第三十話 夏の終わりの幽霊
夏の終わり、長かった隅田川での花火も終わりを迎える頃(三ヶ月の間行われる行事)、清雅は一ノ瀬の部屋に呼び出されていた。
「お兄さんは、いつ頃、京都に戻られるの?」
一ノ瀬の部屋は質素で何も置かれていない。
この部屋にいることの方が少ないのだろう。
「怪我もだいぶよくなりましのたで、もうそろそろかと」
「寂しくなるね」
一ノ瀬は、清雅の顔を見ながら、こっくりと首を横に傾けた。
「実は相良さんに言われてね」
一ノ瀬は他の隊長とは違い、話す時は始終正座を崩さない。
「第二隊であずかる幽霊屋敷の問題を、清雅くんにも手伝ってもらいたい」
「幽霊屋敷ですか?」
最近はめっきり、テロリスト関連の問題は持ち上がらなくなっていた。
「蝉の声、すっかり聞こえなくなったね」
一ノ瀬は庭の方に目を向け、眉を寄せた。
「夏も終わりますが、この時期に幽霊の話なんてどこから持ち上がったのですか?」
一ノ瀬は清雅に向き直ると
「僕も話でしか聞いていないんだけど」
―― 小梅下村。
問題の場所は、田畑が広がり、水戸街道の手前に佇む農村地帯。
神田からは両国橋を渡り、武家屋敷の間をすり抜けて、さらに北東へ進んだところにある。
「そこでたびたび、幽霊が出ると町方に届出があった」
一ノ瀬、高岡、清雅、そして第二隊の隊士4人は、いつもの黒の羽織袴を実戦を意識した旅姿に仕立て、警察所の入り口に立っていた。
皆、大小の刀を携え、三度笠を深くかぶっている。
「幽霊ごときで、我々が出る理由はなんですか?」
第二隊の一人、丸山が多少不満げに問うた。
「ここ最近、旅人が姿を消すようになったんだ」
一ノ瀬がなぜか、面白そうに答えた。
「それで我々が状況を把握するために、現地に向かうことになったんですね」
第二隊の間からため息が漏れる。
「あのエリアは僕たちの管轄だからね」
「一ノ瀬隊長がわざわざ出向く必要はないと思います」
「そうです。ただえさえ、他の案件でお忙しくされているというのに」
丸山を筆頭に、一ノ瀬を案ずる声が次々と上がる。
清雅は驚いた。
「一ノ瀬さんは、隊の人たちに慕われているんですね」
高岡は片方の眉をあげ、清雅を見やった。
「お前、知らないのか?一ノ瀬さんは隊のアイドルだぞ」
「……」
唾を飲み込む。
「そうですか」
深くは聞かなかった。
両国橋に向かう一行は、一見すると普通の旅人に見えなくもない。
しかし、歩く気配、袴の隙間から覗く引き締まった脚絆から、鍛え上げられた集団であることは一目瞭然だった。
小梅下村までは男の足なら一刻半ほど。
警察所がある神田とは違い、この辺りは夕暮れどきでも提灯がなければ歩きにくいほどうっすら暗く、人通りがほとんどなかった。
「出そうだな」
隊の一人が思わず声を漏らす。
「やめろよ。そういう奴が一番に見るんだぞ」
「何を?」
「そりゃあ、あれだろ」
ふわっと、生暖かい風が吹いた。
「ひぇえ」
高岡の声に清雅がブルっと肩を震わせる。
「そもそも、なぜ第一隊の私たちが、この件の担当になったんですか?」
清雅は高岡を振り返った。
「妖との戦いの前に幽霊を見てこいと、相良隊長が言っておられた」
『妖は幽霊じゃないわい』
九曜が不満げに漏らす。
田畑が続く道を進むと、畑仕事を終えた男の姿がかすかに見えた。
「あのー」
場違いに明るい声で一ノ瀬が話しかける。
「僕たち、警察所のものですが」
男はこちらを見たが、にこりともせず、抱えていた桑を下ろす。
「死にたくなかったら、けぇんな」
「あ、大丈夫です。
僕たちは死なないので」
第二隊の四人から、ため息が漏れた。
一ノ瀬の言葉に、村の男は「ふんっ」と鼻をならし、村の方へと歩き始める。
「帰れと言われても、仕事なのでついていきます」
一ノ瀬は半ば強引に、男の横を歩いた。
「今日は、小梅下村に泊まる感じかな」
「え」
高岡の言葉に清雅はゾッとした。
(村に泊まるなど初めてだ)
一行が進む先、目の前には霧に覆われた中に、点々と薄明かりが見て取れる。
「あそこが小梅下村、そして」
村の背後、木々が茂った奥地の方に、うっすらと暗い建物の影が見えた。
「あの屋敷が、問題の幽霊が出る場所だよ」
一ノ瀬は皆を振り返り、とっても楽しそうに両手で村と建物を指差して見せた。
風もないのに、屋敷のそばの木々が揺れている。
皆の耳には、ありもしない人の声のような音が聞こえた気がした。




