外伝 第3話「明日は何をしようか」
空気が張りつめる。
手のひらに集めた魔力が、ゆっくりと形を変え始めた。
青白い光が揺らめき、小さな雷鳴が部屋に響く。
やがてそれは形を持った雷となり、バチバチと音を鳴らしながら膨れ上がっていく。
――もっと、もっと!
持てる限界まで魔力を込める。
雷はうねり、光を増し、
巨大な奔流へと変貌した。
目の前へ視線を向けると、強大な魔力を身に纏った老齢の魔女が見えた。
その人はこちらを見つめ微笑んでいる。
私はその人へ向けて狙いを定める。
「……行きます!」
手のひらに宿した巨大な雷を、全力で解き放った。
雷は魔女を包み込み、轟音をあげてその姿を覆い隠した。
これをまともに受ければ、誰だってただでは済まない。
しかし、それでも魔女は動かない。
ただ、その瞳だけが静かに私の雷を見つめていた。
雷の強さではなく、まるでその奥にある何かを確かめるように。
「……なるほど」
そう一言だけつぶやいた。
右手に持つ大きな杖を一度振ると、身に纏った魔力が広がり始めた。
もう一度杖を振る。
私が放った雷をその魔力で包み込む。
魔力に包まれた雷は、みるみるうちに小さくなっていく。
変わり果てたそれは、魔女の前で小さく脈動する。
魔女は静かに手を伸ばした。
視界を埋め尽くしていたはずの狂暴な光は、ただ一度、
魔女の掌が閉じただけで、掠れた音を残して消えた。
部屋には静寂が訪れる。
途端に体から力が抜ける。
私は体を支えることができなくなり、腰が抜けたようにその場へ座り込んだ。
パチパチパチ。
後ろから拍手が聞こえてくる。
振り返ると、透き通るような青い瞳と、きれいな黒髪の少女。
――レイナちゃんが、目を輝かせながら拍手していた。
「ナタリー、すごい」
「えへへ、でも簡単に躱されちゃった」
コツコツコツ。
前からは老齢の魔女が歩いてくる。
おばあ様。
この塔の管理者であり、私達の魔法の先生だ。
おばあ様は微笑みを浮かべたまま、私を見て言った。
「まず、まだ無駄が多いね。魔力の練り方に歪みがあるから、発動までに時間がかかる。
それから制御も甘い。流れが素直すぎるから、全部読まれてしまう」
…うっ、さすがおばあ様だ。
私の足りないところを、容赦なく言葉にしていく。
胸が少し痛む。
だけど――
おばあ様はふっと笑うと、私の頭へそっと手を置いた。
「でもね、前よりは格段に良くなっている。ちゃんと練習してきたんだね。よくやったよ、ナタリー」
その一言だけで、胸のつかえがすっと消えていく。
私の頑張りは、ちゃんと無駄じゃなかった。
「しばらくは今まで練習していたように、魔力の循環で制御の練習を続けるんだよ。
そうすれば、ほら」
おばあ様は少し離れた場所に置かれた魔道人形へ視線を向ける。
手元は、微動だにしていない。
次の瞬間。
杖の先で、小さく青白い光が弾けた。
細い雷光が一直線に走り、人形の胸を正確に貫く。
「これくらいは、すぐできるようになるさ」
――すごい。
あんなことが、本当に私にもできるようになるのだろうか。
遠くで小さく煙をあげる魔道人形を見つめながら、私は息をのむ。
「できるさ、ナタリー。あんたの魔力の器は、あたしよりもずっと大きいんだからね」
おばあ様はそう言って、少しだけ口元を緩めた。
「そのことをちゃんと自覚して、腐らずに練習を続けるんだよ」
「……はい!」
「さぁレイナ、次はあんたの番だよ。ちゃんと練習はしてきたんだろうね?」
おばあ様は私の後ろに視線を向けて声をかける。
私もつられて振り返る。
レイナちゃんは得意げな笑みを浮かべ、スッと立ち上がる。
人差し指を立て、その指先に意識を集中させて魔力を込め、練る。
それは決して大きくはないが、確かな密度を持った、小さな魔力の玉を指先に灯した。
腕を大きく振る。
魔力の玉はその動きに合わせるように軌道を変えた。
ぐるっと部屋を1周してから、少し離れた場所にあるコップにその玉は収まった。
「……ふぅ」
それが終わると、レイナちゃんは小さく息を吐いた。
すると、コップの中の小さな玉は、シャンと涼やかな音を立てて崩れ去った。
「……まったく、数日前に魔力の扱い方を教えたばかりだというのに。
教え甲斐がないね」
やれやれといったように首を振る。
「合格だよ」
呆れたような、でもどこか少し嬉しそうな声でおばあ様は言う。
「次は、腕を動かさずにやってごらん。
それができたら、もう少し早く移動させる。椅子の間をくぐり抜けても同じことができるようになれば上出来だ。
……その次は、玉の数を増やす。そこまでできれば、魔力制御の基礎は終わりだよ」
レイナちゃんは小さくうなずく。
……ただ驚くしかなかった。
私はまだ、あの試験を一度も突破できていない。
それを、魔力制御を覚えてわずか数日で突破してしまったのだ。
私は自分のことのように嬉しくなり、レイナちゃんに声をかけようとした。その時だった。
「……ただし」
おばあ様の低く、鋭い声が室内に響く。
私は思わず口をつぐみ、おばあ様の方を振り返った。
さっきまで慈しむようだったその瞳は、今や魔女としての厳しい光を宿している。
「レイナ、あんたの魔力制御は天才的で、魔力の器も確かに大きい。
それでも、ナタリーのようにほぼ無尽蔵というわけではないんだ。
魔力を枯らせば、最悪、命に関わる。その事は肝に銘じておくんだよ」
「わかった」
レイナちゃんは再びうなずいた。
おばあ様は椅子へ腰をおろし、紅茶を一口飲んでから口を開く。
「魔法は使うものだ。決して飲まれてはいけないよ」
そういうと、おばあ様は机の下から、一枚の古い手鏡を取り出す。
「さ、次はレイナの適性を見るよ」
――境界の鏡。
おばあ様が作った、魔法の道具だ。
なんでも昔、お弟子さんにお願いされて作ったものだと、おばあ様が前に話してくれた。
会ったことはないけれど、そのお弟子さんは今では大きな国の、ずいぶんと偉い魔法使いになったらしい。
「これに魔力を込めるとね、自分の魔法適性を映してくれるのさ。なかなか便利な手鏡だろう?
まぁ、ほかにも使い道はあるんだが、今はそれはいい」
おばあ様はレイナちゃんに手鏡を渡し、握らせる。
顎をくいっとあげて、合図を送る。
レイナちゃんが手鏡を覗き込む。
鏡に映る自分の瞳をまっすぐに見つめ、彼女は静かに魔力を流し込んだ。
鏡に淡い真珠色の光が灯る。
――その光が、吸い込まれるように鏡の中へと溶けていく。
彼女の魔力は、まるで透き通った水のようだった。
迷いなく鏡へ流れ込み、静かに満たしていく。
そしてその輝く鏡面を見つめ続けていた。
――きっと、今は自分の中の魔力を確かめているのだろう。
私が見たときは、暗闇の中で雷光を纏った何かがじっと私を見つめていた。
レイナちゃんもそんな何かと出会っているはず。
鏡面を見つめ続けていたレイナちゃんの瞳が、ふっと揺れる。
次の瞬間。
キィン……
澄んだ音が響き、鏡の光が静かに消えた。
レイナちゃんはゆっくりと瞬きをする。
それを見ていたおばあ様がゆっくりと尋ねる。
「何か見えたかい?
よく聞くのは燃え盛る火の獣、風を纏った美しい女性、
……ちなみにあたしは、水を滴らせた妙に格好いい男を見たこともあるよ」
そう言って、おばあ様は楽しそうにかかっと笑った。
レイナちゃんはおばあ様の言葉を聞いて、ゆっくりと首を傾げた。
何かを思い出そうとしているようだった。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……たくさんいた」
「たくさん?
どんなのがいたんだい?」
「よくはわからなかったけど……火や水みたいなものもあった。
それから、赤いものや、黒いものや、白いものも……」
おばあ様の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「…ふむ。なるほどね」
おばあ様が顎に手を当て考えた。
納得したかのように、一度うなずいた。
レイナちゃんに向かって、穏やかな声で言う。
「おそらくだが、複数の魔法が扱えるだろう。
……いや、これは少し違うね。
属性が複数ある、というより……魔法そのものとの相性が異常だね。
まずは、見えたという火や水、後は前に見た雷の制御を練習しようか。
赤や黒、白……それが何を意味するのかは、まだ分からないけどね」
私はぎゅっと拳を握りしめた。
それだけは負けたくない。
おばあ様はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、私も少しだけ肩の力を抜く。
おばあ様はレイナちゃんから手鏡を受け取った。
「本当はもっと見てあげたいんだけどね。
この後出かける用事があるんだ。
続きは次回にしようか」
そうおばあ様が言うと、私はすぐにレイナちゃんへ声をかけた。
「レイナちゃん、お疲れ様!魔法、すごかったね!」
「ありがとう、ナタリー。あなたの雷もすごい迫力だった」
私は彼女の手を取り、提案する。
「今日は天気もいいし、お花畑でお昼を食べるとすごく気持ちがいいと思うの。一緒にどうかな?」
レイナちゃんは私の手をギュッと握り返し、笑顔で言う。
「とってもいいわね、その後そこでお昼寝しましょう」
そんな様子の私とレイナちゃんを見て、おばあ様はやれやれと首を横に振る。
「あんたたち、遊ぶのはいいけどちゃんと練習もするんだよ。
次会ったときに何も変わってなかったらただじゃおかないからね!」
「きゃー!おばあ様が怒った!
行こうレイナちゃん」
私はレイナちゃんの手を取り二人で笑いながら駆け出した。
ふと、振り返っておばあ様の顔をみると、優しく微笑んでいた。
しかし、一瞬険しい顔になり、何かを呟いたような気がした。
気のせいかもしれないけど。
……
…
「…あつっ」
細い糸のような雷から火花が飛び散った。
雷の糸は消え、指先に赤い傷跡を残す。
昔のことを思い出していたせいで、魔力の調整が甘くなっていたらしい。
最近はこんな失敗することも少なくなっていたのだけど。
うーん、やっちゃったな、私もまだまだだ。
そんなことを考えていると、洗い物を終えて本を読んでいたレイナちゃんと目が合った。
「……えへへ」
私がばつが悪そうに笑っていると、
ふぅ、と息を吐いた後、私に向かって。
「……まったく、おっちょこちょいなんだから」
氷のように冷たい水の塊が、私の指を優しく包む。
水そのままではなく、わざわざ冷やしてから出してくれたみたいだ。
レイナちゃんはそのまま立ち上がり、棚から薬箱を取り出すと私の隣に座る。
指を包んでいた水の塊をバケツへ流し込む。
そのまま私の指を丁寧に拭き、薬瓶を開ける。
ツンとした薬草の香りが鼻をつく。
レイナちゃんは薬を取り、私の指に薬を塗ってくれる。
柔らかくて暖かい彼女の手に、どこか安心する。
「へへ、ありがとう、レイナちゃん」
「あなたは魔力が多いもの、調整は大変よね」
軽く治癒魔法をかけてくれてから、指先に包帯を巻いてくれる。
こうすることで普段より早く傷が治るらしい。
おばあ様が昔言っていた。
レイナちゃんが薬箱を持って棚へ戻る。
私は、その後ろ姿を見つめていた。
あぁ、幸せだな。
こんな日々が、いつまでも続けばいいのに。
私は立ち上がり、夜の帳が降りた森を眺めながらそう思う。
おばあ様は少し前にどこかへ旅立ち今はいないが、戻ってきてまた3人で暮らせたらきっと楽しい。
それにレイナちゃんが今日話してくれた国にも一緒に行ってみたいし。
私が昔、一度だけおばあ様に連れて行ってもらった大きな魔法図書館、そこにも連れて行ってあげたいな。
「ナタリー?真っ暗な森を見つめてどうしたの?熊でもいた?」
背中から声が聞こえる。
振り返らなくても分かる。
きっと、少し首を傾げてこちらを見ているに違いない。
私はその様子を思い浮かべてくすっと笑う。
「ねぇ、レイナちゃん」
大好きな友達。
そして、いつの間にか家族と呼べる存在になっている彼女。
振り返ると、いつも通り少し首を傾げてこちらを見ていた。
いつも通りのレイナちゃんだった。
その姿を見て、胸の奥から愛しさが溢れてくる。
私は彼女に向かって微笑んだ。
「明日は何をしようか」
こんな日常がこれからも続いていく。
そう確信しながら、私は彼女に問いかけた。




