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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第4章 この朝を選ぶ男

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第20話

 場所を移したのは、夜半前だった。


 市場裏や水路沿いを避け、労働者街から少し離れた石蔵の二階。管理局の簡易観測点として昔に押さえた場所らしく、扉の蝶番も窓の留め具も、見かけよりしっかりしている。部屋は狭い。寝台一つ、机一つ、椅子二つ。石壁は厚く、外の音は少し遅れて入る。


 レオンは部屋へ入った瞬間に顔をしかめた。


「監獄みたいだな」

「そう見えるなら、外のほうが危険だということです」

「励まし方が下手すぎる」

「励ましていません」

「知ってるよ」


 ハザマは窓際に立ち、端末を開く。

 レオンには黒い板にしか見えないそれに、地図と時刻と、死亡経路の優先順位が静かに並んでいる。

 南門前の階段。市場裏の路地。水路沿いの板橋。染色工房の炉。倉庫街の荷揚げ機。

 全部、今夜は切った。残る危険は、レオン本人が自分から動くことと、現象が外から寄せてくることの二つだけだ。


「おまえ、寝ないのか」

 レオンが椅子へ腰を下ろしながら言う。


「必要なら」

「必要だろ、これ」

「私は交代できます」

「交代?」

「本部側の観測補助と接続しています」

「気持ち悪い言い方だな」

「今日はよく言いますね」

「今日はっていうか毎日思ってる」


 レオンは紙を取り出し、机の上へ置いた。

 炭で書いた断片。黒い帯、白い筋、光。妙な三文字。

 自分のものではないみたいな紙だ。だが、自分の手でしか書けない紙でもある。


「……これ、返さなくてよかったのか」

「返しました」

「そうじゃなくて」

「持っていてくださいと言いました」

「何のために」

「あなたが、自分の異常を外から言われるだけで済ませないためです」


 その答えに、レオンは少しだけ黙る。


 救いではない。

 配慮とも言いにくい。

 だが、全部を取り上げるつもりではないのだとだけは伝わる。


「おまえ」

 レオンがぼそりと言う。

「たまに変なところで人間っぽいな」

「気のせいです」

「それも毎回言うな」


 部屋は静かだった。

 遠くで鍛冶の音がして、さらに遠くで酔った声がする。

 夜の街はまだ死んでいない。だが、寝台の縁に座るレオンにとっては、その生きている気配が逆に重い。


 死なないと決めた。

 決めたが、だからといって眠れるわけではない。

 むしろ、今夜死ななかったとき何が起きるのかがわからないぶん、いつもより落ち着かない。


「なあ」


 しばらくして、レオンが言う。


「俺が本当に朝まで死ななかったら、どうなる」

「観測します」

「そうじゃなくて」

「わかりません」

「またそれか」

「わからないので」


 レオンは舌打ちしようとして、途中でやめた。


「……おまえが思ってることを言えよ」

「思っていることは複数あります」

「一番嫌なのからでいい」

「現象が維持できなくなり、消える可能性」

「消える?」

「あなたの戻りが止まる」

「それはまだいい」

「次」

「……」

「現象があなたから剥がれず、周辺へにじむ可能性」

「それがミレナか」

「はい」

「次」

「現象が、あなたの死亡を外から作りに来る可能性」

「最低だな」

「同意します」

「え」

「最低です」


 レオンはそこで少しだけ顔を上げた。

 この男は、こういうところで急に肯定する。しかも本当にそう思っている顔で。


「……今のは、ちょっと普通の会話だったな」

「残念でした」

「それ気に入ってるだろ」

「否定しません」


 ほんの少しだけ空気が緩む。

 その緩みが、逆に怖かった。こんな状況で人と喋っている感じがすること自体、もう正常ではない気がする。


 真夜中を回る頃、最初のズレが来た。


 窓の外、通りの向こうで、同じ男が二度あくびをした。


 それだけなら珍しくもない。

 だが、一度目と二度目の動きが、妙に一致しすぎていた。首の傾き、肩の上がり方、手の振り方。まるで同じ瞬間を薄く重ねたみたいに。


 ハザマの端末が短く鳴る。


《局所反復ノイズ検知》

《非対象領域に微小遅延》


「今の、見たか」

 レオンが言う。


「はい」

「何だ」

「街の側が少し揺れています」

「もっとわかるように言え」

「あなた一人に押し込めていた反復が、少し外へ滲み始めています」


 レオンは窓の外を見る。

 通りの男はもう普通に歩いている。あくびも、二度目だったこと自体を知らないだろう。


「……俺が死ななかったからか」

「可能性は高い」

「じゃあ死んだほうがましだったのか」

「まだそこまでは言いません」

「言えよ」

「まだ、です」


 同じ言い回しなのに、今は腹立たしさより疲れのほうが勝った。

 レオンは顔を覆う。


「全部まだだな」

「はい」

「最低だ」

「同意します」


 そのあと、今度は階下で音がした。


 ぎし、と木が鳴る。

 誰かが石蔵の扉に体重をかけている。


 ハザマは端末を閉じる。

 視線だけでレオンへ「動くな」と伝え、自分は扉と窓の中間へ立つ。

 レオンはもう、その視線の意味が少しわかるようになっていた。


「保全側か」

 レオンが小声で言う。


「断定しません」


 だが、扉の向こうから返ってきた声で、答えはほぼ出た。


「開ける必要はない」


 男とも女ともつかない、抑えた声。

 壁越しに近い。昨日の声とも少し違う。

 複数いるのか、声色を変えているのか、それともその両方か。


「今夜はまだ、こちらも壊したくない」


 ハザマは返す。


「なら帰れ」

「それでは、そちらが先に折る」

「折る前に止める」

「同じだ」


 その一言に、レオンの胃が冷える。


 止める。折る。保つ。残す。

 どちらも結局、自分を何かの単位で扱っている。

 その違いが、本人にとってはあまり救いにならない。


「レオン」


 扉の向こうが、初めて名前を呼んだ。


「今夜を越えても、朝は一つじゃ済まない」


 レオンの呼吸が止まる。


「何の話だ」

「おまえはもう、一人分の朝に収まらない」

「……」

「だから残す価値がある」

「価値で呼ぶな!」


 レオンが立ち上がる。椅子が倒れる。

 その音にかぶせるように、外の声が少し笑ったように聞こえた。


「ようやく怒ったな」


 ハザマは扉へ近づかない。

 近づけば相手の手の内へ入る。

 今は対話の継続より、生存確保が先だ。


「今夜ここで死なせるつもりはない」

 ハザマが言う。

「知っている」

 外の声が返す。

「だから試している」


 その瞬間、レオンの背後、部屋の隅で何かが落ちた。


 木箱の上に置かれていた空の瓶だ。

 揺れもなく、触れてもいないのに、唐突に転がり落ちて砕けた。


 レオンが跳ねる。

 ハザマはすぐ振り返る。

 端末には新しい警告。


《局所位相ずれ》

《対象周辺で未採用経路の混線》


 床に散った瓶の破片。

 本来なら落ちなかったかもしれない瓶。

 倒さなかった手。

 そういう小さな「なかったはず」の線が、今夜は部屋の中にまで滲んでいる。


「……どうなってんだ」

 レオンが掠れた声で言う。

「混ざってきている」

「何が」

「あなたが死んだ朝と、死ななかった朝の端が」


 レオンは砕けた瓶を見つめる。

 自分が一人分の異常でなくなっている実感が、こういうどうでもいい破片の形で来るのがたまらなく嫌だった。


 扉の向こうの声が、少しだけ低くなる。


「見ただろう」

「黙れ」

 ハザマが言う。


「止めるなら急いだほうがいい。朝が広がる前に」


 その言葉を最後に、気配は引いた。

 今度は本当に遠ざかった。追えないほどではない。だが、追うべきではない類いの引き方だった。


 部屋に残るのは、砕けた瓶と、レオンの荒い呼吸と、端末の小さな警告音だけ。


 ハザマはゆっくりしゃがみ、破片の一つを拾い上げた。

 切っ先のように鋭い。

 もしレオンがさっき一歩違う位置に立っていたら、頸動脈へ届いたかもしれない。


「……今のも、俺の死の経路か」

 レオンが言う。


「その可能性があります」

「この部屋に閉じ込めても?」

「ええ」

「じゃあもう、どこにも安全な場所なんかないじゃないか」

「あります」

 ハザマが言う。

「どこだよ」

「現象を止めたあとです」


 レオンは一瞬、何も言えなかった。


 きれいごとではない。

 慰めでもない。

 ただ、順番としてそうだと言っているだけだ。


 それが、この男のいちばん腹立たしいところで、いちばん信じてしまいそうなところでもあった。


 窓の外が、少しだけ白み始める。

 まだ朝ではない。

 だが夜ももう深くはない。


 ハザマは拾った破片を机に置き、端末へ短く記録した。


 ――対象未死亡のまま、周辺ノイズ増大。

 ――未採用経路の混線、室内物体へ及ぶ。

 ――朝の共有化前段階の可能性。


 そこまで打って、送信は保留した。

 榊へ上げるべきだ。葛西にも回すべきだ。

 だが、もう少しだけ観測したい。

 その判断が正しいのか、単なる遅延なのか、まだわからない。


 レオンは寝台の縁へ座り込み、顔を上げずに言った。


「おい」

「何ですか」

「俺、今夜を越えたらどうなる」

「観測します」

「……本当に嫌な奴だな」

「よく言われます」

「でも、さっきの瓶で死んでたら」

「止められませんでした」

「そうかよ」


 その一言だけで、レオンは少し黙る。


 死ななかった。

 でも死は、もう部屋の中にまで来ている。

 朝まで生きることが、そのまま事態の改善を意味しない。

 その不快な真実が、ゆっくり部屋に満ちていった。


 窓の外で、最初の鳥が鳴く。


 レオンもハザマも、その音に少しだけ顔を上げた。

 まだ朝ではない。

 だが夜も、もう深くはない。


 そのとき、石蔵の下の通りを、酔いの抜けきらない荷担ぎの男がふらつきながら通った。

 ただ通り過ぎるだけのはずだった。

なのに男は、誰に言うでもなく、寝言みたいな声で呟いた。


「……落ちなかったんだな」


レオンの喉が止まる。

ハザマの端末が、遅れて短く鳴る。


《非対象一名》

《未発生事象への言及を検知》


 男は自分で何を言ったのかもわからないまま、首を掻いて歩き去る。

 通りには何も起きていない。

 まだ誰も落ちていない。

 それでも、明らかに一つ、朝の順番だけが先に漏れた。


 ハザマは表示を見たまま動かない。

 レオンは寝台の縁を強く握る。


 死ななかった。

 なのに朝は、もう自分一人の中に収まっていない。

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