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異世界管理局ハザマ ―転生勇者は処理対象です  作者: 理寿人
第4章 この朝を選ぶ男

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第15話

板橋を離れてからも、レオンは二度ほど後ろを振り返った。


 ハザマは逃げも追い立てもせず、一定の距離を保って歩いている。

 それが逆に気味が悪い。

 捕まえるならすぐ捕まえればいい。脅すならもっとわかりやすくやればいい。なのに、この男はまるで書類の一行みたいな歩き方で、こちらの呼吸が落ち着くのも、また乱れるのも待っている。


「どこへ連れていく」


 ようやくレオンが言うと、ハザマは前を見たまま答えた。


「連行ではありません」

「そう見えない」

「安全な場所で話をします」

「誰にとって安全なんだ」

「いまは、両方にとってです」


 その言い方に、レオンは舌打ちしたくなった。

 逃げられる気はしない。

 逃げて死ねば、また朝に戻るかもしれない。だが、その“かもしれない”を、さっき板橋で一度止められた。死ねば先へ行けるという流れを、この男が切ってしまった。


 労働者街から少し離れた、水路脇の古い倉庫。

 使われなくなって久しいらしく、扉は半ば朽ち、壁の石には水染みが広がっている。人通りは少ない。けれど完全な廃墟でもない。見ようと思えば誰かが見られる位置だ。


 ハザマは中へ入り、窓際の木箱を一つ起こした。


「座ってください」

「命令か」

「提案です」

「……提案ね」


 レオンは結局座った。

 腿にまだ、死んだときの鈍い痛みが残っている。傷はないのに、身体だけが覚えている。


 ハザマは立ったまま端末を開いた。

 レオンの目にはそれが、黒い板とも、薄い帳面ともつかないものに見える。街のどの道具とも違う。役人ふうの男が指に触れていた輪と同じで、見たことがないのに、どこか胸の奥だけがそれを知っているみたいにざわついた。


「名前」

 ハザマが言う。


「レオン・グラーツ」

「現地名としては、ですね」

「何だよ、その言い方」


 ハザマは返さず、別の問いを置く。


「いままで、何回戻りましたか」

「……知らない」

「数えていない」

「途中で意味がなくなった」

「途中から数えられなくなった、ではなく?」

「同じだろ」

「違います」


 声は低いが、そこでだけ少し硬かった。


「数える意思があったのに崩れたのか、最初から数の単位が溶けたのかで、壊れ方が違う」

「……壊れ方って何だよ」


 ハザマはようやくレオンを見た。


「あなたはいま、死を出来事ではなく資源に変え始めています」

「違う」

「違いません」

「おまえ、会うたびそればっかりだな」

「会ったのは二度目です」

「俺にとっては違う」


 その言葉が落ちたあと、倉庫の中は少しだけ静かになった。


 ハザマは、レオンがすぐ怒鳴るかと思っていた。

 だが、怒鳴らない。

 怒鳴るだけの熱が、もう死の反復で削れているのかもしれない。あるいは逆に、怒鳴って済む段階を越えたのか。


「……おまえは何だ」


 レオンが言う。


「役人でもない。借金取りでもない。あの輪の男とも違う。なのに、俺のことを最初から知ってる顔をしてる」

「観測対象だからです」

「またそれか」

「事実です」


 ハザマは端末を少しだけ傾けた。

 レオンには読めない。だが、そこに自分の朝が、死が、昨日の路地が並んでいるのだと直感だけはした。


「あなたの現象は、この街の呪詛や祝福ではない」

「……」

「現地文化で説明できる経路が見つかっていません」

「だから?」

「だから、あなた自身の由来が問題になります」


 レオンは笑いかけて、うまくできなかった。


「由来?」

「生まれ。連続性。元の人格。最初の死」

「何言ってるかわからない」

「全部わからなくて構いません。ひとつずつ確認します」


 ハザマは端末を閉じる。

 ここから先は、機械より顔を見たほうがいいと判断した。


「死ぬ直前に、この街にない風景を見ていますね」

 レオンの肩がわずかに跳ねる。

「黒い路面。白い線。警告音に近い反復音。硬い光源」

「……何で」

「観測しました」

「頭の中まで見てるのか」

「必要な範囲で」

「気持ち悪いな」

「よく言われます」


 レオンはほんの少しだけ黙る。

 その沈黙の中で、自分が誰かに見られていた恐怖と、ようやく説明に近いものへ触れた安堵が、汚く混ざる。


「……あれが何か、知ってるのか」

「断定はしません」

「知ってる顔だ」

「知っている可能性はあります」

「何だよそれ」


 ハザマは問いを返す。


「あなたには、他にもありますか」

「何が」

「この街にない断片」

「……」


 レオンは即答できなかった。


 ある。

 たぶん、ある。

 けれどそれは記憶と呼ぶには歪で、夢と呼ぶにはしつこい。雨に濡れた何かの匂い。硬い床を滑る振動。見たことのない文字。止まれ、に似ているがこの街のどの言葉でもない命令の感じ。


「ある、のか」


 ハザマが静かに促す。


「……少し」

「人ですか、場所ですか」

「場所、かもしれない。音もある」

「名前は」

「知らない」

「自分の名前は」

「レオン・グラーツだ」

「それだけですか」

「それ以外を知らない」


 言ってから、自分で腹が立った。

 知らない。

 知らないくせに、ここにない何かだけは胸の奥へ残っている。


 ハザマはその苛立ちごと観測していた。


「あなたがこの街の人間でないとは、まだ言いません」

「言ってるようなもんだろ」

「可能性の話です」

「その可能性ってやつで、俺をどうする」

「現象の停止を優先します」

「停止」

「あなたが戻らなくなるようにする」

「……要するに殺すのか」

「その理解で概ね構いません」


 レオンは木箱を蹴りかけて、やめた。

 蹴っても意味がない。

 この男はそういう怒りを少しも怖がらない。怖がらないどころか、木箱の壊れ方まで記録しそうな顔で見ている。


「ふざけるな」

「ふざけていません」

「俺は頼んで戻ってるわけじゃない!」

「知っています」

「知ってるなら」

「それでも止めます」


 レオンの喉が詰まる。


 この男は、自分の苦しさを理解しないから冷たいのではない。

 理解したうえで、それでも止めると言う。

 そのほうがずっと質が悪い。


 ハザマは一歩だけ距離を詰めた。


「あなたは最初、被害者でした」

「最初?」

「はい。少なくとも現象の初期段階では」

「じゃあ今は違うのか」

「あなた自身が、死を情報化し始めた」

「……」

「その時点で、現象と人格を切り離して扱えなくなります」


 レオンは答えない。

 答えられない。

 板橋で落ちかけたとき、自分は確かに考えたのだ。死ぬかもしれない。でも、その前にもっと見えるかもしれない、と。


 倉庫の外で、水路を渡る風が鳴る。


 そのとき、ハザマの端末が短く振動した。

 葛西からの文字だけの連絡。


《接触許可、暫定承認》

《拘束は行うな》

《情報取得を優先》

《処理判断は保留》


 遅い、とハザマは思ったが顔には出さない。


 レオンがその微かな間を見た。


「……上があるんだな、おまえにも」

「あります」

「犬みたいだ」

「そう言われたことはありません」

「今、少しだけむかついた顔したぞ」

「気のせいです」


 レオンはそこで初めて、ほんの少しだけまともに笑いそうになった。

 笑いにはならなかったが、死と朝の反復の中で初めて、人間らしい間が落ちた気がした。


 その空気を、ハザマは意図的に切る。


「役人ふうの男について」

「……」

「何を見ましたか」

「輪。銀の片。変な縫い目」

「他に」

「俺のことを見て、残っているのか、って言った」

「正確に?」

「たぶん」

「たぶん、ですか」

「死ぬ直前だぞ。そこまで責めるな」

「責めていません。精度確認です」


 レオンは舌打ちする。


「で、その“残ってる”って何だ」

「候補はあります」

「言えよ」

「まだ」

「まだばっかりだな」

「断定前に言葉を渡すと、あなたの認識を誘導します」


 その説明は腹立たしいほど筋が通っていた。

 だからレオンは余計に嫌になる。


「……おまえ、俺を助ける気あるのか」

 レオンが低く言う。


 ハザマは答えを選んだ。

 少しだけ長く。


「現象を止めることが、結果的にあなたを助ける形になる可能性はあります」

「人間にはそんな言い方しないだろ」

「します」

「してない」


 ハザマはそこで初めて、ほんのわずかに視線を逸らした。


 助ける。

 その語は、現場で使うには重い。

 ユウト案件のあとから、少しだけ重すぎる。


「……少なくとも」


 ハザマが言う。


「このまま繰り返させ続けるのは、あなたにも周囲にもよくない」


 レオンはその言い方を聞いて、怒るより先に疲れた。


 たぶん本当なのだろう。

 だから嫌だ。

 本当であることと、受け入れられることは違う。


「今日は帰ってください」

 ハザマが言う。


「また同じ朝になるかもしれない」

「なら?」

「次は逃がしません」

「今も逃がしてないだろ」

「いまは話しているだけです」

「それが一番厄介なんだよ」


 レオンは木箱から立ち上がる。

 足元が少し揺れる。死の残り香なのか、話しすぎたせいなのか、自分でもわからない。


 倉庫の戸口まで歩いたところで、背後からハザマが呼ぶ。


「レオン・グラーツ」

「何だ」

「次に死ぬ前に、思い出した断片を記録してください」

「何で」

「消える前に形を取りたい」

「おまえのために?」

「結果的には」


 レオンは振り返らずに言う。


「自分でしゃべってて嫌にならないのか、その言い方」

「なります」

「嘘つけ」

「半分だけ本当です」


 レオンはそこでようやく、少しだけ本当に笑った。

 笑ってから、その軽さにすぐ気づいて顔をしかめる。こんなところで笑う話ではない。


 倉庫を出る。

 外の空気は冷えていた。街はまだ動いている。誰も、自分が何回朝をやり直したか知らない。誰も、この午後が一度死を通ってきた午後だとは知らない。


 だが、もう自分ひとりの秘密でもなくなった。


 レオンは水路沿いを歩きながら、自分の右手を見る。

 死んで戻る手。

 誰かを助ける手。

 誰かを試す手。

 そして今は、知らない断片を書き留めろと言われた手。


 背中側に、まだハザマの視線がある気がした。

 実際に見ているかどうかはわからない。

 それでも、もう“観測される側”の感覚は消えない。


 一方、倉庫の中ではハザマが端末へ短く入力していた。


 ――対象、接触後も逃走優先ではない。

 ――説明への欲求あり。

 ――外部断片記憶の自己記述を試みる価値あり。

 ――役人ふうの男は保全側、あるいは再侵入管理側の可能性。


 最後の行で、指が少しだけ止まる。


 保全。

 再侵入。

 どちらも仮置きにすぎない。

 だが、ユウト案件の残留と合わせると、消すだけでは終わらない誰かの手つきが、少しずつ見え始めていた。


 ハザマは端末を閉じる。


 処理判断はまだ保留。

 だが、もう案件は監視の段階ではない。

 レオンも、自分も、その一線を越えた。

 

 超えたら、もう戻れない。

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