第5話 太陽が眩しかったから
事の顛末は、あまりに卑近で明快だった。
恵まれた遺伝子を浪費する事に定評がある田中某氏はストレスと闘っていた。普段は閲覧自由な共有備品、朝倉まゆとラベリングされた玩具が定期のメンテ中で、布を捲れば布を見せるという重要な機能が失効していた。
その理由は聞いたし、理解もしたが、不可となれば気になるのがおさるさんの力学である。飽き始めていた筈のスカートめくりへの情熱が沸々と湧いて、けれど出来ないという精神負荷が積み上がっていた。
そして放課後、彼は見つけてしまう。いつもの被虐玩具とは似て非なる別個体、小さくて、ゆるくて、ふわふわな処女である、ウサギちゃんこと葛西さんを。彼女の下半はスカートに覆われている。だったら、
——こっちでいいか。
そんな、脳みそドングリな軽い気持ちで、田中某氏はノルマに挑んだ。スカートめくりというセクハラ行為に対しての倫理的障壁は、誰かさんの所為で更地と化している彼は、彼女の死角となる背後に忍び寄って、制服の布地を躊躇う事なく跳ね上げた。
彼の瑕疵は、忘れていたことである。私相手なら業務で済む事柄だが、彼女は私では無い。結果、
「……ッ、いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
気付いた瞬間に膝を折り、喉を震わせて、乙女の品格が削れるようなハイトーンの悲鳴を上げた。
残念ながら、手遅れである。たまたま近くで、モップを反復させていた私でさえ、それが見えてしまった。白い布地に、規則正しく並んだ小さな赤い果実たち。絶妙に野暮ったいイチゴパンツは、きっとしま◯らである。偏見だが。私という生贄を捧げて、平和ボケしていた彼女には、警戒心というものが足りなかった。
「今の悲鳴、葛西さん?」
「どういうコト? 何が起きたの?」
「アンタ、なにやってんのよ!」
本能的な危機感に訴えるファルセットな高音は、晩春の弛緩した空気を引き裂いて、教室内の喧騒を一瞬で怒号に変えた。悲鳴とか無駄なものにカロリーを割けるなんて、ぜんぜん余裕あるな、と、そんな感想を懐いたのは、どうやら私だけだったらしい。ある者は狼狽え、ある者は叫び、ある者、というか葛西さんは泣いていた。軽く渾沌の程を見せている。
教室に今残っている生徒はおよそ半数と少し、20名に届かない程度である。さすがというべきか、委員長はいち早く駆け寄って、葛西さんを宥め慰めている。残りの人間は、さあ、断罪の時間です。およその情報共有がなされて、皆が状況を把握した。
自業自得とはいえ、ツラいな、田中君。君の骨は拾ったら、イヌに上げよう。キジには何がいいかな。
私はそんな感じで他人事気分だったのだが、
「朝倉さん、あなた、どういうつもり?」
と、何故か私に名指しで矛先が飛んできた。
「どうって?」
「惚けないで!あなたのせいでしょ?あなたが自分の役目を果たさないから、こうなってるんでしょ?!」
「そうよ!あんたが自分の役目をサボったから、葛西さんが身代わりになったのよ。かわいそうに」
「あんたがいつもみたいに、バカみたいに晒し者になっていれば、平和だったのよ!責任とりなさい!」
追随して、同調する声も飛ぶ。
率先して発言しているのは、林さんだ。見た目は、如何にも潔癖症なお嬢さん。この前、私を「ヘンタイ」と言った子。そしてこの声の感じ、昼休みの女子トイレにもいた人物のようである。
成程。こうなるわけか。女子トイレの洗面台で、私を「汚物」と定義した彼女の瞳には、弱者をいたぶる嗜虐心ではなく、不浄な異物を排除しようとする「潔癖な正義」の炎が宿っていた。自然発生的に始まったクラス会だが、その実体はやはり魔女裁判なわけで、決まっている結論を並べるだけの茶番である。
また頭が痛くなってきた。血中酸素が足りない。思考も低下しているのが解る。
「つるつるなのにガードとか、何様のつもり?」
「だいたいさ、自業自得じゃない。あんな頭おかしい係やって、ヘラヘラして、何のアピール? 自分がちょっとかわいいからって、調子に乗ってない? ねえ、答えたらどうなの? つるつるちゃん」
せめてもの理性で隠語にしていた私への渾名も、もう公用語にするつもりらしい。でも、私が言及したのは、そこじゃなくて、
「ちょっと?」
「ッ!」
うっかり口を滑らせてしまい、顔を真っ赤にした林さんが、反射的に手を振り被る。
「やめて!なんで、まゆが責められているの?」
葛西さんを介抱していた委員長がこちらに異変に気付き、そう言って、振り下ろされようとしていた林さんの手を物理的に阻んだ。
「どうして、こんなことになってるの?」
客観的に俯瞰すれば、イジメにも見えるこの状況。持ち前の正義感を発揮して、異議を唱えようとするが、
「あなたがそれを言う? スカートめくられ係、それ考えたのは委員長でしょ? 私たちはただ、サボったこの子に、優しく諭しているだけ。文句ある?」
「そ、そんな………」
正義は霧散する。とにかく魔女を吊るすという、結論ありきの魔女裁判。これのそもそもの引き金を引いたのは自分であるという現実を突きつけられた、彼女は黙るしかなかった。ダブスタでも何でも、構わず説き伏せる
政治力は、善意の人の中には無いのだ。
「いや、朝倉は悪くないだろ。悪いのは俺だ」
そこに、見兼ねた田中君が口を挟んできた。意外と言ったら失礼だが、彼は女子たちに同調することなく、自分の非を認める発言を行った。サルなりの漢気ってやつである。けれどそれは、火に油だった。
「田中くん、かわいそうに。すっかり騙されちゃってるわね。よく見て。こんなの、顔がいいだけのポンコツよ。人間扱いしたら、人間に失礼よ」
「そんな言い方って、ないだろ!」
「そうかな? スカート捲られて平気って、よく考えなくたって、おかしいよ。狂ってる。田中くんだって、チラリとはそう考えたこと、あるでしょう?」
「くっ!でも——」
よく見ているな、と感心する。もしかしたら、私のことを一番理解しているのは、この林さんかもしれない。
だからって好感が持てるかと言ったら、別の話だが。
気持ち悪い。
私の身体は本格的にバグってきているみたいだ。吐き気さえも感じ始めている。
田中君は語彙が少ないわりに、まだ頑張っていた。しかし、彼が庇えば庇うほど、女子たちの私への視線が冷ややかになっていく。私はそれで、この歪んだ正義感の裏に、もう一つの感情の正体に気がついた。
田中君はこう見えて、女子に人気ある。顔が良くて、勉強が出来て、スポーツも万能で、コミュ力も高い。スカートめくりという悪癖も、一線は越えないし、カラッとしているため、同グループのやんちゃとして、苦笑されながらも見逃されている。イケメンは徳だ。
で、その田中君及びその周辺の男子生徒と一番交流がある女子が誰かと言えば、まあ、客観的に見て私だった。実際は、スカートをめくる、めくられるだけの関係だが、仲良く見えるかもしれない。つまりは嫉妬、或いは羨望が見え隠れしている。迷惑な話だ。
迫り上がってくる嘔吐感に耐えながら呼吸を整えていると、そこでウサギちゃん——葛西さんと偶々目が合った。か弱い彼女は、酷い憎悪がこもった目で私を見ていた。その顔は、慰みモノとなった私を見つめるママと同じ顔をしていた。
「まゆ、どうしたの?」
暗くて重くて埃っぽい、閉じられた狭い部屋の空気と、肌にまとわりつくドロリとした感触の気持ち悪さに耐えきれなくなった私は、その場に蹲った。
「——!」
「——!」
「——!——!」
「!?——!」
誰かが何かを言っている。たぶん私のことだと思うが、言葉を認識するのに必要なカロリーが足りない。早く終わらないかな。それだけを考える。
役立たずな田中君とチェンジして、今は委員長が何か言っているようだが、明らかに部が悪そうだ。勝者は林さんで決まりの流れである。今回の最大の被害者である葛西さんも、林さんを推していた。彼女を満足させることが出来れば、これも終わるだろう。
えっと、何だったか。謝れ、だったか。
いったい、何に謝ればいいのか解らないが、みじめにむごたらしく謝罪するのがご希望と判断した。上手く演技出来るだろうか。
謝罪の後は罰である。雰囲気から察すると、スラックスを下ろして晒しものになるのが良さそうだ。これで、永久不滅に、クラスの便器ちゃんが確定する。
よいしょ。
私は頑張って立ち上がった。静かにゆっくり、こっそりと体を起こしたつもりだったが、その動作は静寂を呼び込み、視線が私に集まる。深呼吸して、
「ごめんなさい」
頭を下げた。
「私が悪かったです。スカートはいてなくて、ごめんなさい」
やっぱり棒読みになった。これは仕方ない。
ちらりと佐藤さんの顔が見えた。しわくちゃな酷い顔をしていた。なぜ関係ない彼女が泣きそうな表情なのか、意味不明である。ま、いいか。
私はスラックスのホックに手を掛けた。
「………」
その時、ふと思った。
これで、この気持ち悪さは解消されるのだろうか。
答えは、否である。ずっと残り続ける予感がある。
では、どうすればいいか。
服の中に籠った熱、停滞した重苦しい空気は、どうすれば消えて無くなるのだろうか。
答えは簡単だった。
私は最初から方法を知っている。
換気だ。
「よいしょ」
私にしては珍しく、本当に珍しく、ほんの些細な能動的行動を実行した。スラックスの他にもう一枚、ショーツの布にも親指をかけて、一緒に膝まで下ろした。
何故こんな真似をしたのか。理由なんてない。しいていえば、それはきっと、
『太陽が眩しかったから』
パクってごめんなさい。
音無きパニックが、教室に瞬く間に広がった。
せいせいした。
ずっと私に絡みついていた頭痛も、目眩も、吐き気も全部、この強制換気でみんな何処かへ行ってしまった。
同年代20名余りの衆目を集める私のつるつるちゃん。
さすがの私も恥ずかしく………ないな。まったく。
その辺の感性はやっぱり私には無いようだ。つまりは平常運転である。それどころか、不思議な充足感があった。彼女が言う通り、ヘンタイなのかもしれない。
で、その彼女、林さんだが、
「な、なんて真似を………」
まるで本物の魔女を見たかのように青くなっていた。
「つるつるちゃん」
と私は言った。
「これが本物のつるつるちゃん。見たかったでしょ?」
今日の装いはピンクです。但し、校庭で舞う花びらのような薄い桜色でも、デフォルメされた苺イラストの鮮やかな赤では無い。グロテスクで肉肉しくて、開けば深淵が覗くピンクである。
絶句する林さんに更に追い討ちを掛けた。彼女だけに聞こえるよう、そっと耳打ちする。
「つるつるの方が、男の人、悦ぶんだよ」
蓋をしていた記憶の断片。それをこんな、どうでもいいような人に簡単に話してしまった自分に、思わず苦笑した。反動で、少しテンション高めである。まあ、私もさすがに思うところはあったので、ちょっとした意趣返しである。
さあ、次は田中君だ。彼にも見せる。見せつける。
「い、うひゃぁぁ」
反応が悪い。せっかくサービスしたのに、喜んでいるようには見えない。同じ男でも、大人と違う感じだ。やっぱり処女じゃないと駄目なのだろうか。
そこに、
「もうやめよ。もういいから」
と、そんな台詞と共に、私に、主に私の下半身に、カーディガンが掛けられた。この地味なベージュ色のカーディガンは、いつも佐藤さんが着てるやつである。
暖かい、が、暑い。今は涼しいが優先である。
「大丈夫」
と、私は彼女にカーディガンを返した。ついでに膝あたりに溜まっていた布地も全部抜く。軽くなった。
きっと委員長は私が自暴自棄に陥って、ヤケを起こしたと思っていそうだが、実際はただの換気である。
私はそのまま、清々しくも剥き出しな下半身を晒しながら、教壇の方へ向かう。皆を見渡して、
「さて、これからどうしましょうか」
さっさと帰りたいのは、確かなのだ。建設的に議論を進めて、結論を早く出したい。でも、この状況では、率先して音頭を取ろうという人材はいない。仕方ない。
「スカート捲られ係、続ける?」
私が議長だ。




