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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第4章 この朝を選ぶ男

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第19話

紙片の文面は、短いくせに扱いが面倒だった。


 ――保全対象への過接近を控えろ。

 ――未確定人格の崩壊は主系列の損失になる。


 ハザマはその二行を、現地中継室の薄い灯りの下で再読した。

 保全対象。未確定人格。主系列。

 どれも意味は通る。通るのに、今の管理局の運用語としては少し古く、少しずれている。内を知る外か、外へ漏れた内か。どちらにしても、雑な脅し文句では済まない。


 しかも問題は文面だけではなかった。

 レオンが書いた三文字と、紙片の裏に残っていた極薄い転写痕の癖が近い。偶然と切るには嫌な近さ。

 真木は「私は嫌」とだけ返してきた。


 榊は処理より確保を選んだ。

 葛西は共有遅延を咎めつつ、現場判断の幅を狭めた。

 その結果として、今夜の方針は一つに絞られた。


 レオンを、朝まで死なせない。


     *


 レオンは、その説明を受けたとき、少し黙ってから言った。


「おまえ、さらっと気持ち悪いこと言うよな」

「業務です」

「便利な言葉だな、それ」


 夜のヴァルカは冷えていた。

 工房の火はまだ生きているが、路地の石は昼よりよほど冷たくなる。水路は黒く、橋板は湿り、滑る。昼ならただの労働の街だが、夜になると、死ぬ場所だけが先に目立つ。


 ハザマは地図をひらき、レオンへ見せないまま言った。


「今夜、あなたが死ぬ可能性の高い経路を洗いました」

「経路って言い方やめろ」

「五つあります」

「……五つもあるのか」

「あなたの証言と、前回までの観測を重ねた結果です」

「前回まで、ね」


 レオンは自嘲ぎみに笑う。

 自分の死が、もう“何回目かの前回”として整理されていることに、いちいち腹を立てるだけ無駄だと、少しずつ学び始めていた。


「水路沿いの板橋」

 ハザマが指を動かす。

「市場裏の路地」

「倉庫街の荷揚げ機」

「染色工房の炉」

「南門前の階段」


 レオンはその並びを聞いて、ひとつひとつ思い出す。

 落ちた。刺された。潰れた。焼けた。首を折った。

 数えたくなくてやめたはずなのに、場所だけは身体のほうがよく覚えている。


「……全部通らなきゃいいだけか」

「理屈としては」

「理屈としては、ね」


 ハザマは答えない。

 その沈黙が、簡単では済まないことをもう言っている。


 最初の異変は、南門前の階段で起きた。


 本来なら通らないはずの場所だった。

 ハザマが意図的に遠回りを選び、レオンも従っていた。なのに、階段の上から荷担ぎの男が足を滑らせ、積み荷ごと転がり落ちてきたのだ。運悪くでは済まない角度で、まっすぐレオンの位置へ。


 ハザマはレオンの肩を引いた。

 木箱の角が石に砕け、欠片が二人の靴元へ散る。


「……いまの、何だ」

 レオンが言う。


「事故です」

「おまえ、そう思ってないだろ」

「現時点では事故です」


 荷担ぎの男は青ざめながら謝る。

 彼に悪意はない。

 だが、悪意がない事故ほど、いまは信用しづらかった。


 次は染色工房の裏だった。

 工房の外炉の火が、何の前触れもなく吹き返した。風向きは悪くない。薪も湿っていたはずだ。なのに、一瞬だけ炎が横に走り、レオンの外套の裾を舐めかける。


 ハザマが手で払う。

 布は焦げたが、燃え移るほどではない。


「……街のほうが殺しに来てるみたいだな」

 レオンが低く言う。


「あなたの死が“戻り”の条件なら、現象側が維持しようとしている可能性はあります」

「それ、慰め?」

「説明です」

「最低だな」

「よく言われます」


 レオンは舌打ちし、次の瞬間には息を吐く。

 怒っている余裕が、もうあまりない。

 自分の死を避けるためにこの男と一緒にいる。その事実だけで、かなり嫌だ。


 市場裏へ入る前、レオンは足を止めた。


「……ここだ」


 昼にミレナとすれ違い、借金取りと揉め、何度か刺された場所。石壁の高さまで、もう目が覚えてしまっている。


 ハザマは通りを一瞥した。


「通る必要はありません」

「知ってる」

「なら」

「……でも、通らないと、その先に何がいるかも見えない」


 ハザマはレオンを見る。

 もう、こういう言い方をするようになっている。死ななければ済む、ではなく、死の先にあったものを見に行きたいから危険地帯を捨てきれない。


「今夜は見ない」

「何で決める」

「生存確保が先です」

「おまえはいつもそうだ」

「はい」

「それで何人分の朝を切った」

「数えていません」


 その返答に、レオンは一瞬だけ本気で言葉を失った。

 数えていない。

 悪びれもなく。

 そこがこの男のいちばん嫌なところで、いちばん信じてしまいそうなところでもある。


「……数えろよ」

 レオンが言う。


 ハザマは少しだけ間を置いてから答えた。


「数えると、遅くなります」

「そういうことじゃない」

「そういうことです」


 会話はそこで切れた。

 切れたまま、二人は市場裏を避けるように迂回する。


 そして、その先でミレナに会った。


 夜なのに、まだ桶を抱えている。

 工房の水替えが長引いたのだろう。顔には疲れが出ている。だがレオンを見ると、ほっとしたような、妙な顔をした。


「よかった」

 彼女が言う。

「今日、落ちなかったんだ」


 レオンもハザマも、その一言で止まった。


「……何だって?」

 レオンが言う。


 ミレナ自身も、言った瞬間に顔をしかめる。


「いや、違う。今の……」

「何でそう思った」

「わからない」


 桶を抱える腕がわずかに震える。


「昼から変なの。あんたを見たとき、何回か同じこと言った気がして。でも、そんなわけないでしょ」

「……」

「水路で、落ちるの見た気がしたの。なのに今日のあんたは落ちてない」


 ハザマの端末が、袖の内側で短く警告を鳴らした。


《周辺住人一名》

《局所既視感帯を検知》

《非対象への軽微な持ち越し兆候》


 来た、とハザマは思う。


 一人分の異常ではなくなり始めている。


「ミレナ」

 レオンが言う。

「今の、誰かに言ったか」

「言うわけないでしょ。自分でも変だもの」

「他にも、何か」

「……朝、桶を落とすって先に知ってた気がした」


 彼女はそこで本当に怯えた顔をした。

 自分の中に、自分のものではない“先”が入り込んだ気配を、人はこういう顔で受け取るのかと、ハザマは一瞬だけ思う。


「帰ってください」

 ハザマが言った。


 ミレナが初めて彼をまともに見る。

 昼にレオンと一緒にいるところを、見たような見ていないような気がする顔だった。


「あなた……」

「帰宅を推奨します」

「誰なの」

「通りすがりです」

「絶対違うでしょ」

「そうでしょうね」


 ミレナは意味がわからない顔をしたが、それ以上は何も言えなかった。桶を抱えたまま、一度レオンを見てから去っていく。


 その背中を見送り、レオンが低く言う。


「……広がってるのか」

「はい」

「俺のせいで」

「現象のせいです」

「言い換えるな」

「言い換えていません」


 レオンは水路の黒を見る。

 自分の死が、自分だけで閉じていない。

 未採用の朝が、他人の中へも薄く染み始めている。


 その実感が来た瞬間、今までの死の重さが少し変わった。

 自分が痛いだけでは済まない。

 誰かの一回目に、二回目の影が落ちる。


「……今夜、死んだらまずいな」

 レオンが言う。


 ハザマは短くうなずく。


「はい」

「おまえが初めて人間っぽい肯定した気がする」

「記録から外しておきます」


 レオンは笑わなかった。

 もうそれどころではない。


 そのとき、水路の向こうで、またあの乾いた金属音がした。


 輪。

 あるいは、輪に似た何か。


 ハザマは即座にレオンの前へ半歩出る。

 守るためというより、現象の中心を無駄に動かさないための位置だ。だが、その差をいまここで説明しても意味はない。


 暗がりの中から、声だけが来た。


「広がる前に折るか」

 男とも女ともつかない、低い声。

「それとも、保持したまま観測するか」


 保全側だ。

 だが今夜の言い方は、前より冷たい。


「姿を見せろ」

 ハザマが言う。


「必要がない」

 声が返る。

「おまえも、本当はわかっているはずだ。こいつは残したほうが価値がある」

「価値の話はしていない」

「してるさ。おまえらも、いつだって」


 その瞬間、レオンの背中が寒くなる。


 価値。

 止める側も、残す側も、自分をそういう単位で見ている。

 それが事実だとしても、事実のまま聞かされるとひどく気持ちが悪い。


「レオン」


 ハザマが名を呼ぶ。


「今夜は死なないでください」

「命令か」

「依頼です」

「その差、いま重要か?」

「私には」


 短い沈黙。


 レオンは自分の手を見る。

 痛みを覚えている手。

 紙を書く手。

 死ねば明日に飛ぶかもしれない手。

 でも今は、その先にミレナの曖昧な既視感がつながっている。


「……わかった」


 そう言うと、外の気配が少しだけ動いた。

 不満とも、観測完了ともつかない気配だった。


「今夜は、か」

 声が言う。

「なら次は、もっと広い朝で会おう」


 足音は残さず、気配だけが遠のく。


 ハザマは追わない。

 追えばレオンが動く。レオンが動けばまた死の経路が開く。


 水路の黒が揺れる。

 街はまだ働くように冷えている。


 ハザマの端末には、短く新しい表示が出ていた。


《局所持ち越し兆候 一名確認》

《波及開始の可能性》

《対象の次回死亡を厳重監視》


 レオンはその画面を見ない。

 見なくても、自分の異常がいま初めて、街へ触れ始めたとわかっていた。

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