第14話:鉄と掟、そして裏切りの報い
爆煙が晴れた甲板に、信じがたい光景が広がっていた。
無敵を誇った黒髭が、倒壊したメインマストの下敷きとなり、鮮血を流している。荒くれ者たちが絶望に凍りついたその瞬間、影の中から一人の男が静かに歩み出た。
イジー・ハンズだ。その手には、奪い取った「キッドの秘密文書」が握られていた。
「……終わりだ、エド。あんたはこの軟弱な貴族の毒に当てられ、牙を失った。この文書は俺が預かる。モーガンに渡し、俺が新しい『黒髭』の名を継ぐ」
ボネットは、耳を疑った。
信頼していた右腕の、あまりにも冷酷な背信。だが、イジーの瞳にあったのは私欲ではなく、変質していく「海賊の世界」への絶望的なまでの固執だった。
「ミスター・ハンズ、あなたは間違っている……!」
ボネットが声を絞り出す。
「黙れ、素人が! 掟だ何だと言いながら、お前が持ってきたのは『平和』という名の腐敗だ! 海賊は、恐怖で統べるべきなんだよ!」
イジーが剣を抜き、動けない黒髭の喉元へ向けたその時――。
水平線の向こう、モーガンの旗艦『レヴァイアサン号』から、無慈悲な信号旗が上がった。
『全目標、区別なく撃沈せよ』
「……何だと?」
イジーの顔が強張る。彼がモーガンと結んでいた「契約」には、自分と一部の精鋭の助命が含まれていたはずだった。しかし、モーガンという男にとって、裏切り者は「使い捨ての道具」に過ぎなかったのだ。
「計ったな、モーガン……ッ!」
直後、イギリス艦隊からの第二斉射が『復讐号』を襲った。
イジーの足元で甲板が弾け、彼は海へと投げ出される。海賊としての誇りを捨てて得ようとした「新しい秩序」に、彼は文字通り足元を掬われたのだ。
「エドワード! しっかりしてください!」
ボネットは、火の粉が舞う中で必死にマストをどかそうとする。だが、重い木材はびくともしない。
「……ボネット、行け」
黒髭が、血を吐きながら笑った。その目は、死の間際にあっても怪物のように鋭い。
「イジーの言う通りだ……俺は古くなった。だが、お前は……お前は、新しい『掟』を書き換える権利がある。あの文書を取り戻せ。あれは金銀の地図じゃねえ……この海を支配する連中の、最も汚い『弱み』だ」
「一人で行けるわけがないでしょう!」
ボネットが叫んだその時、戦火を割って一隻の高速船が接舷した。
「遅かったわね、紳士」
鄭一嫂だった。彼女のジャンク船団もまた、モーガンの無慈悲な火力に晒されていた。だが、彼女の瞳にはまだ戦意が失われていない。
「ティーチ、あんたはここで死ぬタマじゃないわ。……ボネット! 泣き言は後よ。あんたの言った『教本にない戦い方』を、今すぐ見せなさい!」
ボネットは立ち上がった。
足元に転がっているのは、半分焼けた「掟の書」。
そして海図を握り、海面を漂う裏切り者イジーの姿。
「……分かりました。ミスター・ティーチ、鄭一嫂。自由を守るための『血の規律』、私が示してみせます」
ボネットは、黒髭が愛用していた赤いコートを拾い上げ、肩に羽織った。場違いなほど優雅だったその姿は、硝煙と返り血に染まり、一人の「指揮官」へと変貌を遂げていた。
「全艦、私の合図を待て! 命令系統を一つにする! 今日、私たちは国を捨てるんじゃない。……新しい『国』を、この海に建てるんだ!」
燃える海峡。イギリス艦隊の白い壁に対し、ボネットは初めて「教養」を「刃」へと研ぎ澄ませた。
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