表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パイレーツ・コード:黄金の落日  作者: beens
第1章:優雅なる海賊の誤算

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/22

第4話:悪党たちの共和国

 ナッソーの地面は、泥と汚物、そして何千もの酒瓶の破片で舗装されていた。

 ジョン・ラカムに連行され、タラップを降りたスティード・ボネットの第一声は、感嘆ではなく悲鳴だった。

「おおっと! 私のイタリア製の靴が!」

 ぬかるみに足を取られ、泥だらけになった革靴を見て、スティードは涙目になった。「これ、オーダーメイドなんだぞ……」

「歩け、金づる」

 背後からアン・ボニーに背中を小突かれ、彼はよろめきながら「海賊共和国」の目抜き通りへと足を踏み入れた。

 そこは、スティードが書物で読んだ「自由の園」とは似ても似つかぬ場所だった。

 通り沿いにはボロボロのテントや掘っ立て小屋が並び、そこかしこで男たちが殴り合っている。賭博に負けた者が身ぐるみを剥がされ、勝った者は娼婦を侍らせて高笑いしている。

 ルールなどない。あるのは剥き出しの暴力と欲望だけだ。

「おい、見ろよ!ジャック! なんだそのピカピカの捕虜は!」

 通りすがりの海賊たちが、口笛を吹いて冷やかす。

「身代金用か? それともお前の新しい恋人か?」

「うるせえ!」

 ラカムは威嚇するように四丁のピストルを見せびらかし、肩で風を切って歩いた。「こいつは俺の戦利品だ。指一本触れてみろ、鉛玉をぶち込むぞ!」

 スティードはおっかなびっくり周囲を見回しながら、ラカムに尋ねた。

「あの、キャプテン・ラカム。我々はどこへ? もしよろしければ、身代金の手紙を書くためのペンと紙を……」

「黙ってついて来い。まずは『挨拶』だ」

「挨拶?」

「ああ。この島の王に、仁義を切らなきゃなんねえんだよ」

 ラカムの表情が、わずかに曇っている。

 彼らは港を見下ろす高台にある、一際大きな建物――元は総督官邸だったが、今は巨大な酒場兼売春宿に改造された廃墟――へと向かった。

 酒場の重い扉が開かれると、喧騒が爆発した。

 数百人の海賊たちがひしめき合い、煙草の紫煙が充満し、視界が白く霞んでいる。

 ラカムが入ってくると、近くにいた数人が手を挙げたが、部屋の奥の方からは重苦しい沈黙が波紋のように広がっていった。

「……空気が重いな」

 アンが呟き、腰のカトラスに手を添える。

 部屋の最奥。

 そこだけ、誰も近づこうとしない特等席があった。

 暗がりの中に、大柄な男が座っている。

 巨大な体躯。熊の毛皮のようなコート。そして、胸元まで豊かに垂れ下がった、漆黒の髭。

 その髭には、信じがたいことに、ゆっくりと燃える導火線が数本、編み込まれていた。チリチリと火花が散り、顔の周りに不気味な煙を漂わせている。

 エドワード・ティーチ。

 通称「黒髭」。

 スティードは息を呑んだ。

 本で読んだ挿絵そのままだ。いや、実物が放つ威圧感は、紙の上とは比較にならない。まるで地獄の釜の蓋が開いたような、圧倒的な「死」の気配。

「よお、ティーチの旦那」

 ラカムが、努めて明るい声を出して近づいていく。「久しぶりじゃねえか。元気そうだな」

 黒髭はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、底なしの沼のように暗く、光を吸い込んでいた。彼は無言で、手元のマグカップを傾けている。

「……俺ァてっきり、あんたはまだカロライナ沖で暴れてると思ってたぜ」ラカムの額に脂汗が滲む。「俺もいい稼ぎをしてな。ほら見ろ、このマヌケ面した捕虜を。こいつ、自前の船で海賊ごっこをしてたんだとよ! 傑作だろ?」

 ラカムは背後のスティードを親指で指した。

 酒場中の視線がスティードに集まる。嘲笑、侮蔑、憐れみ。

 だが、黒髭は笑わなかった。

 彼はゆっくりと立ち上がった。その巨体はラカムより頭二つ分も大きい。

 彼はラカムを完全に無視し、スティードの目の前まで歩み寄った。

 硫黄と火薬、そして血の匂いが、スティードを包み込む。

「ひっ……」

 スティードは恐怖で膝が震えた。殺される。間違いなく、今ここで首をへし折られる。

 黒髭は顔を近づけ、燃える導火線の煙をスティードに吹きかけた。

 そして、地を這うような低い声で言った。

「……お前」

「は、はいっ!」

「いい服を着てるな」

 予想外の言葉に、スティードは瞬きをした。

「え? あ、ありがとうございます。これはフランス製のシルクで、ボタンは真珠貝を使っておりまして……」

 恐怖のあまり、スティードの口が勝手に「世間話モード」に切り替わってしまった。

「ですが、ここに来る途中で泥が跳ねてしまいましてね。本当に残念です。このシミ、ワインで落ちるでしょうか?」

 酒場が静まり返った。

 黒髭相手に、服のシミの相談をする奴など、歴史上存在しなかったからだ。

 ラカムが顔面蒼白で止めようとするが、スティードは止まらない。

「ところで、あなたのその髭。とても……個性的ですね。煙たくありませんか? 火傷の心配はないのですか?」

 黒髭の目が、わずかに見開かれた。

 彼は数秒間、この場違いな小男をじっと見つめた後、突然、雷のような大声で笑い出した。

「ガハハハハハハ! 火傷だと! 煙たくないかだと!」

 黒髭はテーブルを拳で叩き割らんばかりに叩いた。

「おい聞いたか野郎ども! このチビ、俺を心配してやがる!」

 ドッと酒場が沸いた。緊張の糸が切れ、爆笑の渦が巻き起こる。

 黒髭は涙を拭いながら、スティードの肩を――脱臼しそうなほどの力で――バシバシと叩いた。

「面白い。気に入ったぞ、道化師ピエロ!」

 黒髭はニヤリと笑い、牙のような白い歯を見せた。

「ラカム。この男、俺が預かる」

「はあ!?」ラカムが素っ頓狂な声を上げた。「待ってくれ旦那! こいつは俺の獲物だ! 身代金だって……」

「聞こえなかったか?」

 黒髭の声から、一瞬で笑いが消えた。

 彼は腰の短銃に手をかけ、冷酷な眼差しをラカムに向けた。

「俺が『預かる』と言ったんだ。……不服か?」

 ラカムは唇を噛み締め、アンと顔を見合わせた。

 ここで黒髭とやり合えば、全滅する。

「……チッ。分かったよ。好きにしな」

「交渉成立だ」

 黒髭は再び満面の笑みを浮かべ、スティードの腕を掴んで引き寄せた。

「来い、おしゃれな紳士様。俺の船で、その『服のシミの落とし方』とやらをじっくり教えてくれ」

「え、あの、私は……」

 スティードは助けを求めてラカムたちを見たが、彼らは目を逸らした。

 こうして、スティード・ボネットは、海賊界の最恐の悪魔、エドワード・ティーチの「客」として連れ去られることになった。

 これが、歴史に残る奇妙な友情――そして、世界をひっくり返す大騒動の始まりだった。

更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ