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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第5章 乙女ゲームの世界

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25/29

第25話

その世界が乙女ゲームに似ている、ではもうなかった。


 エリシアにとっては、乙女ゲームそのものだった。

 前世で何度もやり直した『銀花のラストノート』。

 攻略対象は王子、近衛騎士、聖職者、隣国の公子。

 主人公は平民出身の少女リュシエンヌ。

 そしてエリシア・ヴァレストは、どのルートでも途中で嫌われ、最後には転落する悪役令嬢だった。


 最初に名前が揃ったとき。

 次に学院の中庭が、記憶していた背景画面そのままみたいに陽に光ったとき。

 最後に、リュシエンヌが笑いながら階段を踏み外しかけたとき。

 そこでエリシアは、これはもう偶然では済まないと確信した。


 ただし最近、その確信は少しだけ形を変え始めている。


 ゲームを知っている、だけなら説明しにくいことが増えてきたからだ。


「エリシア様、今日は中庭で茶会ですのよね?」


 侍女のマリベルが、薄桃のリボンを指先で整えながら言う。


「ええ」

 エリシアは頷いた。

「風が強くならなければいいのだけれど」


 原作では、この茶会で小さな事故が起きる。

 リュシエンヌが少し躓き、茶器を倒し、周囲の令嬢がざわつく。そこへエリシアが冷たく言葉を落とし、空気が完全に割れる。攻略対象の一人がリュシエンヌをかばい、好感度が上がる。悪役令嬢ルートの、目立たないが確かな分岐点。


 だから今日は、その場を穏やかに終わらせる。

 そう決めていた。


 王立学院の中庭は今日も明るすぎるほど明るかった。

 白い石床。整いすぎた生垣。風に揺れる花。

 そこへ集まるのは、若い貴族たちの礼儀と虚栄と、ほんの少しの本音だ。


 リュシエンヌは、やはり少し遅れてやって来た。


「ご、ごめんなさい! 道で小さい子が転びそうになっていて……!」


 明るくて、素直で、少し息が上がっている。

 そして言い訳に聞こえそうなことすら、本当にそのまま口に出してしまう。

 原作主人公らしいといえば、それまでだ。だが実際に目の前で見ると、いかにも作られた“主人公性”ではなく、人の良さがそのまま不器用に出ているだけにも見えた。


 髪を押さえながら笑う。

 すぐ謝る。

 緊張すると少し手元が雑になる。

 それでも相手を見て話そうとする。


 優しくて、明るくて、少しドジで。

 これを嫌うのは、たぶん難しい。


「急がなくてよろしいのよ」

 エリシアが先に言った。

「まだ始まったばかりだもの」


 リュシエンヌはほっとしたように笑った。


「ありがとうございます、エリシア様」

「礼を言われるほどでもないわ」


 この時点で、すでに原作とは違う。

 本来なら、ここでもっと空気は硬かった。

 リュシエンヌの遅刻は無礼に数えられ、エリシアの一言は冷たく、周囲の令嬢たちはそれを面白がる。

 でも今日は違う。

 違ってしまった。


 茶会は穏やかに始まった。

 けれど穏やかさは、壊れる前提で置かれているときほど脆い。


 案の定、リュシエンヌの手がカップの持ち手を取り損ねた。

 磁器が揺れる。茶がこぼれかける。


 そこでエリシアは椅子を引いた。

 誰より先に。


「危ない」


 カップを受け、テーブルクロスの端を押さえ、茶器が倒れる向きを逸らす。

 リュシエンヌは真っ赤になった。


「す、すみません……!」

「大丈夫。火傷は?」

「平気です」

「ならよかった」


 それだけだった。

 本当に、それだけ。


 けれど原作では、この“それだけ”が起きなかった。

 起きなかったから人間関係は少しずつ悪くなっていった。

 なら、起きた今は少しずつ良くなっていくのだろうか。


「エリシア様って、お優しいのですね」


 別の令嬢が、半ば意外そうに言った。

 その言葉に悪意はない。

 ないからこそ少し痛い。


 エリシアは曖昧に笑う。

 優しいのではない。

 破滅したくないだけだ。

 そう返したくなったが、返せるわけもない。


 だが、リュシエンヌはそんな裏側を知らずに、まっすぐ言った。


「前からそう思っていました」

「……そう」

「はい。最初は少し怖かったけど」


 中庭の空気がやわらぐ。

 攻略対象の一人である近衛騎士見習いが、今日は誰もかばう必要がないまま笑っている。

 令嬢たちも、リュシエンヌを面白い子だと受け止め始めている。

 局所的には、本当に良い方向だった。


 向こう側の回廊、その日陰からハザマは一連の流れを見ていた。


 端末は薄い手帳に偽装されている。

 画面には数値が並ぶ。


 侍女離反率、低下。

 婚約破綻リスク、低下。

 令嬢派閥の敵対熱、低下。

 主人公側情動安定、上昇。


 その代わりに、別の線がじわじわ上がる。


 婚姻外交分岐、微動。

 王権支持流向、軽度変動。

 教会系支持先、遅延変位。


 幸福は増えている。

 増えているのに、分岐のノイズも増えている。


 真木から短く通知が来る。


《局所幸福寄与、昨日比でさらに上》

《でも王家周辺の枝が嫌な増え方してる》

《いま切ると読者が怒るタイプ》


 最後の一文だけ、真木の私情だった。

 だが、間違っていないとも思った。


 ハザマは返信しない。

 代わりにエリシアへ視線を戻す。


 彼女は次の場面で、さらに一歩踏み込んだ。


 中庭の隅、聖堂付きの回廊へ繋がる小径で、リュシエンヌが立ち止まる。

 原作なら、ここで彼女は聖職者ルートの攻略対象と偶然出会い、落とした栞を拾われ、静かな好感度イベントが発生する。


 だからエリシアは、先にその栞を見つけて拾った。


「これ、あなたのでしょう」

「えっ、あ、はい……! どこで……」

「落としそうになっていたから」


 リュシエンヌは受け取って、照れたように笑う。


「ありがとうございます。これ、大事なんです」

「聖典の栞?」

「そうです。ほら、この端、ちょっと曲がってて」


 彼女がそう言った瞬間、エリシアの口が勝手に動いた。


「祭礼の階段で踏まれたのよね」


 空気が止まる。


 リュシエンヌが目を瞬かせた。

 笑みはまだ消えていない。

 だがその奥に、純粋な驚きが走る。


「……え?」

「……」


 エリシア自身も、言ってから固まった。


 知っている。

 知っているが、原作でそこまで説明されていた記憶はない。

 ただ、なぜかそうだとわかった。階段の冷たさも、踏まれたときの乾いた音も、一瞬だけ自分の中にあった。


「どうして、それを」

 リュシエンヌが言う。


 エリシアは返事に詰まる。


「……たまたま、そう見えたの」

「見えた?」

「ごめんなさい。変な言い方だったわ」


 リュシエンヌは首を傾げる。

 彼女は深く疑う性格ではない。優しくて明るくて、少しドジで、そのぶん人を怖がりきれない。

 だから今も、ただ不思議そうにしているだけだ。

 そのことが、逆にエリシアには苦しかった。


 ハザマは回廊の影で、初めてはっきりと違和感を掴んだ。


 読んだ物語をなぞっているだけなら、あんな反応にはならない。

 そこにあったはずの細部――階段、足音、紙の傷み方――を、まるで本人の体感に近いところから拾っている。


 真木の言葉がまたよぎる。


 ――“物語を知ってる”というより、“そこにいたことがあるものを、物語として受け取ってる”みたい。


 ハザマは端末へ打つ。


 ――対象、知識介入が場面情報を越えている。

 ――読書記憶ではなく体感記憶に近い反応あり。

 ――原作知識の出所に再検討が必要。


 そして、もう一行だけ足す。


 ――善意は本物。だから処理時の反発も強い。


 中庭では、何事もなかったように午後の授業の鐘が鳴る。

 令嬢たちは散り、リュシエンヌも軽く会釈して去っていく。

 エリシアだけが、その場に少しだけ立ち尽くした。


 風が花の香りを運ぶ。

 明るい。

 きれいだ。

 だからこそ、知りすぎていることの嫌さが際立つ。


 エリシアは小さく息を吐き、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……どうして、そんなことまで知ってるの」


 その問いは、リュシエンヌへではなく、自分へ向いていた。


 ハザマはその顔を見て、確信までは行かないまでも、一つだけ理解する。


 これはもう、単なる乙女ゲーム知識ではない。

 そしてそれが善意に結びついているからこそ、たぶん前よりずっと厄介だ。

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