯誤の痕跡がまったくないように見える。


 榊は席に着くなり、資料を開いた。

 葛西はすでに着席している。真木は端末操作に集中していて、紙カップのコーヒーはまだ手をつけていない。

 ハザマは最後に入室し、認証を通して席についた。


「開始する」

 榊の声は平坦だった。

「文明水準異常加速案件。暫定分類はC-7、補助未来輸入型。正式認定は現地観測後。真木」


「はい」


 壁面の表示が切り替わる。

 地図。都市圏。輸送網。人口分布。

 どれも発展した文明の図だった。だが発展の仕方が不自然だった。


「対象系列は第九一三系列。現地文明は、本来ならあと七十年から百年ほどかけて到達するはずだった水準に、二十年弱で接近しています」

 真木が言う。

「原因は単独発明ではありません。複数分野への同時介入です。医療、エネルギー、物流、停戦仲介、情報圧縮、教育制度。全部に、妙に無駄がない」


「王か」

 葛西が言う。


「違います」

 真木は即答した。

「表に立つ人物がいない。勲章も肩書きも集中していない。複数の機関に、別名義で、正しい助言だけが流れている形です」


「英雄ではなく、助言者か」

 榊。


「それも、かなり悪い形の」

 真木は次の資料を開く。

「現地の政策文書、技術報告、停戦調停記録の中に、同一人物の手つきと思われる癖があります。結論に到達するまでの飛躍が大きすぎる。段階を飛ばしているんです。現地人が普通なら踏む失敗が、最初から抜けている」


 ハザマは壁面を見る。

 数字はただ良いだけだった。

 ユウト案件のような目立つ加護も、レオン案件のような局所異常も、エリシア案件のような役割の歪みも、表面には見えない。

 あるのは改善だけだ。


「現地の被害認識は」

 ハザマが言った。


「ありません」

 真木。

「むしろ救世扱いです。表に立たないから神格化もされない。ただ、誰かがいつも少し先の正解を置いていく。その結果、社会全体が良くなっている」


「最悪だな」

 葛西が言う。

「感謝される汚染は、除去の合意が取れない」


 真木は否定しなかった。


 壁面の右側に、別窓が開く。

 地球側相関資料。

 古いSF同人誌。閲覧数の少ない技術ブログ。十年以上前に閉鎖された個人サイトのキャッシュ。現実には成立していない制度設計を、妙に具体的に書いたテキスト群。


「一致率は低く見えて、悪質です」

 真木が言う。

「一つ一つは断片。でも束ねると、向こうの文明改変と異様に噛み合う。技術だけじゃない。社会設計の順番まで近い」


「また受け皿か」

 榊が言った。


「可能性は高いです。エリシア案件が“物語役職”への侵入なら、今回は“文明解法”への侵入に近い。読者が自分を主人公だと思い込むんじゃない。世界そのものを、未完成の設計図として読むタイプです」


 ハザマは、そこで少しだけ目を伏せた。


 エリシアは人を役割として読んでいた。

 では今回は、社会を問題集として読むのか。

 どちらも善意から始められる。

 どちらも、人を救える。

 だから厄介だった。


「切るならどこだ」

 葛西が言う。

「人格か。経路か。提言網か」


「わかりません」

 真木は珍しく即答を避けた。

「相手はすでに文明の骨組みに入り込んでいます。助言者一人を消せば終わる段階ではない可能性が高い。下手に切れば、止まるべきでないものまで止まる」


「つまり、救われた命を巻き込むかもしれない」

 榊が言う。


「はい」


 会議室が静かになる。


 管理局で沈黙は珍しくない。

 だが今の沈黙は、処理手順の空白ではなく、評価関数の揺れだった。


 何人救ったか。

 その問いは、ここでは決定打にならない。

 どれだけ未来予測を壊したか。

 どれだけ系列の自律性を損なったか。

 それが管理局の基準だ。


 だが基準が理解できることと、納得できることは違う。


「ハザマ」

 榊が言った。

「お前はどう見る」


 視線が集まる。

 葛西は試すように。真木は測るように。榊はただ結果を待つ顔で。


 ハザマは壁面の数字を見る。

 どれも正しい改善だった。

 少なくとも、現地で生きる人間にとっては。


「まだ見ていません」

 ハザマは言った。

「数字しか出ていない。数字が良いことと、手つきが正しいことは一致しません。逆もそうです」


 葛西がわずかに眉を動かす。


「逃げたな」


「確定していない段階で確定したふりをするほうが危険です」


「最近、慎重だな」


「最近、切ったあとに残るものを見ています」


 口にしてから、会議室の空気が少しだけ変わったのがわかった。


 榊は何も言わない。

 真木だけが、ほんのわずかに視線を上げる。

 葛西は数秒黙ってから、机上の端末を閉じた。


「現場観測を優先する」

 榊が決めた。

「即時処理は行わない。加速源の同定、介入経路の確認、現地への定着深度を測る。そのうえで切断方式を決める」


「反対です」

 葛西がすぐに言った。

「悠長すぎる。定着が深いならなおさら、先に源を断つべきだ」


「断った結果、文明基盤が崩れる可能性がある」

 真木。

「今回は個人案件じゃない。系全体の呼吸に入ってるかもしれないんです」


「だからこそだ。汚染を繁殖させるな」


 葛西の声は強くない。

 強くないまま、譲らない。


 榊はその反対を受け流さず、一度資料を見直した。

 それからハザマに視線を戻す。


「行けるか」


「行きます」


「葛西」

 榊が視線だけを向ける。


「反対です。反対記録は残します」

 葛西は即答した。


「わかった。残せ」

 榊は短く言った。


 それで決まった。


 決定はたいてい、情熱より短い。

 だが短い決定が、長い違和感を生むことがある。


 会議終了の表示が出る。

 真木が端末から小型記録片を外し、ハザマの席へ滑らせた。


「現地補助資料です。地球側相関も最低限だけ入れてあります」

 真木は言う。

「向こうで“読まれている感じ”がしたら、たぶん当たりです」


「雑だな」


「今回はそれくらいの感覚のほうが、むしろ正確かもしれません」


 葛西が立ち上がる。


「ハザマ」

 出口へ向かう前に、彼は言った。

「一つだけ言っておく。善意は免罪符にならない。救済も同じだ。管理局が見ているのは結果の美しさじゃない。系列の自律性だ」


「はい」


「だが」

 葛西はそこで一拍置いた。

「だからといって、お前が自分の迷いを正義に変換していいわけでもない」


 言い終えると、そのまま出ていった。


 残ったのは、コーヒーの匂いと壁面の薄い光だった。


 真木がようやくカップを持ち上げ、一口飲む。

 すぐに顔をしかめる。


「冷めました」


「いつものことだ」


「本部って、コーヒーまで処理済みの味がしますよね」


 榊が資料を閉じながら言う。

「雑談は終わりにしろ。転移準備は四十分後だ」


「はい」


 ハザマは記録片を手に取る。

 軽い。

 この中に、救われた都市の夜景も、読まれた創作の残骸も、切れば止まるかもしれない未来も入っている。


 転移区画へ向かう通路は、朝の本部らしく静かだった。

 職員がすれ違う。誰も急がない。急がなくても、決定だけは進む場所だ。


 隔壁の前で、一度だけ端末を開く。

 件名が表示される。


 第九一三系列文明水準異常加速案件/現地観測任務


 その下に、補助注記が一行だけ付いていた。


 現地では、まだ誰もこれを災厄と呼んでいない。


 ハザマは数秒それを見た。

 それから画面を閉じる。


 転移ゲートの起動音が、低く空間を震わせる。

 白い光が立ち上がり、向こう側の像がまだ定まらないまま揺れていた。


 救われた世界へ行く。

 たぶん多くの人間が、感謝している場所へ。


 その善意が、本当に世界のものかどうかを確かめるために。


 ハザマは足を止めなかった。

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