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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第5章 乙女ゲームの世界

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第23話

異世界管理局本部の朝は、たいていコーヒーの味が悪い。


 酸味も香りも薄く、熱だけがやけに正確だ。

 それでもハザマは、現場帰還の翌朝には必ず一杯飲む。苦味の質が一定だからだ。一定であることは、それだけで現実感の代用品になる。


 処理室の隣の小さな給湯区画で、紙コップから立つ湯気を見ながら、ハザマは端末の表示を追っていた。


【案件番号】IWMA-CL/02-03

【対象】レオン・グラーツ(現地名)

【状態】暫定固定

【正式処理】保留

【備考】保全干渉あり/発信源不明

【備考】外部人格由来の可能性高

【備考】朝帯共有化 一時停止

【備考】保全残響 微量継続


 そこまで読んで、ハザマは一口飲む。


 うん、まずい。

 だが、まずさに集中できるうちはまだいい。


「その顔だと、今日も美味しくないみたいね」


 真木が背後から言った。


 灰色の業務服。眠そうな目。端末を抱えたまま歩く癖。

 彼女はハザマの紙コップを見ると、いらないという顔で首を振る。


「レオン案件、暫定固定の波形は安定してる」

「共有化は」

「表面上は止まった。少なくとも街路帯の既視感は引いた」

「表面上」

「そこを拾うのがあなたの悪い癖よ」


 真木は補助画面を展開した。


「でも、今回はその悪い癖が当たってる。残響が微量で続いてる。完全停止じゃない」

「本人は」

「レオン・グラーツとしては維持。外部断片は沈静化傾向。けど、“元の名前”が出るほどではない」

「三文字は」

「まだ三文字のまま」


 ハザマはうなずくだけに留める。


 レオンの元の人格。

 保全対象。

 主系列。

 残しただけだ、と言った声。

 その意味、その過程、何一つ終わっていない。終わっていないのに、案件欄ではもう「暫定固定」「保留」の二語に畳まれている。


「榊は?」

「いつも通り。成果と損失を一枚で見てる」

「葛西は」

「いつもより機嫌が悪い」


 それは予想どおりだった。


 監督室へ入ると、榊と葛西はすでに揃っていた。

 榊は紙の薄い報告板を見ている。葛西は眼鏡の位置を微調整したあと、ハザマが座るまで何も言わない。


「レオン案件」

 榊が先に口を開いた。

「暫定固定の実行、その後の共有、報告まで確認した」

「はい」

「結果だけ見れば悪くない。都市帯ノイズは下がった」

「手順だけ見れば悪い」

 葛西が言う。


 ハザマは否定しない。


「遅延共有、現場判断の拡張、対象との接触深度、どれも規定上は好ましくない」

「はい」

「だが現場がそこで止まらなかったから、今の数字がある」

 榊が平坦に言う。

「だから処罰はしない。評価も保留だ」

「便利ですね」

 ハザマが言う。

「制度とはそういうものだ」

 榊が返す。


 葛西は端末を閉じた。


「対象レオン・グラーツはどう扱う」

「本部移送。限定観測区画で保留」

 榊が答える。

「正式処理は?」

「しない。まだ」

「なぜ」

「保全側の語彙が管理局深部の古い層管理語に近いからだ」

 榊の声は変わらない。

「内外どちらにせよ、ここで雑に消すと失うものが大きい」


 葛西は不満そうではあったが、反論はしなかった。

 数値上の損失と、未解決の損失が並んだとき、管理局は意外と後者も計算に入れる。


「対象本人の状態は」

 葛西が問う。


 真木が補う。


「自己同一性は不安定。でも会話可能。外部断片は断続的。現地人格との結合は維持されてる」

「要するに」

「生きてるけど、終わってない」

 真木が言う。


 その言い方がいちばん正確だった。


 榊はそこで話を切った。


「レオン案件は一度棚に置く」

「棚に置く」

 ハザマが繰り返す。

「そうだ。未解決のまま、な」


 その物言いに、ハザマは少しだけ目を細めた。

 棚に置く。

 消すでも、残すでも、保つでもなく。

 管理局にはそういう中途半端な言葉もある。


「そして次だ」

 榊が言う。


 空気が変わる。

 葛西も真木も、視線の角度だけで仕事を切り替える。

 レオンは棚に置かれ、案件番号としては奥へ押しやられる。そうやって組織は回る。


 壁面スクリーンが切り替わった。


 最初に出てきたのは、花だった。


 白い石造りの校舎。

 陽光。

 手入れされた庭園。

 噴水。

 制服姿の若い男女。

 ここ最近で見てきた煤、濁水、血、石蔵とは、あまりにも温度が違う。


 ハザマは何も言わずに画面を見る。


「案件番号IWMA-CL/05-01」

 榊が読み上げる。

「対象仮称、エリシア・ヴァレスト。侯爵令嬢。十七歳」


 真木が補助画面をひらく。

 家系図、婚約関係、王権近傍の派閥図、宗教勢力、国外との婚姻外交、学園内序列。

 華やかな画面の裏に、いつもの管理局の線が重なる。


「典型的な貴族学園ものに見える」

 ハザマが言う。

「見えるだけではない」

 榊が返す。

「実際、局所文化としてはそうだ」

「“見えるだけではない”って便利な言い方ね」

 真木が小さく言う。


 榊は無視して続ける。


「対象は地球側由来の人格侵入体である可能性が高い。だが、勇者型のような顕著な権能演出はない」

「知識型か」

「その可能性が高い。対象は、この世界を“自分の知る原作”だと認識している」

「原作?」

「地球側で流通した創作物に酷似する構造を、本人が自己申告している」


 ハザマの眉が、ごくわずかに動く。


 レオンの黒い道。白い線。

 ユウトの残留。

 そして今度は、地球側の創作物。


「その世界で何をしている」

「破滅回避だ」

 榊が言う。

「本来なら高慢さゆえに破滅するはずの立場を捨て、誠実にふるまい、敵対予定者にも先回りして善意を示している」

「結果は」

 葛西が問う。


 真木が表示を切り替えた。


 婚約破綻リスクの低下。

 対立派閥の緩和。

 侍女の離反率低下。

 周辺人物の情動安定。

 読めば読むほど、局所的には“良いこと”が起きている。


「……面倒だな」

 ハザマが言う。

「まだ早い」

 榊は淡々と返す。

「面倒なのはそこじゃない」


 スクリーンに、別のグラフが重なる。

 婚姻外交のズレ。

 宗教勢力の支持流向変化。

 後継順位への細い影響。

 局所幸福の増加と引き換えに、王権近傍の分岐がじわじわ動いている。


「善意が局所的には人を救っている」

 真木が言う。

「でも、そのせいで中長期分岐が変わる」

「本人に悪意は?」

 葛西が言う。

「現時点では低い」

「汚染としては?」

「十分」


 部屋が少し静かになる。


 ユウトは勇者だった。

 レオンは死なない男だった。

 どちらも、まだ処理対象としての見た目があった。


 だが今度は違う。


「対象本人は、自分が誰かを救っているつもりか」

 ハザマが問う。

「その可能性が高い」

 榊が答える。

「そして実際、局所的には救っている」


 その一言が、嫌に重かった。


 葛西が確認する。


「では処理の正当性は、今回さらに説明困難になる」

「現場ではそうなる」

 榊が言う。

「だからおまえが行く、ハザマ」

「はい」

「ただし今回は、最初から熱源が違う。力でも死でもない」

「知識と善意」

 ハザマが言う。

「そうだ」


 真木が補助画面の端を拡大した。


「あと一つ」

「何だ」

 ハザマが見る。


 そこには、地球側で刊行されたとされる創作物の粗い情報と、エリシア側の行動履歴が重ねられていた。

 完全一致ではない。

 だが、偶然とも切りづらい。


「本人が知ってる“原作”」

 真木が言う。

「これ、少し変」

「何が」

「一致しすぎるところと、ズレすぎるところがある」

「創作としては普通では」

 葛西が言う。

「そこが違う」

 真木は目を細めた。

「読んで知ってるにしては、刺さり方が生々しい。まるで“物語を知ってる”というより、“そこにいたことがあるものを、物語として受け取ってる”みたい」


 ハザマは何も言わなかった。


 地球側の創作。

 別世界から漏れた断片。

 まだ線にならない。

 だが、嫌な方向には近づいている。


 榊が最後に言う。


「橋渡しは以上だ。レオン案件は棚上げ。次はエリシア案件に入る」

「了解」

「今回は、最初から処理の顔で入るな」

「……はい」

「対象を先に見ろ。世界を先に見ろ。そのあとで汚染かどうかを決めろ」

「命令ですか」

「助言だ」

「珍しいですね」

「たまにはする」


 会議が切れる。


 真木は退室前にハザマへだけ小さく言った。


「今回のほうが嫌かもね」

「何が」

「善人を切る準備するの」


 彼女はそれ以上何も言わずに去る。


 給湯区画へ戻り、ハザマは冷めかけたコーヒーを飲んだ。

 まずい。

 だが、今朝は妙に苦味だけがはっきりしていた。


 端末へ、新しい現地観測ログの接続準備が届く。


《案件接続待機:エリシア・ヴァレスト》

《観測環境:王立学院/侯爵家/婚約系分岐》

《推定汚染性:中〜高》

《局所幸福寄与:高》


 最後の一行が、妙に目に残る。


 幸福寄与。

 それが処理対象の補足欄に載ること自体が、もう嫌だった。


 ハザマは表示を閉じる。

 そして、次の世界へ入る前にほんの一瞬だけ、レオン案件の保留ファイルへ視線を戻した。


 元人格未確定。

 保全干渉あり。

 主系列関連語。

 保全残響、微量継続。


 終わっていない。

 だが、次が始まる。


 画面が切り替わる。


 陽光の差す庭園。

 白い校舎。

 風に揺れる花。

 その中心で、淡い色のドレスの少女が誰かへ微笑んでいた。


 見た瞬間、ハザマは思った。


 これはたぶん、もっと嫌な話になる。

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