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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第6章 溢れ出る夜

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第29話

午後の慈善会準備室は、善意と見栄がよく似た匂いをしていた。


 寄進先の候補表、席次案、来賓一覧、孤児院ごとの不足物資、教会側の要望書。

 机に並んだ紙の束は、どれも人を助けるためのものに見える。

 だが、どの孤児院へ多く回すか、どの令嬢をどの卓へ置くか、誰に挨拶役をさせるか。その決め方ひとつで、次の半年の空気が変わる。


 ハザマは礼拝堂文書室付きとして、その準備室の隅にいた。

 表向きは寄進記録の整合確認。

 実際には、もちろんそれだけではない。


 真木から開いたままの補助表示には、細い枝が増えていた。


《慈善会配置で王家近傍の線が三本動く》

《エリシアが入ると局所幸福は上がる》

《でも教会寄りの好感が一つ痩せる》

《相変わらず嫌ね》


 嫌、で片づけるには数字がきれいすぎた。

 エリシアの善意は、目の前の人間を実際に救っている。

 だから余計に、全体の歪みが見づらい。


 準備室の扉が開き、エリシアが入ってきた。


 淡い青のドレス。今日も整いすぎた所作。

 彼女は机に広がった席次案を見ると、ほとんど一息で全体の構図を読み切ったように目を走らせた。


「北卓の配置、少し変えたほうがよろしいかもしれません」


 学院付きの女教師が顔を上げる。


「どうしてですの?」

「サンディエ侯爵夫人を中央へ寄せると、隣席のクレイス夫人が沈みます」

「沈む?」

「……発言の機会を失いやすい、という意味ですわ」


 エリシアは言い直した。

 だが、最初の一語のほうが本音に近かった気がした。


「クレイス家は今、表立って困窮してはいません」

 彼女は続ける。

「でも、こういう場で一度軽く扱われると、冬の募りで引き気味になります。そうなると、次は修道院付属舎の繕いが遅れるでしょう」

「そこまで考えてますの?」

 女教師が驚く。


 エリシアは少しだけ困ったように笑った。


「たまたま、そういう流れが見えるだけです」


 たまたま。

 流れ。

 予感。

 彼女はいつも、そういう曖昧語で自分の知りすぎを包む。


 ハザマは記録板の余白に短く書いた。


 ――対象、配置変更で軽度の家格圧迫を回避。

 ――局所救済の理由づけが結果予測に近すぎる。


 準備室の空気が少し動く。

 提案は採用された。

 誰も損をしない。

 少なくとも、その場では。


 そのとき、また扉が開いた。


「し、失礼します!」


 リュシエンヌだった。

 両手に抱えた布見本が多すぎて、入った瞬間に一枚取り落とす。さらに拾おうとして別の端を踏み、危うく二枚目も落とす。


「待って」

 エリシアがすぐに動いた。


 布を受け、重なりを直し、机の角へまとめる。

 リュシエンヌは耳まで赤くして笑う。


「ありがとうございます……。今日はちゃんと持てると思ったんですけど」

「その言い方をする日は、だいたい持てないのよ」

「うっ」


「否定できません……」


 教師たちが少し笑う。

 笑いは柔らかい。

 リュシエンヌが場を悪くしないのは、その失敗が人を緊張させる方向へ行かないからだ。主人公らしいというより、そういう人間なのだろう。


「布見本はこちらへ」

 ハザマが棚を示すと、

「ありがとうございます」

 とリュシエンヌは素直に頭を下げた。


 そのあとで彼女は席次案を覗き込み、目を輝かせる。


「わあ、北卓きれいです。前より丸い感じがします」

「丸い?」

 教師が聞く。

「はい。誰かが一人だけ頑張らなくてよさそうです」


 準備室が一瞬静かになった。


 その感想は曖昧だ。

 曖昧だが、妙に本質を突いている。

 配置変更後の席次は、まさに“誰か一人だけが気まずさを引き受けなくていい”ように変わっていた。


 エリシアがリュシエンヌを見る。

 ほんの短い一瞬、驚きと安堵が同時に浮かんだ。


「そうね」

 彼女は静かに言う。

「そのほうが、長く持つわ」

「長く?」

「……場の空気が、という意味よ」


 また言い直した。

 最初の言い方のほうが、やはり本音に近い。


 ハザマはそこで初めて、準備室の輪に半歩だけ入った。


「ヴァレスト嬢」

「はい?」

「あなたは、人を見るときに“誰が何を引き受けるか”から考えるのですね」


 部屋の空気が、ごくわずかに変わる。

 礼儀に反しない問いだ。

 だが、ただの文書室付きがするには少し踏み込みすぎている。


 エリシアはすぐには答えなかった。

 その沈黙の間に、リュシエンヌが「あ、えっと」と何か言いかけてやめる。


「……そういう見方も、あるかもしれません」

 エリシアが答える。

「この方はここで困る、この方はここで庇う、そういう流れがあるなら、先にほどいたほうが皆が楽ですもの」


 皆が楽。

 言葉としては正しい。

 だがその手前に、やはり人より位置を先に読んでいる気配がある。


「流れ、ですか」

 ハザマが繰り返す。

「ええ」

 エリシアは笑った。

「人は、思っているより決まったところで傷つきますから」


 リュシエンヌがそこで首を傾げた。


「でも、決まってないこともありますよ」

「……え?」

「わたし、よく予定外のことしますし」

「それはそうね」

 エリシアが少しだけ肩の力を抜く。

「あなたは、たぶんそういう側」


 そういう側。


 また、役の言葉だ。

 リュシエンヌは意味がわからないまま笑っている。

 その笑顔を見ながら、エリシアは一瞬だけひどく遠い顔をした。


 ハザマはその横顔を見る。

 彼女は善意で動いている。

 だが善意の出発点は、いつも人そのものではなく、その人が場で担う位置に近い。


 それに本人がまだ気づいていない。


 教師が席次案をまとめ、準備室はようやく散会の気配を見せる。

 リュシエンヌは布見本を今度こそ落とさないよう胸に抱え直し、扉のところで振り返った。


「エリシア様、今日も助かりました」

「今日は、ね」

「明日も助けてください」

「あなたはそうやって人を使うのね」

「えっ、ち、違います、頼ってるだけです!」

「同じようなものよ」

「ひどい」

「少し冗談」


 リュシエンヌは笑い、じゃあまた明日、と手を振って出ていく。

 その明るさが去ったあと、準備室は急に紙の匂いだけが濃くなった。


 エリシアも帰ろうとして、扉の前で一度だけ立ち止まる。


「文書室の方」

「何ですか」

「さきほどの質問、少し意地が悪いですわ」

「そうですか」

「ええ。でも、間違ってはいないのが困ります」


 それだけ言って、彼女は去った。


 扉が閉じる。

 ハザマはしばらく動かなかった。


 端末が短く震える。

 真木からだ。


《どう》

《本人、気づいてないまま役割読みしてる?》


 ハザマは少し遅れて返した。


《かなり》

《善意は本物》

《だが人ではなく“その場で何を引き受けるか”から見ている》


 真木の返信はすぐ来た。


《やっぱり痛いね》

《あと、さっきの配置変更》

《局所幸福また上がった》

《でも王家近傍の婚姻線、一段ずれた》


 ハザマは画面を閉じる。


 紙の上では、人が救われるたびに別の枝が痩せていく。

 目の前では、誰も傷つかないほうへ空気が寄っている。

 どちらも本当だった。


 文書台の余白へ、彼はいつもより少しだけ長く記した。


 ――対象、善意により局所的損失を未然消去。

 ――結果として関係線は安定化。

 ――ただし本人は他者を“個”より先に“役割”として読んでいる節あり。

 ――無自覚であるぶん、後の自壊要因となる可能性が高い。


 書き終えてから、その最後の一行だけを見返す。


 自壊。


 たぶんそうなる。

 このまま進めば、どこかで彼女は、自分の善意の出発点が“人”ではなく“役”だったと知る。

 その時の孤独は、かなり深い。


 そして、その前に管理局が切るのか、それとも知ったあとで切るのか。

 そこが次の問題になるだろう。

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