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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第4章 この朝を選ぶ男

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第21話

「……落ちなかったんだな」


 石蔵の下を通った荷担ぎの男は、自分が何を言ったのかもわからない顔で、そのまま夜の通りを歩き去った。


 レオンは窓際に立ったまま動けない。

 ハザマの端末だけが、遅れて短く鳴る。


《非対象一名》

《未発生事象への言及を検知》


 まだ起きていない朝が、もう他人の口から漏れた。

 それがどんな理屈より早く、現象の段階を変えていた。


「……俺の中だけじゃない」


 レオンが言う。

 声は掠れていた。


「はい」

 ハザマが答える。

「そう判断します」


 その言い方が嫌で、レオンは顔をしかめる。

 だがいまはもう、言い方の悪さに噛みつく余裕より先に、自分の死が他人の朝へ混ざり始めている実感のほうが重い。


「今からどうする」

「朝を待ちます」

「待って、それで?」

「広がり方を見ます」

「おまえ、それ本気で言ってるのか」

「本気です」

「……最低だな」

「同意します」


 ハザマは窓から視線を外さない。

 それがなおさら腹立たしい。自分の異常が他人へ滲んでいるのに、この男はその滲み方まで見ようとしている。


 だがレオンも、完全には否定できない。

 ここで目を逸らせば、何がどこまで壊れるのか、余計にわからなくなるだけだ。


     *


 夜が明ける少し前から、街は微妙に変だった。


 最初は音だった。

 遠くの鍛冶の槌音が、ほんの一拍だけ二重に聞こえる。

 鳥の鳴き方が、一声ぶんだけ揃いすぎる。

 起き出した人々の足音が、同じ石を二度踏んだみたいに薄く重なる。


 石蔵を出て、ハザマとレオンは水路沿いを歩いた。

 夜のうちに決めた通り、危険経路は避ける。だが避けるだけで済む段階なのか、もう怪しい。


 最初のはっきりした兆候は、南門前の階段だった。


 荷担ぎの若い男が、上から木箱を抱えて降りてくる。

 本来なら、四段目で足を滑らせる角度だ。

 レオンはそれを知っている。ハザマも知っている。


 だが、その瞬間、若い男は自分から不意に止まり、何もない段差を見下ろして舌打ちした。


「……ここ、危ねえな」


 言ってから、自分で不思議そうな顔をする。

 まだ滑っていない。

 箱も重いままだ。

 なのに彼の身体だけが、先に落ちたことのある足つきをしていた。


 ハザマの端末がまた鳴る。


《非対象一名》

《局所既視感帯 増加》


 レオンは思わず男の顔を見た。

 知らない。会ったこともない。

 それでも、男がまだ経験していないはずの転落の手前で止まったのは、自分の朝のどこかが漏れたからだと、もうわかってしまう。


「……やめろよ」

 レオンが小さく言う。


 誰に向けたのか、自分でもわからない。

 現象か、自分か、それともこの街の朝か。


 次は市場裏だった。


 ミレナが桶を抱えて立ち尽くしている。

 昼の配給前でもないのに、足元の石をじっと見ている。

 レオンが名を呼ぶより早く、彼女はこぼすように言った。


「白い線がある気がする」


 レオンの背中が冷えた。


「……何だって」

「何でもない」


 ミレナはすぐに否定した。

 だが、顔色が悪い。桶を抱える腕も少し震えている。


「変なの。石なのに、白い筋が見える感じがして。すぐ消えたけど」


 その言葉を聞いた瞬間、ハザマの視線がレオンへ向く。


 黒い道。

 白い線。

 現地にない断片。


 いま漏れているのは、レオンがこの街で死んだ朝だけではない。

 レオン自身の外側にある記憶片まで、朝の共有化に混ざり始めている。


 真木へ短い送信を飛ばす。

 返信は異様に早かった。


《来たか》

《予想より早い》

《共有化帯に対象の外部断片が混入》

《最悪》


 ハザマは足を止める。

 レオンがそれを見て、顔を強張らせる。


「何だ」

「悪いです」

「何が」

「あなたの朝だけではなくなっています」


 レオンは意味がわかったのか、わからないまま嫌な想像に触れたのか、しばらく黙った。

 ミレナは二人の顔を見比べるが、彼女に見えているのは断片だけだ。全部はまだつながっていない。


「……私、何か言った?」

 ミレナが不安そうに聞く。

「別に」

 レオンが即座に返す。

「何も考えるな」

「それが一番無理なんだけど」


 その返しに、レオンは何も言えなくなる。

 そうだ。考えるなで済むなら、最初から誰もこんな顔はしない。


 ハザマは静かに言う。


「帰宅を勧めます」

「またその人」

 ミレナが言う。

「あなた、誰なの」

「説明が長くなります」

「じゃあ短く」

「いまは帰ったほうがいいです」


 ミレナは納得しない。

 しないが、桶を抱えたままその場を離れた。歩き出す直前、小さく首を振っていた。頭の中の白い線を追い払うみたいに。


 レオンはその背中を見ながら、低く言う。


「……俺が死ななかったからだな」

「可能性は高い」

「またそれか」

「断定前です」

「もう断定でいいだろ、こんなの」


 その声には、怒りより先に疲れがあった。


 ハザマは答えない。

 答えないまま、別の表示を確認する。

 榊と葛西にも速報は送った。

 数秒後、榊からだけ返ってきた。


《継続観測はここまで》

《対象を固定しろ》

《朝帯の広がりをこれ以上許すな》


 葛西からは一行だけ。


《遅い》


 それだけ。


 もっともだ、とハザマは思う。

 もっともだが、ここまで見なければ、どこから壊れ始めるのかはわからなかった。


「戻ります」

 ハザマが言う。

「どこへ」

「石蔵です」

「閉じ込めるのか」

「固定します」

「言い方」

「正確です」


 レオンは笑わなかった。

 いまはもう、言葉の悪さへ反応する余裕が少ない。


 石蔵へ戻る途中。

 こんな時間だってのに、通りの端で子どもがしゃがみ込んでいた。

 煤で汚れた石に、指で何かをなぞっている。


 黒い帯。

 その真ん中を切る二本の白い筋。


 レオンの足が止まる。


「……おい」


 子どもは顔を上げる。

 何を書いたのかわかっていない顔だ。


「何してるの」

 とレオンが聞くと、子どもは肩をすくめる。


「知らない。線が見えたから」


 その無邪気さが、いちばん悪かった。


 ハザマの端末が、今度は警告音ではなく、低い連続音を鳴らす。


《局所既視感帯》

《非対象二名目》

《外部断片の視覚転写を確認》


 ここで、もう理屈の余地はほとんどなくなる。


 レオンは子どもの描いた線を見下ろし、何も言えなかった。

 自分の中にだけ閉じ込められていたはずの、ここにない風景が、街の石へ染み始めている。


「……帰れ」


 絞り出すように言う。


 子どもは不思議そうにしながらも、走って去る。石に残った白くもない線だけが、その場に残る。


 レオンはしばらく動かなかった。

 ハザマが隣で言う。


「ここから先は、あなた一人の意思では制御できません」

「知ってる」

「なら」

「知ってるって言ってるだろ!」


 その声には、ようやく本物の怒りが混じった。

 怒りの相手はハザマではない。

 自分でも、現象でも、残したと言った誰かでも、全部でもある。


「俺は、誰も巻き込みたくてやってたわけじゃない」

「はい」

「最初は死にたくなかっただけだ」

「そうでしょう」

「途中から知りたくなった」

「はい」

「でも、こんなのは」

「はい」


 ハザマは短く返す。

 短く返しながら、その全部を否定しない。


「……止めるしかないな」

 レオンが言う。


 ハザマはその言葉を聞いて、初めて少しだけ目を細めた。


「処理判断はまだ私では」

「おまえの言い方じゃなくていい」


 レオンは石に残った線を見たまま言う。


「俺がそう思ったって話だ」


 それは、案件の進行にとっては小さなことかもしれない。

 だが、ハザマには小さくなかった。

 対象本人が、初めて“自分が止まるべき側かもしれない”と口にしたのだ。


 石蔵へ戻る途中、ハザマは端末へ短く打つ。


 ――対象本人、停止の必要を自発的に認識。

 ――周辺住人二名に既視感および外部断片視覚転写。

 ――朝帯の共有化、初期段階から次段階へ移行。


 送信先は、榊と真木。

 葛西は一拍遅らせた。


 それが良い判断かどうかは、まだわからない。

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