第7話:白い死神の航跡
海は、時に饒舌に死を語る。
『アン女王の復讐号』が辿り着いた海域は、異様な静寂に包まれていた。波の音すら遠慮がちで、海鳥の一羽も飛んでいない。
ただ、無数の木片と、煤けた帆布だけが、海面を埋め尽くすように漂っていた。
「……酷いな」
甲板の手すりに掴まりながら、スティード・ボネットはハンカチで口元を押さえた。
それはかつて、ベンジャミン・ホーニゴールドの船だったものだ。
海賊船同士の戦いなら、もっと派手に、そして汚く散らかるはずだ。だが、ここにあるのは「消去」された跡だった。略奪された形跡はない。ただ、徹底的に粉砕されている。
「生存者は?」
黒髭が低い声で尋ねる。
見張り台の男が、青ざめた顔で首を振った。
「いません、キャプテン。死体すら……ほとんど浮いてねえ。サメの餌になる前に、木っ端微塵にされたみたいです」
黒髭は無言で漂流物を見下ろした。その横顔から、先ほどまでのふざけた態度は消え失せている。
「……イジー」
「はい」
「ボートを出せ。何か手がかりが残ってるはずだ。樽の一つ、紙切れ一枚でもいい。拾ってこい」
数分後。
引き上げられたのは、奇跡的に燃え残った船尾の一部と、防水加工された革袋に入った一冊の航海日誌だった。
甲板に集まった海賊たちは、その異様な物体を取り囲んだ。
「おい、見ろよこれ」
操舵手が、船尾の板を指差した。
そこには、真ん丸い穴が空いていた。大砲の弾痕だ。だが、海賊たちが知るそれとは明らかに違う。
「貫通してやがる。反対側まで綺麗にな。……普通の大砲なら、当たれば爆発するか、木がめくれ上がるはずだ。こんな針で突いたような跡、見たことがねえ」
海賊たちがざわめく中、黒髭は拾い上げた航海日誌をパラパラとめくった。
だが、すぐに舌打ちをして放り投げた。
「チッ。字が汚くて読めねえ。最後のページに何か走り書きがあるが……」
日誌が滑り落ち、スティードの足元で止まった。
スティードは、イジーの鋭い視線を感じながらも、それを拾い上げた。
「……失礼。拝見しても?」
泥と海水で滲んだ文字。だが、スティードには読めた。それは絶筆となった船長の、震える手による最期の記録だった。
「『……風上より接近。警告なし。白い船体。旗印なし。……奴らの砲弾は、回転している』」
スティードが読み上げると、黒髭が眉をひそめた。
「回転? 大砲の弾がか?」
「ええ。これは……『ライフル砲』の試作品かもしれません」
スティードの顔から血の気が引いていく。
「ロンドンの社交界で噂を聞いたことがあります。軍需産業が開発している、螺旋状の溝を掘った新型砲身。射程距離と貫通力は、従来の大砲の三倍以上。……まだ実用化されていないはずでしたが」
スティードは顔を上げ、全員を見渡した。
「諸君。敵は海賊狩りを楽しんでいるのではありません。これは『実験』です。生きた標的を使った、新兵器の性能テストだ」
静寂が走った。
海賊たちは「暴力」には慣れている。だが、「実験動物」として扱われることへの恐怖は別種のものだ。
彼らの誇りが、音を立てて崩れそうになる。
「実験、だと……?」
黒髭の声が、低く唸るように響いた。
彼の拳が震えている。恐怖ではない。激怒だ。
「俺たちをモルモット扱いか。……上等じゃねえか、貿易会社の腰抜け共が」
黒髭はスティードから日誌をひったくると、それを海へ投げ捨てた。
「野郎ども! 聞け! 敵はバカでかい武器を持った金持ちだ。真正面からやり合えば、俺たちもあの木屑と同じ運命だ」
彼はニヤリと笑った。狂気の炎が再びその瞳に宿る。
「だがな、海賊の戦い方は『真正面』じゃねえ。……そうだろ、ボネット?」
突然話を振られ、スティードは目を白黒させた。
「は、はい? ええと、その通りです。紳士たるもの、力任せではなく知恵を使います。例えば、えー……」
彼は必死に頭を回転させた。
「彼らは『組織』です。組織には報告義務がある。実験データを持ち帰る本拠地があるはずです!」
「その通りだ!」
黒髭が我が意を得たりとばかりに叫んだ。
「イジー! 進路を変えるぞ。ナッソーには戻らん。これだけの規模の艦隊を隠しておける場所は、西にはねえ。東だ」
「東? まさか……」
イジー・ハンズが目を見開いた。「アジアへ行く気ですか? あの『女帝』の縄張りへ?」
「ああ。このふざけた『白い死神』に対抗できる火力を持っているのは、世界で一人しかいねえ」
黒髭は水平線の彼方、まだ見ぬ東洋の海を睨みつけた。
「数千の艦隊を束ねる、海賊連盟の女帝。鄭一嫂に会いに行く」
乗組員たちがどよめいた。
カリブの悪魔が、アジアの龍に会いに行く。それは前代未聞の、海賊史上最大の会合になるだろう。
「ボネット、お前も来い。お前のその無駄な知識、少しは役に立ちそうだ」
黒髭はスティードの背中をバシンと叩いた。
「は、はい! 喜んで! ……ところで、アジアまではどのくらいかかりますか? 私の持参した紅茶の在庫が心配なのですが」
「知るか! 雨水でも飲んでろ!」
『アン女王の復讐号』が大きく舵を切る。
風が変わった。
腐敗した死の匂いが消え、未知なる嵐の匂いが満ちてくる。
カリブ海を飛び出し、物語の舞台は世界へ。
スティード・ボネットの「自分探し」の旅は、いつの間にか「世界の命運」を賭けた航海へと変貌していた。
更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!




