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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第4章 この朝を選ぶ男

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第17話

ハザマは結局、その紙片を葛西にも榊にも送らなかった。


 送らないという判断が正しいとは思っていない。

 だが、すぐに上へ流すのが最適とも思えなかった。


 保全対象。

 未確定人格。

 主系列。


 用語だけ見れば、管理局内部の古い文書にも似た言い回しはある。だが、似ていることと同一であることは違う。雑に外側から寄せてきた書式にも見えるし、逆に内側の語を知っている者が、わざと雑にしている可能性もある。


 曖昧なものを葛西へ渡せば、まず監査の論理で圧縮される。

 榊へ渡せば、主処理と切り分けたうえで制度に吸われる。

 真木なら、少なくとも波形としては嘘をつかない。


 だから、先に真木だった。


 管理局の中継端末を使わず、現地観測用の絞った経路で短文だけ送る。


《追加資料あり》

《現地文字文書/書式異常》

《“保全対象”“未確定人格”“主系列”を含む》

《先におまえが見ろ》


 返答は早かった。


《命令口調が雑なんだけど》

《でも見る》


 それだけ。


 ハザマは端末を閉じた。

 夜までまだ少しある。

 レオンとの再接触の前に、街を一巡しておきたかった。


 ヴァルカの夜は、昼よりも輪郭が出る。


 工房の火が窓越しに赤く揺れ、水路の黒が深くなり、石畳だけが冷たく光る。昼のあいだ労働で潰されていたものが、夜になると少しだけ戻ってくる。酒。噂。疲労。借金。明日の仕事に間に合う程度の欲望。


 ハザマは市場裏から倉庫街までを歩いた。

 足を止めるたび、目で見るより先に、微かなズレを探している自分に気づく。


 ここで一度死んだ。

 ここでは落ちなかった。

 ここは未採用。

 ここにはまだ薄く残っている。


 ユウト案件のあとから、その読み方が少し早い。

 それが有利なのか、汚染なのか、自分でも判別しきれない。


 倉庫街の角で、ハザマは立ち止まった。


 役人ふうの男が立っていた場所。

 昼間は人目もあり、ただの路地にしか見えなかったが、夜に来ると違う。空間の継ぎ目が少し硬い。現地の石の配置にしては、意味が揃いすぎている。

 保全側。再侵入管理。

 仮置きの語が、もう一段だけ現実味を持つ。


 そこへ端末が振動する。


 真木から、音声ではなく文字の束だった。


《紙片、現地インク》

《筆跡は現地模倣》

《でも文体の圧縮癖が変》

《あと“主系列”は、うちの現行運用語としては半端》

《古い資料なら近いのがある》

《外が内を真似たか、内が外へ漏れたか、その中間》

《嫌な言い方すると、どっち側の人間でも使える》


 ハザマはその表示を読み返す。


《断定はしない》

《でも“保全対象”のほうは、かなり意図的》

《対象を消耗品ではなく保存単位で見てる》

《それと》


 そこで一拍、表示が止まり、次の行が出た。


《紙の裏面に、極薄い転写痕》

《あの三文字と癖が似てる》


 ハザマの目が細くなる。


《レオンの紙と?》

《そう》

《偶然では》

《筆跡鑑定担当に言わせるなら、まだ偶然》

《でも私は嫌》


 真木らしい表現だった。

 つまり、まだ証拠ではない。だが、無視すると後で刺さる類いの嫌さがある。


《共有は》

 と打ちかけて、やめる。


 真木のほうから先に来た。


《葛西にはまだ渡すな》

《榊は状況次第》

《先に対象本人から取れるものを取れ》

《そのほうが解析が進む》


 ハザマは短く、

《了解》

と返した。


 それが制度違反に近い小回りだということはわかっている。

 だが、ここで全部を均等に通すと、案件が“整理された不明点”になってしまう。まだそうする段階ではない。


 夜の約束の場所は、昼と同じ倉庫ではなかった。

 ハザマが指定したのは、水路を一本挟んだ古い荷印小屋だ。狭いが、出入口は二つある。外からの接近も読みやすい。


 レオンは、時間ぴったりではなく少し遅れて来た。

 その遅れ方が、この数日で身につけた警戒を物語っている。一本道をまっすぐ来る人間の歩幅ではない。二度、三度と立ち止まり、後ろを見て、別の道を経由して、ようやく来た。


「逃げなかったですね」

 ハザマが言う。


 レオンは鼻で笑う。


「逃げる自由はある、って言ったのはおまえだろ」

「はい」

「自由があるなら使うか考えた」

「使わなかった」

「逃げても状況が悪くなるって言われたからな」

「合理的です」

「そういう褒め方しかできないのか」


 レオンは小屋の中へ入る。

 昨夜より顔色が悪い。

 だが、それは恐怖だけではない。紙に書き留めるという行為で、自分の異常に輪郭が出た疲れだとハザマは見た。


「持ってきた」


 レオンが上着の内側から折り畳んだ紙を出す。

 昨夜の続きらしい。炭の線が増え、単語のようなものがいくつか並んでいる。


「増えたのか」

「寝る前に少し」

「寝られましたか」

「寝られるわけないだろ」


 ハザマは紙を受け取る。


 前より具体的だった。

 黒い帯の脇に、箱のような輪郭。

 四角い光。

 そして現地語ではない音を、現地文字に無理やり近づけたような断片。


 ト

 ラ

 ッ

 ク


 意味は、ハザマにもまだ確定できない。

 だが、前の異世界でユウトの死因として見た地球側断片のひとつと、音の質感が近い。近すぎる。


 レオンがじっと見ている。


「その顔やめろ」

「どの顔ですか」

「知ってることが増えた顔だ」

「増えた可能性はあります」

「またそれ」


 ハザマは紙を閉じない。

 言うべき範囲を選ぶ。


「これは、この街の記憶ではない可能性が高い」

 レオンの喉が動く。

「じゃあ何だ」

「あなたの現在の人格に接続されている、別系統の断片」

「前世ってことか」

「その言葉は、いまは使いません」

「何で」

「形がまだ決まっていない」


 レオンは苛立って壁を見た。


「おまえ、本当にそういう言い方ばっかりだな」

「雑に言い切って外したほうが面倒です」

「じゃあ俺は何を信じりゃいい」

「いま見えている範囲です」


 ハザマは紙の三文字を指で軽く押さえる。


「あなたの中には、この街だけでは閉じない記憶片がある」

「……」

「そして、それを保全したい側がいる」

「昨日の紙か」

「はい」

「おまえは止めたい」

「現象を止めます」

「同じじゃない」

「結果としては近い」


 レオンは苦く笑う。


「残したい側と止めたい側がいて、どっちも俺の都合じゃない」

「そうです」

「すごいな」

「何が」

「最悪の言い方を、ためらいなしに選ぶところが」


 そこで小屋の外、水路の向こうから短い音がした。

 金属同士が触れたような、乾いた一音。


 ハザマの視線が扉へ走る。

 レオンも、もう同じ速度でそちらを向く。反復の中で、自分に向けられた異物の音に慣れ始めている。


「来たのか」

 レオンが低く言う。


「たぶん、見に来ています」

「誰が」

「残したい側か、止めたい側か、その両方です」


 ハザマは端末を半開きにする。

 応戦ではない。観測優先。

 今ここで衝突すれば、まだ取れるはずの情報が散る。


 小屋の木壁の隙間に、細い光が一瞬だけ走った。

 輪。あるいはそれに類する金属反射。


 レオンが息を呑む。

 昨日の男だと、たぶん彼も直感した。


「出るな」

 ハザマが言う。


「おまえも出るなよ」

「状況次第です」

「その言い方」

「職業病です」


 外の気配は、すぐには踏み込んでこなかった。

 見張っている。試している。こちらが何をどこまで共有したかを測っている気配だ。


 ハザマは小さく舌の奥で息を吐く。


 単独の現象ではない。

 監視されている対象に、自分たちもまた観測を返されている。

 綱引きは、思ったより早く表面に出た。


 レオンが小声で言う。


「おい」

「何ですか」

「俺、戻るのか」

「今夜死ねば」

「そうじゃなくて」


 レオンは紙を見た。

 自分が書いた、ここにない断片。

 それからハザマを見た。


「俺は、戻るたびに俺のままなのか」


 初めて、その問いが出た。


 死ぬたび朝へ戻る。

 戻る身体。残る記憶。

 だが、その積み上がりが本当に“同じ自分”なのかという恐怖は、今まで言葉になっていなかった。


 ハザマは即答しない。


 その沈黙を、レオンは嫌というほど見た。

 断定を避けるときの沈黙だ。

 だが今日は、少し違う。


「……わかりません」

 ハザマが言う。

「ただ」

「ただ?」

「戻るたびに、同じ朝へ戻っているのではなく、同じ朝を食い潰している可能性はあります」


 レオンの顔が白くなる。


「何だよそれ」

「あなたにとっては同じ朝でも、未採用の死や未実行の選択が、どこにも行かずに残っているなら」

「……」

「あなたは戻っているのではなく、削っているのかもしれない」


 外の気配より、その言葉のほうが、レオンにはよほど堪えたらしかった。


 椅子代わりの箱に座り込み、顔を覆う。

 死ぬこと。戻ること。使うこと。試すこと。

 全部が自分の都合で片づく話ではないと、もう薄々わかっていた。

 だが、「削っている」と言われると、急に手触りが変わる。


 誰かの一回性。

 街の朝。

 まだ選ばれていない死。

 そういうものを、自分が少しずつ食って進んでいるのかもしれない。


 ハザマは、その沈黙を壊さずに端末へ一行だけ打つ。


 ――対象、自我連続性への疑念を自発的に提示。


 これで、もう戻れない。

 案件としても、本人としても。


 そのとき、外から低い声がした。


「今夜はやめておけ」


 男とも女ともつかない。抑えた声だ。

 壁越しで輪郭が曖昧なのに、なぜか言葉だけはひどく近い。


 レオンが顔を上げる。

 ハザマの端末が、短く異常反応を示す。


 外の声は続ける。


「未確定のまま崩せば、両方に損だ」


 ハザマは扉を見たまま言う。


「保全側か」

「その呼び方でもいい」


 紙片よりはっきりしている。

 だが、名乗らない。

 名乗らないまま、向こうはこちらの呼び方だけ受け入れる。


「誰だ」

 レオンが叫ぶ。

「俺に何をした」

「おまえにしたのではない。残しただけだ」


 その言い回しに、ハザマの目が細くなる。


 残した。

 保全。

 未確定人格。

 点が少しずつ近づいている。


「出てこい」

 レオンが言う。


 だが、外の気配は笑ったようにも息を吐いたようにも聞こえただけで、次の瞬間にはもうなかった。

 輪の光も、足音も、消えている。


 ハザマはすぐには追わない。

 追えば、今度は向こうの用意した形へ乗る。

 それより、残った言葉のほうが重い。


「……聞いただろ」


 レオンが、乾いた声で言う。


「残した、って」

「はい」

「俺は、作られたのか」

「まだそこまでは言えません」

「またそれだ」

「ですが、いまの一言は重要です」


 レオンは両手で顔をこすった。


 死の反復。

 記憶断片。

 保全対象。

 残した。

 自分の輪郭が、自分の過去より先に外から説明され始めている。


 ハザマは端末を閉じた。


「今夜はここで終わります」

「終わるかよ」

「これ以上は、相手のペースです」

「おまえも怖がるんだな」

「怖がらないなら死にます」

「それはちょっと人間っぽいな」

「残念でした」


 レオンは、そこでまた少しだけ笑いそうになって、すぐ真顔へ戻る。


 笑える話ではない。

 なのに、そういうどうでもいいやり取りがないと、今の自分の輪郭が持たない。


 外へ出る前に、ハザマは紙を二つに分けた。

 断片記憶の記録は自分が持つ。

 元の紙はレオンへ返す。


「持っていてください」

「何で」

「あなたが見返すためです」

「おまえの解析用じゃなくて?」

「それは写しました」

「嫌な言い方だな」

「正確です」


 レオンは紙を受け取る。

 炭で汚れた、自分の知らない記憶の紙。

 いまはこれだけが、自分が自分をまだ少し疑える証拠だった。

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