第五十二話 負け戦
あちこちから叫び声が聞こえ始めた。
佐倉と一ノ瀬は、畳に上で正座し、開け放たれた障子から暗い空を見上げていた。
そこへ第四隊の隊長エリオットが息を切らして現れた。
「あちこちで妖が出ている」
「神田明神から漏れ出た者たちか?」
佐倉は冷静に確認した。
「ハイ。多分」
「数は?」
「少ないので、ワタシたちで対処します」
言って、一ノ瀬を見る。
「人手が足りなければ、僕も向かうから」
エリオットは深く頷くと、すぐに踵を返した。
―― 静けさが戻る。
「一ノ瀬」
佐倉が前を向いたまま呟いた。
「稔の体調が気になる」
一ノ瀬はにわかに視線を佐倉に向けた。
「まだ、万全ではないと?」
「ああ」
一ノ瀬は空を見た。
軽く眉を寄せる。
「今日は星も見えませんね」
そう言うと、静かに立ち上がった。
「少し、夜風に当たってきます」
一ノ瀬はそのまま静かに部屋を出て行った。
神田明神では不気味な唸り声とともに、地の底から恐ろしい者が姿を現そうとしていた。
人の血を吸い、人の魂を喰らう者。
『人の怨念。それを形にしよったか』
底から這い出てきたのは、黒くドロドロした異形の者。
手と足はあるが、体は形をとどめておらず、ボタボタと常に落ち続けている。
口からは二つの別の口が垂れ下がり、身体中に苦しむ人の顔が蠢いていた。
「化け物だな」
相良はそれを見上げる。
「ついに完成だ」
遮那が喜び高下駄を鳴らしながら、その場でひらりと舞った。
「これで、お前の魂を喰らえば、人となる」
「馬鹿げたことを」
相良は鬼頭と黒崎に目配せし、刀を構えた。
「相良隊長、逃げてください」
鬼頭が前に進み出るが、それを手で制する。
「狙いはワシじゃ。
ここで制する。その間に他の奴らを逃がせ。ここにいても奴に喰われるだけだ」
「しかし……」
「黒崎!全員退避。
隊士をすべて神田明神から避難させろ」
相良は即座に退却の判断をくだした。
(これは人では勝てん)
「あれ、逃げるんだ?これを江戸に放っちゃってもいいの?」
相良は舌打ちした。
しかし、このままでは、全滅するのも目に見えている。
「相良隊長、俺、なんとかしてみます」
清雅は九曜に集中する。
(九曜、出てくれ。頼む。このままじゃ、みんな殺られる)
化け物は遮那の近くによると、遮那を頭の上に乗せた。
「近衛!」
高岡の声がする。
こちらへ来いと言っているのがわかる。
だが、清雅は逃げるわけにはいかなかった。
自分が何か、役に立つのではないかと、この事態を良い方向に変えられるのではないかと感じていた。
『無理じゃよ。ワシが出るには、お主の信念が必要じゃ』
(頼む。
このままじゃ、みんなが殺されるんだぞ)
化け物のどろどろの手が清雅めがけて振り上げられた。
清雅はそれを避けた。
しかし
「清雅!」
相良の声がした。
手は囮だ。
本当の攻撃は、地の底から飛び出してくる刃。
手を避けた所に、刃が下から繰り出される。
「近衛!!」
高岡と、鬼頭の声が同時に耳に響いた。
ザクッ!
肉を切り裂く嫌な音がした。
清雅は頭を打ったのか、一瞬意識が遠のくが、自分の肩を抱く力強い手に、すぐに引き戻された。
「大丈夫か?」
相良が清雅の上に覆い被さっていた。
刃をよけるために、清雅を押し倒したのだ。
「あれ、どこも痛くない」
てっきり、刃に切り裂かれたものだと思っていたが……
相良を見ると、歯を食いしばっていた。
足元から血が流れている。
「……相良隊長……まさか」
「清雅、逃げろ。お前には死なれちゃ困る」
言うと、よろよろと立ち上がった。
「黒崎、鬼頭、全員撤退。はよせい!」
相良は刀を構えたまま、化け物の前に立ちはだかった。
「足をやられたら、もう逃げられないね。
では、あんたの魂をいただく。さすれば、この者は、人と暮らすことができる」
「邪な者は、人の近くには寄れても、共に暮らすことは叶わぬ」
相良はにやりと笑った。
「お前には、人の信念など、わかりもしないだろ」
「その余裕の顔、気に入らない」
化け物の口の中の二つの口が相良に向かって歯を剥き出しにする。
「相良隊長、逃げてください!!」
叫ぶ黒崎と鬼頭の足に、底から蔦が現れ巻きつき動きを封じた。
「信念など、この世には無意味だ!!!」
遮那の目が見開いた。
相良の両腕に、蔦が巻き付く。
「妖の糧となれ!!」




