第二十九話 楓
清雅は家に戻るとすぐに元輝の部屋の障子を開けた。
「兄上、お体はいかがですか?」
元輝は上半身のみ起こし、布団の上で読書をしていた。
「清雅、相良隊長は何か言うておったか?」
左腕は巻木綿でぐるぐると巻かれ、首から腕を下げている。
清雅は正座したままにじりよると、元輝から本を取り上げた。
「今はゆっくりお休みください」
元輝は渋い顔をして、しぶしぶ布団の中に潜り込んだ。
「若が直接言ってくれて助かりました」
藤乃はずっと気にしていた様子で、ほっとため息をついた。
清雅は自分の部屋へ戻ると、九曜を目の前に置き、あぐらをかいて腕組みをした。
兄への心配が頭から離れないため、語気がついつい荒くなる。
「説明してもらうぞ」
『なにも話すことはない』
蝉の声が聞こえる。
ただえさえ暑さで嫌になるというのに、話すことがないとは……。
両手をあぐらをかいた膝の上におき、睨むように九曜を見据える。
眉の間に皺を作る清雅をみて九曜がしぶしぶ言葉を発した。
『なら言うが』
ありもしない口からため息がもれる。
『主が自分で記憶を封じておる。それだけじゃ』
「どういう意味じゃ」
『そのままの意味じゃ』
「わからんから、説明せいと言うておる」
『なんじゃあ、その態度は』
九曜も喧嘩腰になる。
「若」
障子の向こうで藤乃の声がした。
「どなたか、お越しになっていますか?」
しまった!声を出して話しておった!
「誰も来てはいません。独り言です」
藤乃の息を吐き出す音が聞こえる。
「なら良いのです」
足音が遠くなる。
(で、俺がなぜ、自分の記憶を封じる必要がある?)
『思い出さないのであれば、今はまだ、思い起こす必要がないということだ』
清雅は黒崎との会話を思い出した。
(黒崎隊長は、確か九曜を"式"と言っていたな)
おもむろに立ち上がると、九曜を手にとり廊下へ向かう。
(お前の使い方がわかれば、あの天狗を倒すことができる)
『やめておけ。主はまだ"呪"の意味を理解していない』
(だから、それを聞きにいくのであろう)
「使いこなせないまま、巨大な式を呼び出すのだけは、やめた方がいいよ」
ふと、庭の隅から声がした。
「誰だ!」
清雅は庭の端から端まで目を凝らす。
うすぼんやりとした影が、なんとなく人の形をとりはじめたかと思えば、いつの間にやら忍び装束のおなごが立っていた。
「黒崎隊長の式か?」
「楓と申します」
にこりと笑ったが、それは人の笑顔ではない。
笑った人形の表情に似ていた。
「九曜はやはり"式"なのだな?」
「私と同じ」
楓はじっと清雅を見る。
「いぇえーい」
ピースらしきものをした。
「なんで?」
「こういうノリが、黒崎様のお気に入りなのだ」
今度は、ちょっと腰をかがめ、上目遣いをしてみせる。
「それもいい、それもいい、と褒めてくださるのだ」
「変態だな。あいつ」
思わず口が滑った。
「とにかく、黒崎様から九曜を呼び出す言葉を知ったとしても、むやみに使うな。と伝言を預かってきました」
楓は言うと、謎の敬礼をした。
「お前の式については、実戦できたえあげろ!とも、言っておられました」
「つまり、それは」
「あやかし連合が動く時です」
言うと、腰に手をあてて、片目をつぶる。
『いちいち、面倒くさい奴じゃな』
「会話に集中できない」
楓はそれだけ伝えると、そのままフッと掻き消えるようにいなくなった。
その様子を、障子をほんの少し開けた状態で、元輝がひっそりと見ていた。




