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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第5章 乙女ゲームの世界

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第26話

幸福寄与が高い案件ほど、画面の色がきれいで嫌になる。


 管理局の簡易観測端末には、今日もエリシア・ヴァレストの周辺だけ、柔らかい安定色が並んでいた。

 侍女離反率、低下。

 婚約破綻リスク、低下。

 学園内敵対熱、低下。

 主人公側情動安定、上昇。


 そこだけ見れば、処理どころか推奨すべき改善策みたいだった。


 だが、その下で別の線が静かに歪んでいる。


 婚姻外交分岐、変動。

 王権近傍派閥、微動。

 教会支持流向、遅延変位。


 いずれも小さい。小さいが、管理局がいちばん嫌う種類の小ささだった。すぐには破綻せず、あとで効く。


 ハザマは学院西棟の回廊から、礼拝堂へ続く中庭を見下ろしていた。


 エリシアは今日も、先回りしていた。


 礼拝前、下級貴族の娘が聖歌集を落としかける。

 本来なら、それを笑う者が一人いて、そこから小さな嘲りが生まれる。その場にいたリュシエンヌが庇い、聖職者見習いの攻略対象が彼女へ好感を抱く。ルートとしては美しい。人間関係としては少しだけ歪だ。


 エリシアはその前に動いた。


「紐が解けていますわ」


 ただそう言って、聖歌集を受け取って結び直す。

 娘は赤くなって礼を言う。

 誰も笑わない。

 リュシエンヌも庇う必要がないまま、明るく「良かった」と笑う。

 礼拝堂前の空気は、そのまま穏やかに流れていく。


 局所的には、完璧だった。


 完璧だからこそ、その場を起点に伸びる別の線が見える。

 本来そこでリュシエンヌへ寄るはずだった聖職者見習いは、今日は彼女と長く話さない。代わりに、エリシアへ一度だけ視線を向ける。その一度が、あとで教会系支持に薄く効く。そこからさらに、婚姻と継承の帯へ影が伸びる。


 ハザマは端末へ記録する。


 ――対象、局所摩擦を事前消去。

 ――結果として主人公側の自然接続を部分的に逸らす。

 ――幸福は増加。分岐ノイズも増加。


 後ろで、補助接続中の真木の声が小さく鳴った。


「嫌な増え方」

「見えてる」

「そっちの礼拝堂前、王家近傍の枝が一本ずれた」

「一本で済むか」

「済まないわね、たぶん」


 彼女はそれ以上言葉を足さない。

 いま必要なのは解説ではなく、観測だった。


 礼拝が終わったあと、中庭に出てきたリュシエンヌは、やはり主人公らしい顔で笑っていた。

 優しくて、明るくて、少しドジで、誰かの不安へ無防備に手を伸ばしてしまう顔だ。


 彼女はエリシアを見つけると、花壇の縁を少し駆け足で寄ってきた。

 その途中で、きちんと小石を踏んでよろける。

 エリシアは反射で手を伸ばす。

 リュシエンヌの手首を支える。

 転ばない。

 笑う。

 また一つ、何も悪くならずに済む。


「助かりました、エリシア様」

「今日はよくつまずくのね」

「たぶん考えごとです」

「考えごと?」

「ええ。わたし、最近少し変で」


 リュシエンヌはそう言ってから、困ったように笑った。


「起きていないはずのことを、起きそうな気がすることがあるんです」

 エリシアの指先がわずかに強張る。

「たとえば、聖歌集が落ちるとか。階段で誰かが困るとか。気のせいだってわかってるんですけど」

「……そう」

「でも、今日は何も起こらなくてよかった」


 その“よかった”は本物だった。

 誰かが困らずに済んだことを、素直に喜んでいる。

 リュシエンヌはそういう娘だ。


 エリシアはしばらく答えなかった。

 彼女の沈黙を、リュシエンヌは自分の言い方が変だったせいだと思ったらしく、すぐ慌てて笑い直す。


「ごめんなさい、変なこと言いました」

「いいえ」

 エリシアは静かに言った。

「変ではないわ」

「え?」

「……そういうことも、あるのかもしれない」


 その返答は、ゲーム知識だけで生きている人間のものではなかった。

 もっと近い。

 もっと、自分も同じ異常の縁に手をかけている者の言い方だった。


 ハザマはそこで、確信に近いものを得る。


 エリシアは未来を知っているのではない。

 少なくとも、ただゲームの分岐表を頭に入れて動いているのではない。

 この世界から漏れた断片を、乙女ゲームの“原作知識”として受け取っている。

 だから台詞だけでなく、痛み方や息の詰まり方まで知ってしまう。


 そしてその知識を、彼女は善意で使っている。


 真木の声がまた来る。


「どう?」

「ほぼ同じ結論だ」

「ゲーム知識じゃなくて、人生断片の受信寄り?」

「その可能性が高い」

「最悪ね」

「同意する」


 礼拝堂の鐘がもう一度鳴る。

 生徒たちは散り、エリシアとリュシエンヌも別れる。

 去り際、リュシエンヌは明るく手を振り、エリシアは少し遅れて、それでもちゃんと振り返す。


 美しい場面だった。

 何も壊れていない。

 誰も傷ついていない。

 だからこそ、管理局の論理に乗せた瞬間にひどく見える。


 ハザマは端末へ最後の記録を打った。


 ――対象の善意は本物。

 ――局所幸福への寄与も本物。

 ――それでも全体分岐からは外れない。

 ――本案件は、悪意ある改変ではなく、善意ある改変の処理になる可能性が高い。


 送信前、指が一度止まる。


 ユウトは、守ろうとしていた。

 レオンは、止めることを自分で選んだ。

 そしてエリシアは、救ってしまっている。


 案件の性質が少しずつ変わるたび、正しさの手触りも変わる。

 それでも処理の側に立つなら、どこかで善意も切るしかない。


 ハザマは送信した。


 そして、誰にも聞こえないくらいの声で、ただ事実として言う。


「これは、善意を切る話になる」

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