外伝 第2話「あの日の言葉」
「ナタリー。ぼーっとしてどうしたの?」
その声で、ふと我に返る。
レイナちゃんが、不思議そうな顔で私を見ていた。
窓の外を見ると、すでに夜の帳が下りていた。
さっきまで夕焼けだったはずなのに、時間が経つのはあっという間だ。
「ううん。ちょっと昔のことを思い出してたの」
「昔のこと?」
レイナちゃんは首をかしげる。
その可愛らしい仕草に、少しだけ胸が温かくなる。
「うん。レイナちゃんが来た日のこと、思い出してた」
レイナちゃんは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせて、それから小さく笑った。
「……そっか」
優しく微笑むと、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「私、おなかが空いたわ。……ねえ、そろそろ夕食にしましょう?」
私も小さくうなずいて、彼女の後に続く。
よし。
今日も美味しいご飯を作ろう。
*
ナタリーはキッチンへ向かった。
私も手伝うと言ったのだけど、やんわりと断られてしまった。
「大丈夫。レイナちゃんは座って待ってて!」
いつも、作ってもらうばかりで申し訳ないなと思いつつも
ナタリーが作るご飯はおいしいので、つい甘えてしまう。
もちろん、私だって作れなくはない。
失敗することのほうが多い気がするけれど、そんなの些細なことだ。
そのうち上手になるはず。
そんなことを考えつつ椅子に座る。
ナタリーがさっき話していた、昔のこと。
そういえば、塔へ来たばかりの頃って、どんな毎日だったっけ。
ぼんやりと考えながら、机に突っ伏した。
机の冷たい感触が頬を刺激し、
木の優しい香りが鼻をくすぐる。
キッチンから、包丁の音が一定のリズムで聞こえてくる。
トントン、トントン。
心地良い音に包まれながら、目を閉じる。
なんだか、まぶたが重い。
……少しだけ休もうかな。
包丁の音を聞いているうちに、まどろみが静かに広がっていく。
私はそのまま、ゆっくりと意識を手放した。
…
……
この塔で暮らすようになってから数日が経った。
相変わらず、ここへ来る前のことは思い出せない。
だけど、二人はそんな私に優しくしてくれる。
私はこの塔で暮らすにあたり三つの約束事を教えてもらった。
一つ、勝手に地下室へ行かないこと。
あそこには、危険な魔法陣や実験器具があるから。
二つ、おばあ様の部屋には勝手に立ち入らないこと。
あそこにも、危険な薬や本があるから。
三つ、それ以外の本は好きに読んでいい。
「知識は力なり」
それがおばあ様が教えてくれた言葉だ。
もちろん、家事も分担することになった。
でも、この塔で暮らすために最初に教えられたのは、この三つだった。
幸い、私は文字が読めるみたいだ。
塔の広間には見上げるほどたくさんの本が並んでいる。せっかくなら、この世界のことをいろいろと勉強したい。
私はその中から一冊を手に取り、ソファに腰を下ろした。
『子供でも分かる魔法の本』
表紙にはそう書かれていた。
ページをめくると、魔女とは何か、魔法とは何か。
まるで小さな子供に教えるような文章が並んでいる。
どうやら、昔おばあ様が書いた本らしい。
『魔法とは、その人が持つ魔力を変換することで発生する現象である。
魔力とは、その人が持つエネルギーを指す。
人間は基本的に魔力を持たない。
そういった者たちは『人族』と呼ばれる。
しかし、ごく稀に魔力を持って生まれる者や、後天的に魔力を得る者もいる。
そうした人々を『魔人族』と呼ぶ。』
「……私は、どっちなんだろう」
生まれた時から魔力を持っていたのか。
それとも、後から得たものなのか。
ぽつりと呟く。
けれど、考えても答えは出ない。
私は小さく息を吐き、再びページに視線を落とした。
『エルフやドワーフ、魔族や鬼族といった種族は生まれつき魔力を持っている。
人族だけがまったく魔力を持たない。
この理由は、いまだ解明されていない。
生まれつき魔力を持つ人の場合、親も魔力を持っていることが多いとされている。
ただし、必ずというわけではない。
後天的に魔力を得た者が、なぜその力を手に入れたのか。
その詳しい理由は、今もわかっていない。』
「ちなみに、私たちみたいな魔人族の女性は、魔女って呼ばれるんだよ」
後ろから声が聞こえた。
びっくりして振り返ると、そこにはナタリーが本を覗き込んでいた。
目が合うと、ふふっと笑って言葉を続けた。
「男の人の場合は魔法使いなんだって、なんで分けたんだろうね?」
私は髪の毛を指に巻きながら、少しだけ考える。
そして、思ったことをそのまま口にした。
「なんでだろう……そのほうがかっこいいから?」
ナタリーは一瞬ぽかんとして、それから思いきり大笑いした。
……何か変なことを言ったかしら。
ひとしきり笑ったあと、彼女は目尻の涙を拭いながら言った。
「レイナちゃんって、たまにすごく面白いこと言うよね」
「そう?」
「うん。本人が真剣だから余計に面白いんだと思う」
ナタリーは一呼吸置くと、両指を顔の前に掲げる。
するとその指先からパチパチと火花が散った。
「魔法には系統があってね、その人によって得意な魔法が違うんだって。」
私が手元の本に視線を落とすと、ちょうど魔法系統について書かれていた。
「火や水や風、土とかいろいろあるんだけど……私が使えるのはこの雷なんだ。」
ナタリーは悲しそうな表情を浮かべて続ける。
指先の火花は、彼女の気持ちに呼応するように弱く揺れた。
「普通はね、二つとか三つくらい使える人が多いんだって。でも、私はこれだけ」
ナタリーは、弱く揺れる雷を見つめる。
「雷しか使えないんだ」
私はナタリーの指先を見つめる。
それからナタリーの顔を見る。
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのだろう。
私は思ったことをそのまま口にする。
「でもその雷、とっても綺麗よ」
「……え? 綺麗?」
ナタリーは驚いたように目を瞬かせる。
「ええ、すごく綺麗」
パチッと小さな音を立て、雷が消える。
ああ、消えてしまった。
もっと見ていたかったのに。
ナタリーはぽかんとして私の顔を見ている。
……顔に何かついてるかしら。
自分の手でペタペタと顔を触ってみるが、何もない。大丈夫そうだ。
するとナタリーは突然顔を手で覆い、しゃがみ込んでしまった。
体は小刻みに揺れている。
大丈夫だろうか。
「……ナタリー?」
手を伸ばし、肩に手をかけようとするとナタリーは勢いよく立ち上がった。
「レイナちゃん!」
「は、はい!」
唐突に名前を呼ばれ背筋を伸ばす。
まずいことを言ってしまったのだろうか。
ナタリーの顔は髪に隠れていて、表情が読み取れない。
何か言おうとした瞬間、ナタリーの手が伸びてきて――私の体をぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう」
耳元で震える声が聞こえる。
私は目を白黒させながら答えた。
「……? どういたしまして?」
私を抱きしめるナタリーの腕に、さらに力がこもる。
自分の両手は手持ち無沙汰になってしまったので、とりあえずそのままナタリーの背中をポンポンと叩いておいた。
「おや、取り込み中すまないが、今いいかい?」
部屋の入り口には、町に出かけていたはずのおばあ様が立っていた。
「あ、おばあ様。おかえりなさい」
ナタリーの背中をポンポンと叩きながらおばあ様に声をかけた。
「ナタリー、町長の爺さんから子牛の肉をたんまり貰い受けてきてね。……おや、お昼に食べる分を出しておくのを忘れていたみたいだ。悪いが、キッチンまで持ってきてくれるかい?」
「は、はい……!」
ナタリーは慌てて私から離れると、入り口へと駆けていった。
おばあ様はナタリーと入れ替わるように近づくと、小さくウィンクした。
「あの子はいい子なんだ。仲良くしてやっておくれ」
私はうなずく。
私もナタリーとは仲良くしたい。
「レイナ、あんたはそのまま読書しているといい。今日はあたしが腕を振るうよ」
おばあ様は私の頭を軽くポンと叩き、服の袖を捲ってキッチンへ歩き出す。
「心配するんじゃないよ。掃除はからっきしだけど、あたしの料理の腕だけは保証するからね」
おばあ様はキッチンへ消えていった。
私はもう一度ページをめくろうとした。
その時――
鼻孔をくすぐる芳醇な香りが漂ってきた。
おかしい。おばあ様がキッチンへ向かったのは、ほんの数秒前のはずなのに。
……
…
肉が焼ける香ばしい匂いがする。
その匂いにつられたのか、気づけば口元が少し濡れていた。
……よだれだった。
私はゆっくりと体を起こし、袖で口元をこする。
机に突っ伏していたせいか、少し体が痛い。
……懐かしい夢を見た気がする。
私は立ち上がり、肉の匂いにつられてキッチンへ向かった。
中を覗くと、ナタリーは肉を焼き終え、ちょうど皿へ盛り付け終えたところだった。
美味しそうな子牛のステーキだ。
ナタリーは私に気づき、声をかけてきた。
「あ、おはよう。ぐっすり眠ってたみたいだね」
そう言って優しい笑みを浮かべた。
私はナタリーのもとに歩いていく。
ナタリーはこちらを見ている。
私はそっと両手を伸ばし、ナタリーを抱きしめる。
「おはよう。ナタリー」
「レイナちゃん? どうしたの? 怖い夢でも見た?」
ナタリーは焦っている。
無理もない、いきなり抱きしめられたのだ。
「ううん、何でもないよ」
背中をポンポンと叩き、私は離れる。
「美味しそうなステーキね。早く食べましょう」
私はお皿を机に運んだ。
ちらっとナタリーの顔を見る。
ナタリーは嬉しそうに笑っていた。
*
「ナタリーはゆっくりしてて、洗い物くらいは私がやるわよ」
夕食を食べ終えると、レイナちゃんが洗い物を率先してやってくれた。
その背中を見送り、私はソファに腰を下ろして、いつもの反復練習を始めた。
両手の人差し指を向かい合わせ、そこへ魔力を通す。
指先でパチりと火花が弾け、――右手から左手へ、体内で循環させてまた右手へ。
集中するうちに、指の間に揺らめいていた雷は、一本の鋭い線へと形を変えた。
「でもその雷、とっても綺麗よ」
かつて彼女がかけてくれたその言葉に、私はどれほど救われたのだろう。
彼女自身は、自分がどれほど大きな光を私にくれたのか、きっと分かっていないはずだ。
おかげで、ようやく私は自分の魔法が好きになれた。
今ではあの時より、ずっとうまく電気を操れるようになった。
意識を集中させると、雷の糸はゆっくりと細く、まっすぐに伸びていく。
途切れず、揺れず、まるで静かな月光を紡ぐように。
その手ほどきをしてくれたおばあ様から、魔法を教わった日のことを、私は指先の雷と共にゆっくりと思い出していた。




